2018年3月9日金曜日

なぜ見る?

定式(技が決まった瞬間)で手を見るのはなんとなくわかる。
しかし、過渡式(技に至るまでの動作)で手を見るのは何故だろう?と思ったことはないだろうか。

私は幼いころから丸暗記が苦手だった。
理由が解らなければ覚える気になれないし、
逆に理由が解れば覚えようとしなくとも覚える。

だから「手を見なさい」と言われても「なぜ?」という疑問が起きる。

しかし具体的に手を見る意味を教えてもらったこともなければ、
そのようなことが書かれた文献にも出会ったことがない。
(探せばあるのだろうが)

巷に溢れいてる太極拳本は動作のことしか書かれていない。
無敵!と書かれたタイトルに惹かれ買ってみたら、
無敵になる方法なんてどこにも書かれておらず動作の説明ばかりで面食らったこともある。

まあ、そんなことはどうでもよく
私は指導の際、何故見るかは「氣を集めるため」だと説明している。

氣というのは意識したところに集まる。
更に早く集めようと思えば見ればいい。
その部分を見れば嫌でもその部分を意識せずを得なくなる。

いわゆる見ることによって氣を集めているのではなく
見ることによって意識せざるを得なくなり、それによって氣が集まるということになる。

「意あるところに氣あり」だ。

実際に見れば氣が集まり、
私の場合はその部分がすぐにピリピリし、磁力のようなものを感じる。

氣のないところに勁(筋力ではない力)は出ない。

手眼相合(しゅがんそうごう)
は氣を集めるための手段であるということ。