2018年2月2日金曜日

弱いは強い 1/2

最近、皆の前で套路を通す時、形は一切気にしない。

ひたすら脱力。

まだまだゆるめる、
まだまだゆるめる、
もっともっと。。

体の中を流れる氣を感じながら・・

すると体内が氣で膨張してくるかのように張り詰めてくる。

この5年程、伝統と表演を平行して行ってきたが
去年の7月に試合を引退し、今は100%伝統にスイッチした。

人の目を気にしない世界はこんなにも気持ちいい。
宇宙をさまようように、体の中の小宇宙をさまよう感じ。

套路を練っていると、
体が水になり、
風になり、
電気になり、
プラズマを発する。

掌がピリピリするのは、
体内の氣と体外の氣の摩擦によりスパークを起こしているから。

手が熱くなるのは、
手を意識することで氣が集まり、
氣が集まるとそこに大量の酸素と栄養が送られる。
すると細胞内のミトコンドリアで酸素と糖が結合しATPが発生。
その結果熱を発する。

だから手が熱くなるということは、
正しく手に意識を送ることが出来ているということ。
熱そのものは氣ではない。
氣が熱を作り出している。

気功治療は、手をかざすことで、そこに氣を送ることができる。
先程も説明したように氣が集まると、その部分に酸素と栄養が集まる。
結果その部位に必要な物資(栄養)とそれを働かせるための酸素がたっぷる送り届けられ治癒力が上がるというしくみ。

壊れたものを修復しようとしたら、必要なものは人手と修理に必要な物資。
人手は血であり、物資は栄養と酸素ということになる。

氣の不思議な力はそれだけではない。
実体験を元に言うならば、氣で人をコントロールすることもできる。
言いかえれば、相手は自分であり、自分は相手ということ。

とはいうものの、いきなりそんなふうにイメージしても、最初はなかなかうまくいかない。
その理由はまだ自分の中で十分氣を巡らせることができないから。

(次回に続く)