2018年1月6日土曜日

信念岩をも通す

先日、飛んでる矢は止まっているという話をしたが
今回はその逆。
信念岩をも通す、
信念山をも動かすという諺。

この言葉をそのまま受け取ると「そんなことあるわけない」と思うが
これはあくまでも信念にはそれだけの力があるという例えであり、
念によって岩や山を動かすことは実際できない。

しかし、
私はこの諺を知った頃からほのかに「実際にできたらどんなに素晴らしいだろう」とずっと考えてきた。
そしていろいろ勉強するうちにこのことが可能だとうことに気付いた。

まず岩を通すことはとても簡単。
何故なら、意はそれが岩であろうが鋼鉄であろうがそれを突き通すことができる。
岩の後ろに意識を送ればすでに意は岩を通したことになる。

人間は思考することで様々なものを生み出してきた。
高層ビル、宇宙ロケット、MRI、コンピューター、インターネット、GPS・・
どれもつい100年前にはなかったもの。

現在というのは過去の未来であるということ。
要するに、「今」は過去の人々が思い描いた夢の結晶なのである。

それだけ意や思考にはパワーがあるということ。
山を動かすどころか山を破壊するミサイルだって今はある。

量子力学的に見れば、人も岩も山もすべて原子でなりたっており、その原子も、原子核と電子の運動によって成り立っている。
つまり、人間というのは原子核の周りを電子が回る原子の集合体であり、
固体だと思っている人間は実際はスカスカの宇宙空間でありエネルギー体であるということ。

目でモノを見ようとするとどうしても表面しか見えないが、
意で見ればどんなものも貫通して見ることが出来る。

なぜなら人間も岩も山もすべて原子で成り立っており、
量子力学的に最小単位でみると、実際は「存在しない」ということになってくるからだ。

映画マトリックスで、ある超能力を持った少年がスプーンを曲げながらこんなことを言う。
「曲げようと思ったら曲らないよ」
「そうじゃなく、真実を見ようとしなきゃ」
「スプーンはないんだ」
というシーン。

この映画が公開されてから今に至る約19年もの間、ずっとこの子の言ったことが気になっていた。
あまりにも意味深な言葉で単なる台詞とは思えなかったからだ。

そう、スプーンは実際にはない。
マトリックスのように仮想現実だからではなく、原子レベルで見れば、空間の中にスプーンを構成する材質の原子が集まっているだけで、実際、空間であることには変わりない。
こう考えると実際スプーンはないことになる。
それどころか、ある説によると、そのスプーンですら自分自身が勝手に作り出しているとも考えられている。

私はこれまで、気功や套路を練る時に、空間に溶け込む感覚や、
推手で相手を感じたり、相手に意を通して崩したり・・
この辺のことは素粒子(物質の最小単位)レベルで考えるとすべて辻褄があってくる。

感覚は嘘をつかない。
そして自分の感覚は正しかったということがなにより嬉しい。

私は今までどちらかといえばスピリチュアル派で、
人間を大量虐殺してしまうような化学力は地球から消えて欲しいと願ってきたが
今ではその科学の進歩にとても感謝している。

人間が支配欲や金銭欲から解放され
自分がなぜ誕生し、どこに行こうとしているのか?
ということをテーマに生きて行ける時代が来ることを強く願う。