2017年10月20日金曜日

見る 感じる

前にもブログで書いたが、
ある程度型や套路を覚えてくると、先生の動きを見なくなる。
いわゆる「出来てるつもり」になってしまう。

どちらかというと見るより見て欲しいという気持ちが強くなるのだろう。
そして後で自分の動画を観て愕然とすることになる。

先生の動きを見なくなると、そこからは我流街道まっしぐらになる。
そして時間が経てば経つほどそれを修正するのが難しくなる。

套路の順番を覚えただけでは太極拳を習得したことにはならない。
その我流の動きに技は存在するのか?ということ。

毎回、稽古で私は皆の前に立ち気功から始め、套路を通すわけだが、
私は皆の前では常に手本となるべく動きをしようと心掛けている。
自分の太極拳をやっているのではない。

先生の動きをよく見ている人は上達が早い。
逆に見ないで自分で動こうとしてる人はなかなか上達しない。

私は先生の動きをいつもよく観察している。
先生にいつも「よく見てるな」と感心された。

私にとっては当然のこと。
折角先生が目の前でお手本を見せてくださっているのだから
見ないで稽古してたのでは全く意味がない。

動画で見るのと生で見るのとでは全然違う。
それは単にいろんな方向から見れるということだけではなく
その場の空気を感じることができる。

私が武者修行に出るのは動画では決して得られないものを師から学ぶため。
どんな高画質な映像で見ても、その場の空気や感覚は決して得られない。
それはいつも師が仰ることでもある。