2017年9月8日金曜日

形のない心意拳

最近はひたすら歩く鍛錬中心に練習を行っているが、
昨日は約1時間以上歩き続けた。

歩くスピードにもよるだろうが30分で4㎞歩いた計算になるらしく
となると8㎞歩いたことになるのだろうか?

いずれも最後の方は重い足を引きずるような形での走圏になった。

型の練習よりも歩くことに重点を置いている。
歩けなければ型が安定しないとすぐに感じたからだ。

ということで、八卦連環掌も一通り覚え、
あとは5年、10年かけてじっくり練り込んで行こうと思う。

武者修行の前にもうひとつ、練習しておかねばならない。
心意拳。

ここ数年ずっと形意拳を行ってきたが、最近心意拳がやたら気持ちいい。
そしてこれなら一生できると思った。

心意拳の動きは極めてシンプル。
しかも太極拳のようにゆっくり動く。
いや太極拳よりもゆっくりかもしれない。

動きや形の問題ではなく、どう流すか?ということになる。
ひたすら同じ型を何度も何度も繰り返す。
しかし飽きることはない。

同じ心意拳でもそこから派生した流派で六合八法拳というのがある。
六合八法拳のまたの名を水拳と言うらしいが、
意を用いて氷、水、気体などに変化できることからそのように称されたらしい。

一方、その源流である心意拳のイメージは山だろうか。
地震によって断層に亀裂が入り山が動く。
そんな風に感じた。

一歩一歩呼吸に合わせゆっくりずっしりと歩く。
実に男らしくてカッコいい。

心意拳は陳式太極拳にも影響を与えたと伝えられているが
その歴史は古く、ある意味太極拳のルーツともいえるかもしれない。

ここ最近気づいたことは、
武術がつけ継がれていく度に内功と外功が入れ替わりながら伝わってきているように感じた。

内功中心で修行するものは外功を求め、
外功中心で修行するものは内功を求める。

ゆっくり動くと早く動きたくなり、
早く動くとゆっくり動くたくなる。
人間心理から考えるとそうなるのが自然ではないかと。

こんなふうに歴史を考察してみるのもおもしろい。

いずれも今は形のない世界が実に楽しい。