2017年8月12日土曜日

気を奪うということ

自分はどうしたいか?と考えるようにしましょう。
逆に他人にどうすべきかということは言うべきではありません。

前者は夢、願望であり、
後者は単なるお節介です。
人を尊重し、いつまでも夢や願望、希望を追いかける自分であって欲しいと思います。

他人のことを話す時、あなたは相手を尊重する気持ちがありますか?
もしかしたら自分の存在を認めさせるため自分の考えを相手に押し付けようとしていませんか?
又は人の一面だけを見て相手を判断していませんか?

それは大きな間違いです。
人間はそんなに単純な生き物ではありません。

私は幼い頃から体力がなく、今では目も耳も感覚が鈍く不自由を感じることも多いですが、
その分相手の気を感じる力が少し長けているように感じています。
気は目に見えるものではなく体(上丹田、中丹田、下丹田)で感じるものです。

人と人とは常に気の交流を行っています。
人から気を奪おうとしないよう。

先程も言ったように、自分の存在を認めさせようとする行いは相手から気を奪おうとすることになります。
その証拠にそれが成功すると気を奪った方は力を得たように感じ、
逆に相手は力を失ったように感じます。

私たちが何故気功を行い太極拳を行うのか?
それは他人から気を奪うためではありません。

無限のエネルギーである自然、宇宙から気を取り込み、そしてそれを与える側にならなければなりません。
与えるというのは人に干渉することではありません。
相手を思いやる気持ちこそが与えるの意味です。

自分の行いをその都度振り返ってみましょう。
その行いには愛がありますか?
もしかして自分のためではありませんか?

気功と太極拳によってまず自分自身が強くなりましょう。
そしてそれを与えられる人になって欲しいと思います。