2017年8月15日火曜日

放鬆の意味を考える

放鬆(ほうしょう)とはなんだろう?

私はこれまで体を極限までゆるめ気を沈めることだと思っていた。
無論間違いではない。

いずれも、単に脱力だけを示すことでないことは確か。

ひとつひとつの漢字を調べてみると・・

「放」は「はなつ」という意味で
「鬆」は「隙間や空洞」を意味する。

つまり
体をゆるめることで気の通り道を開き、
そこへ気を流し気を放つことができる状態なるというのが私の解釈。

放鬆の状態からは大きな出すことができるし、
なにより、この状態であればどれだけ動いても全く疲れない。
心拍数が上がったり、息切れを起こすこともない。

それに、気血の巡りが良くなるので、体温が上がる。
つまり外部からではなく自ら体を温めることが出来、
これにより免疫細胞を活性化させることが出来るので病気しない元気な体をつくっていくことができる。

こう考えると放鬆は力を抜くことだけが目的ではないことがわかる。

力を抜くのは気の通り道を開くためであり、あくまでもプロセス。

あとは意によって気をコントロールする。

それは、
綿のように柔らかくなることも
鉄のように硬くすることも
羽のように軽くすることも
石のように重くすることも
あるいは電気や光のように発射することも出来るようになる。

特に最後の「発射すること」に関しては信じられない人も多いだろうが
私は何度もそれを受けその威力を実感している。

放鬆は単に力を抜くことだけでもなければ
気を沈めるだけのものでもない。

この目的は気の通りを良くするためであるということ。

機会あれば、この気をどこにアクセスさせ、どのように流していくか
私の経験を元にお話したいと思う。

まずは開くために体を十分ゆるめることから始めよう。

2017年8月12日土曜日

気を奪うということ

自分はどうしたいか?と考えるようにしましょう。
逆に他人にどうすべきかということは言うべきではありません。

前者は夢、願望であり、
後者は単なるお節介です。
人を尊重し、いつまでも夢や願望、希望を追いかける自分であって欲しいと思います。

他人のことを話す時、あなたは相手を尊重する気持ちがありますか?
もしかしたら自分の存在を認めさせるため自分の考えを相手に押し付けようとしていませんか?
又は人の一面だけを見て相手を判断していませんか?

それは大きな間違いです。
人間はそんなに単純な生き物ではありません。

私は幼い頃から体力がなく、今では目も耳も感覚が鈍く不自由を感じることも多いですが、
その分相手の気を感じる力が少し長けているように感じています。
気は目に見えるものではなく体(上丹田、中丹田、下丹田)で感じるものです。

人と人とは常に気の交流を行っています。
人から気を奪おうとしないよう。

先程も言ったように、自分の存在を認めさせようとする行いは相手から気を奪おうとすることになります。
その証拠にそれが成功すると気を奪った方は力を得たように感じ、
逆に相手は力を失ったように感じます。

私たちが何故気功を行い太極拳を行うのか?
それは他人から気を奪うためではありません。

無限のエネルギーである自然、宇宙から気を取り込み、そしてそれを与える側にならなければなりません。
与えるというのは人に干渉することではありません。
相手を思いやる気持ちこそが与えるの意味です。

自分の行いをその都度振り返ってみましょう。
その行いには愛がありますか?
もしかして自分のためではありませんか?

気功と太極拳によってまず自分自身が強くなりましょう。
そしてそれを与えられる人になって欲しいと思います。

2017年8月8日火曜日

煩悩

気功と太極拳を通じ
煩悩に支配されている自分に気付いて欲しいと思う。

煩悩に囚われていると心が濁り、
血が汚れ、
体に毒が溜まりやすくなり、
病気しやすくなる。

欲望に勝てないから
煙草も酒も辞められない。

肌は荒れ、
ハリを失い、
透明感が失われ黒ずんでくる。

体内のフリーラジカルが増え、
ホモシステインが増え、
DNAが破壊され、
老化、癌化を促進させる。

今はもう、人間の老化メカニズムが解明されているわけで、
これからは老化を遅らせ
人生をもっと楽しむ時代に入っている。

今では信じられないことだが、
体を粗末にしたり、
命を粗末にしたりすることが流行った時代があった。
薬物乱用や自殺ブームだ。

公害によって水と空気が汚染され、
その環境に慣れてくると
人間はいつしか毒を欲するようになる。
毒はまた毒を求め次第にそのスパイラルに嵌って行く。


今一度思い起こしてみて欲しい。
なぜ太極拳を始めたのか?

太極拳はもちろん
特に気功には浄化作用がある。
濁った心が透明になって行き、
そのことで血もきれいになり、
体もきれいになっていく。

きれいになるということは健康になるということ。
美は健康の上に成り立つものだから。


私としては太極拳を始めたのであれば、
透き通るような心と身体を求めようとして欲しいと思う。

少なくとも私はそれを目指している。

2017年8月5日土曜日

空気に溶け込む太極拳

大会を引退してから2週間とちょっと。
徐々に自分の中に変化が起きてきている。

特に今夜の楊式太極拳クラスでの全套路は最高に気持ち良かった。

「見せる」という意識から解放されると
太極拳はこれほどにも変わるものか?

動けば動くほど肩が軽くなり、
腕が軽くなり、
体が軽くなり、
そして自分の体が空気の中に溶け込んで行く。

まるで気の中をゆったりと泳ぐマンタのように。

昨日、数年間表演武術を習っていたある会員さんが、
套路の中で変わった動きをするから
それはなにかと尋ねたところ、
前の先生にこうするときれいに見えると習ったという。

その動きは武術的な意味を持たず、
勁力を下げ、
技としても使えない動きだった。
私はすぐに直すよう指導した。

美しくみせようとする心に放鬆はない。
持論だが、少なくとも私はそう。

太極拳の楽しみ方は人の分だけあっても良いと思う。
他人のことをとやかく言うつもりは全くない。

しかし、一度でもいいから放鬆の世界を味わって欲しいと思う。
もしその体験ができれば、
今まで広いと思っていた世界が途端に狭く感じ、そのことにショックを受けるだろう。
伝統太極拳の世界は宇宙のように広い。

その宇宙を意のまま自由に泳ぐことが出来るのが伝統楊式太極拳。

もし太極拳の流派に迷ったら、
一番に伝統楊式太極拳を選ぶことを強くすすめる。
規定套路の楊式太極拳ではなく伝統楊式太極拳。
同じ楊式太極拳でも全く違う。

美しく演じようという気持ちを捨てよう。
そうではなく、中から動くことが出来たら、
それがすでに美しいのだ。

楊式太極拳の創始者は無敵だったことから楊無敵と呼ばれていたという。
そして今、伝統楊式太極拳の医学的研究が急速に進んでおり、様々な難病を克服するという研究データが増えつつある。

絶対やって損はなし。
いつでも当会を訪れてみて欲しい。

2017年8月4日金曜日

封印

先日のカルチャーで、参加された方に尋ねられた。

「本当に氣で人を飛ばすことができるんですか?」と。

私は即座に「出来ます」と答えた。

実際は氣で飛ばすというより
気の流れを意識し脱力した状態で打つという感じだろうか。

逆を言えば
脱力することにより氣が流れやすい状態をつくり、
そこにターゲットである部分に意識を送る。
するとそこに氣が流れる。
あとは、それに従うという感じになる。

話の流れからしてそれをやって欲しいという空気になったが
それは避けたかったので今は封印していると伝えた。

体験に来られた方をいきなり吹っ飛ばすことなどできるはずがないし、
武術や武道の心得のない方を飛ばしたりして怪我でもされたら大変。

ある時から自分の勁力が急激に上がったことを自覚した時があり、
その日から散手もミット打ちも自制するようになった。

氣の力は自分の想像の外にあるので、
無意識に相手に大きな衝撃を与えてしまう。

氣の力が大きいことも怖いのだが、
それが無意識の状態で起きるということが怖いのだ。

勁力を増大させるには、力みを抜き脱力することが大切と教えている。
それに「打とうとしないこと」とも教えている。

打とうとすること自体今までの習慣で打ってしまうからだ。
今までの習慣=筋力
ということになる。

逆に大きくなった気の力を抑えるには、無ではなく意識しなくてはならず
又、力を弱めるために筋力を使ってブレーキをかけなければならない。

全くもって逆なのである。

いずれも今は封印している。
皆の健康を願って始めた気功と太極拳。
決して怪我人だけは出したくない。

氣の世界に興味を持ってもらうには、
デモンストレーションとしてその力を見せることも必要だとはわかっているのだが、
今はとにかく封印。

やって欲しいと言われても今はやらないと決めている。