2017年7月29日土曜日

見せない芸術

今、丁度楊式気功をやり終えた。

体がすぅーっと軽くなり、気分もスッキリ。
体にたまっていた毒のようなものが煙のように消えていってしまったような感覚。

楊式太極拳に魅せられ15年
この太極拳に出会えてよかったと思える瞬間。

楊式を何かに例えるなら「風」が一番しっくりくる。

これまで演武力を高めるため表演にも力を入れてきたが
今はその表演意識を壊そうとしている。

もう誰にも見せなくても良いのに
まだまだ見た目を意識している自分がいることに気付く。

この表演意識が完全にゼロになった時、
今まで見たこともない素晴らしい世界に行けるような気がしてならない。

見た目を意識すると必ず力が入る。
スーツを着ている時と素っ裸で風呂に入っている時との違いのようなものだろうか。

表演服を着ていると見た目柔らかく見えるが、
表演しようとしていること自体力が入っていることに気付く。
だから表演で放鬆に至ることはないと思う。(あくまでも私は)

力を抜くとなにが良いか?

気の通り道である経絡が開き気血のめぐりが良くなる。
芯から体が温かくなり免疫力を上げる。
温泉に浸かっている時のような気分を味わえる。
肌のハリ艶が断然良くなる。
力に頼ろうとしない分体に隙間が生まれそこに筋力ではない力が入ってくる。

因みに放鬆とは頭の中も空にしなければそれに至ることはない。
頭の中を空にすると〝つながる”感覚を味わえ、
そして、多くの〝気づき”が得られる。

水の入ったコップに水を入れることが出来ないように、
一度コップの中の水を捨てなくては新しい新鮮な水をいれることは出来ない。

これまで私は芸術性も重視してきた。
理由はこれまで何度も書いてきたが、すべて自分に必要なこととしてやってきた。

その私が今、芸術性を捨てようとしている。
いや、正確に言えば見せる芸術を捨てようとしている。

これからは見せない芸術を求めて行きたいと思っている。

新しい自分に出会うために。