2017年6月29日木曜日

1:58の形意拳

先日、弟の絵が大阪の有名なギャラリーに展示されたので観に行った。

これまで何度弟の絵を観に行っただろう?
しかし弟は、兄である私の表演や試合を一度も観に来たことがない。
まあ、いいのだが・・

今回展示された弟の絵を観て思ったこと。

「すばらしい!」
「父の息子の絵だ!」
鳥肌が立つほど感動した。

値札をみるとそれなりの価値がついていたので、それもまた嬉しかった。
自慢の弟だ。

弟の作品は今まで日本最大の展覧会で毎年入選。
もう数えきれないほど。
これまで何度か特賞をとったこともある。

しかし私は正直弟の絵が好きになれなかった。
モチーフもそうだが、色遣いが一辺倒で伝わってくるものがなにもない。
ほとんど魅力を感じなかった。

以前、弟に何故ああなるのかと尋ねたら、絵の具を買う金がないと言った。
その時私は本気で弟に絵の具を買ってやりたいと思った。
まあ実際は買うまでには至らなかったのだが。

その後また弟に尋ねてみた。
何故ああなると。
弟が本気を出せばもっともっと独創的な絵が描けるはずだと思っていたから。

その答えは、いわゆるその傾向があるという理由だった。
私はようやく理解した。
弟は自分の描きたい絵を描いていたのではないと。

これと同じように
私もまた、今、自分がやりたい形意拳ではない練習を行っている。
いや、形意拳の套路そのものは好きなのだが、問題は時間制限。
私の形意拳は2分ではとても収まらない。

収まらない理由は
手数があるからではない。
全くその逆で、一発を打ち込むのにそのパワーをチャージする時間が欲しいということ。

形意拳が他の流派と大きく違う点は、圧倒的に手数が少ないこと。
連打して徐々に相手にダメージを与えるのではなく、一発で倒すところにある。

これでもかと言わんばかりに打ちまくり、息を切らせてしまい、
足元がふらついてしまっているのはとても形意拳とは思えない。
私が知る形意拳は速筋中心の無酸素運動ではないからだ。

「発勁如虎」という言葉通り、一発で獲物を狙おうとする虎と同じ。
駆けあいになり長距離走になったら草食動物には敵わないからだ。

だから本来鍛錬法である套路でその一発を打つためには力を溜めなければならない。
その部分をしっかりやろうとしたら2分ではとても足りない。

自制しながらも2分以内に収めようと早く動いてみる。
1:58
何度はかっても同じタイム。
いつも時間との戦いだ。

昨日、弟子に自分のその演武を目の前で披露した。
人に見せるのは好きではないが、弟子の意見を聞きたかったから。

演武し終わると弟子は心から感動してくれた。

もう、私はこれでも十分だと思った。
私のことを一番良く知ってくれている弟子に評価されるのが一番嬉しい。

傾向対策は大事だと思うが、
かといって自分の武術を捨てたくない。
いかに時間内に自分の武術を収めるかが私にとっての課題。

今になって弟の気持ちがよくわかる。

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ヘッダー画像は私のブログを愛読してくださっているAさんのお友達の写真家ringoさんの作品です。
素敵な絵葉書ありがとうございます。とても癒されます。