2017年4月25日火曜日

楊式刀

私が太極拳を始めた頃
太極拳に武器があるとは知らなかった。

楊式太極拳を必死で覚えている傍らで
先生や先輩方が木刀をもって楊式刀をされている姿に憧れた。
正直カッコいいと。

学生時代少しだけ剣道をやっていたので、
剣道とは明らかに違うその柔らかい動きにとても興味を抱いた。

それからというもの、
私は楊式刀がやりたいがために楊式太極拳を無我夢中で覚えようとした。
そのために当時通っていた近くの教室だけではなく、
先生を追いかけ遠く離れた教室にも通った。

1年が過ぎ、ようやく楊式刀を習える時が来た。
ところがそれからしばらくして
家の事情によりその地を離れなければならなくなった。

それだけに楊式刀への想いが強くなったように感じている。

新しい地に移り住んでからもずっと一人で楊式刀の練習を続けた。
先生の姿を思い浮かべながら、先生に近づきたい一心で。

そうこうしているうちに数年経ち
私はある目的を果たすため楊式刀で競技に出場することを決めた。

当時たくさんの先生方からアドバイスを頂いた。
本当にありがたいことだった。

その一方、私が教わった楊式刀とはどんどんかけ離れたものになっていった。

先生から教わった楊式刀に手を加えていくことに違和感を感じながらも
目的を果たすために来る日も来る日も練習を繰り返した。
そして私の楊式刀は教わったものとは全く違うものになっていた。

「自分ではない」
そのように葛藤しながら

自分を偽りながら
それでも必死で目的を果たそうとした。
大きな目標を叶えるため、
自分に与えられた仕事だと思って取り組んだ。

そうして、出場毎に着実に順位を繰り上げ
4度目で全国10位に。
成績も入賞レベルにまで達するようになった。
あと、0.01ポイントでメダルに届くまでになった。

しかし既に私は壊れかけていた。
心身共にボロボロになっていた。

競技で高得点を得るための過酷なトレーニングと、
それと
自分を偽ることに。

私がやりたかったことはこれではない

先生(今は師匠と呼んでいる)の楊式刀は、
足取りかろやかで力みのない柔らかい刀さばき
まるで風のようだった。
飾ろうとする意識など皆無にみえるほど、自然で、それがまた美しかった。

競技のために作り上げた楊式刀はもはや楊式刀ではなくなっていた。
演武している自分が嫌で嫌でならなかったし、
何度も吐き気を催した。

競技に求められる美しさはあくまでもつくり込んだ美。

前にも少し似たような話をしたが、
本物の夕焼けとCGで合成された夕焼けとどちらが感動するだろう?

やはり自然には敵わない。
人もまた、自然体が一番美しいと思う。

目的は果たせなかったが、
私はこれで良かったと思っている。

あのまま、メダルを取りに行こうとすれば、
私は自分の楊式に戻れない体になっていたかもしれない。
道を踏み外していたかもしれない。
そう考えるととても切なく恐ろしい。

入賞まで0.01という数字は、私を試させたのだと思う。
自分が本当になにをやりたいのか。

楊式太極拳において〝演技”しようとしたら、
それはもうすでに楊式太極拳ではない。

そうではなく内なる力に耳を傾けそれに従う。

その時に飾らない自然の美しさがにじみ出て来るのだと思う。

美を求めるのではなく、
本物を追い求めた結果が美となって表れる。
少なくとも私はそう考える。

***

今は存分に放鬆の世界を楽しんでいる。
肉体と心の疲れから解放され、体の中に氣が集まり始めている。

氣の正体

ようやく解った氣の正体。

約20年前
連日苦境にさらされ、その時に得た悟り。

が、諦めないで突き進むと
いつしか予知能力が身につく。

数分先、
数十分先、
数時間先のことが見えるように。

そして私を動かす私。

この時の状態こそ、無の状態。

無、
わかりやすくなると考えないこと。
もっとわかりやすく言うと
アホになること。

頭を空にし、
体を極限までリラックスさせる。
体の中をスカスカにする。
その空間に氣が入って来る。

この氣は人間以上のことを可能にする力を持っている。

今日は双辺太極拳を練る時、
可能な限り瞑想し、
そして可能な限り脱力した。
そこに自分を動かす自分がいた。

偉大な力を持つ氣を味方につけるには

体の中を空洞にすること

2017年4月17日月曜日

無名であれども

いかに著名な先生に習っても順序がある。
いきなり奥義を教えてもらえることはない。
奥義というものは本格的に弟子入りして何年も経ってようやく授かるもの。

師弟関係とはお互いのことを知ることが必要だと思う。
弟子は師を理解し、師は弟子を理解する。
それによって、その都度必要なことを授け授かっていく。

お金を払えば教えてもらえるというものではないと思う。
また、お金を払ったからと実力が上がるというものでもないと思う。

一番大切なのは「絆」だと思う。

私の師は決して著名な先生ではない。
しかし実力派の先生であることは確か。

楊式太極拳の本当の凄さを教えてくださる。
あの静かで柔らかい動きの中に無限の力が秘められているということを体で感じさせてくださる。
そして、なにより遠く離れた私のことをいつも思っていてくださる。

出版物を出しているとか、
直系の先生であるとか、
競技会等の優勝者であるとか、
私にとってはあまり関係ない。

決して見せかけではなく本当の実力。
長年かけて築きあげられた絆。

私にとって最高の師であり、たった一人の師である。

2017年4月13日木曜日

競うべからず

太極拳は自分と家族の身を守るために編み出された禅を取り入れた武術。
人と競うために生まれたのではない。

伝統太極拳は体を養い活力が得られる。
競技太極拳は体を酷使し疲労がたまる。

同じ太極拳なのに、そのベクトルはまるで正反対。

伝統太極拳に出会い、伝統だけで鍛錬していた時は、
疲れ知らずの体を得た。
しかし競技に出場するようになり、肉と骨が悲鳴をあげ出した。

練習すればするほど体の中は疲労物質で充満し、
どれだけ栄養をとっても、どれだけ寝ても疲れが癒えることはない。

健康を取り戻し長生きしようと思って始めた太極拳。
このままでは寿命を縮めてしまうと危機感を感じた。
(長年予防医学を勉強し続け、様々な実体験もしてきた私の中での直感です)

そして今は気功中心の太極拳に立ち戻り、すっかり調子を取り戻した。
病気しない、怪我しない、
難病を克服し、怪我の治りを早めることのできる気功太極拳。

競わないということで言えば、推手も同じ。
競おうとするとうまくいかない。
簡単に崩されてしまう。

競うのではない。
許す。
受け入れる。

これにより心がゆるみ身体がゆるむ。

これは単に技術的なことだけを言っているのではない。
人間性も変わってくる。

競うことで生まれる優越感と敗北感。
このギャップにより決して良いとは言えない気を感じてしまうのは私だけだろうか?

太極拳はいわゆる武術なのかもしれないが、私は武道だと思っている。
術ではなく道。
生きる道であると。

2017年4月11日火曜日

揺れる立禅

当会では立禅を重視している。

理由を一言で言うなら、
太極拳を太極拳として完成させるため。

套路で壁にぶつかる。
動きが安定せず、柔らかい動きができない。
その時に立禅に重要性に気付く。

推手で壁にぶつかる。
打てない、いなせない。
その理由もまた正しく立てていないからということに気付く。

散手で壁にぶつかる。
技がかからない。
その理由もまた沈んで立てていないからということに気付く。

逆に考えれば立てなければ動けるわけがないし
動けないものが崩したりいなしたり技をかけたりなんてできるわけない。

脚が開くようストレッチをするのもいいだろう。
高く飛べるよう筋トレするのもいいだろう。
しかし私は立禅をする。

站椿功という言い方もあるが、当会では立禅と呼んでいる。
站椿功は杭のように立つという意味だが、立禅は禅だからだ。

立つだけの練習なら、テレビを見ながらでもできる。
しかしそれで本当に効果が上がるだろうか?

気の存在を信じる信じないは別として、
体に気を自在に通すことが出来るようになると
腕の重さや硬さを自在に変えられるようになる。
気功で鍛えた腕に触れてみればそれはすぐにわかる。

気を通すためには邪念があっては駄目。
頭を空にし、気を静めることで始めて体の中を流れる気を感じることができるようになる。

木の幹に耳をあてて水が流れる音が聞こえると言う人がいる。
そのためには邪念があっては駄目だろう。
耳を澄ませ木の中に意識を送り集中しなければいけないだろう。

そんな風に自分の体の中を流れる気を感じる。
立禅はただ立つだけの鍛錬ではない。

因みに立禅で大事なことは、姿勢を整え、息を整え、意識を整える。
傍から見るとじっとしているようにみえるがじっとしようとしてはいけない。
それは立禅ではない。

じっとしようとすること自体力んでいるわけで、気の流れを妨げる。

その逆。

二輪車で倒れず静止しようとする時ハンドルを小刻みに動かしバランスをとろうとするように、立禅でもそれは同じ。
静止しているかのように見える独楽も実際は回っているのだ。
止まってはいけない。

姿勢を正しながら立っていられる極限まで体をゆるめていくと、自然とゆらぎを感じる。
そのゆらぎに対抗しようとせずにそのまま受け入れる。

これによって〝何か”が変わってくる。

その何かとは、套路であり、推手であり、散手だ。

当会では、気功、套路、推手、散手は四輪車のタイヤだと思っている。
ひとつが欠けてもその車はうまく走れないように
太極拳も太極拳として完成することはない。

このようにして、禅を行うことが強くて健康になれるということ。
少なくとも私はそう信じ修行を続けているし
そのおかげで長年健康を維持している。

2017年4月9日日曜日

太極拳は鬱病を克服できるか?

誰も信じてくれないのだが、私は人前で話をするのが苦手。
伝えたいことはたくさんあるはずなのに、人前に出るとどうにもうまく言葉が出てこない。
人と目を合わせるのが恐く、うまく話せずついつい噛んでしまう。

私がこんなふうになってしまったのには理由がある。

IT革命が起きた1999年
当時私は毎日100人以上の人と接し、
大勢の前で講演したり、
スピーチしたり、
司会を務めたこともある。
場を和ませたり盛り上げるための言葉が果てしなく湧いてきて、
どうにも止まらないほどだった。

今思えばあれは私ではなかったような気がする。
何か強大なエネルギーの塊のようなものが私の中に入ってきて、
そのエネルギーがそうさせていたような感覚だった。

辛いことから逃げ出すのではなく、どんなに辛く悲しくともめげずに立ち向かって行けば、人間、自分を超えた能力を発揮できるようになる。
そのことは当時とても実感した。

しかし、私をこんなふうに変えてしまったのは、良くも悪くもIT革命。
私はITによって地球環境を変えようと決め、まず最初に行った行動が、家から出ないこと。
理由は家から出ると無駄なお金を消費し、しかも移動のために車や電車を使うと公害を発する。
それを抑えるために私は家から出ないと決めた。

そして私は家から一歩も出ずしてかつての2倍の収入、いや1か月で100万円近く稼いだこともある。
今もYouTubuなどでそのような収入を得ている人がいるようだが、私は18年前にそれを経験していた。

確かに私は無駄を一切省き地球環境に貢献したし、十分な収入を得た。
灰色だった空と海がかつての青さを取り戻し、自然を取り戻した。

皆、戦後から20年前までの日本がどのようなものだったか覚えているだろうか?
今は中国の公害がよくとりあげられるが、当時は日本がそうで、公害大国ニッポンと呼ばれたほどだった。
海も川も空も汚染され酷いものだった。

当時私のしたことは微々たることだったのかもしれないが
少なくとも私は2万人の組織でITを促進させるリーダーとして活動した。

しかし、それと引き換えに私は心の病にかかってしまった。

家から出ないということは人と合わないということ。
かつて毎日多くの人と接し輝いていた自分はその光を失い暗闇の世界へ。
街で合う人すべてに笑顔で声をかけることが出来たのに、それが目も合わせられないほどに。
そして次第に人を避けるようになっていった。
体力はどんどん衰え、毎日起こるとてつもない頭痛。
腰痛肩こりも酷く、外に出ると5分も歩けない程体力が衰えていた。

さすがに危機感を感じた私は心の向くまま近くの図書館へ。
そこで目についた本をぱらぱらっとめくってはっとさせられる一文が目に飛び込んだ。
「心と体は繋がっている」というような一節だった。

私は部屋に引きこもり体を動かさなくなってしまったから心も失ってしまったのだと気づいた。
その足で私は近くの公民館へ。
なにか体を動かすことをしなければと。
そこで目に入ったのが太極拳サークルのポスター。

これが私が太極拳を始めるきっかけになった。

サークルの人達は温かい人ばかりだった。
先生もやさしい方だった。
そして今教わったばかりなのに、起勢から先をどうしても思い出せずひとりもがいていた自分がいた。

それから約15年
今は約70人の会員を指導するサークルの代表になり毎日指導を行っている。
確かに私は15年前の自分から比べると変わった。

しかし、まだかつての自分を取り戻していない。

とにかく、恐れず怖がらず皆の前に立って指導しようと。

かなり良くはなってきているが、まだ完全でなはい。
だから鬱病を完全に克服できるかどうかは私にとってのテーマ。
いや、もしかしたら鬱病ではなくかつての自分とのギャップに苦しんでいるだけなのかもしれない。

いずれももう一度あの光を取り戻したい。
そのために修行あるのみだと思う。

2017年4月8日土曜日

稽古着は体の一部

昨夜の形意拳クラスでの稽古は異様に暑かったので上着を脱いで稽古した。
多分、私が半袖で指導するのは4年ぶりだと思う。

なぜ当時、稽古着を着ずに半袖や長袖のTシャツを着ていたかというと、
私はまだ講師ではなく皆と共に太極拳を楽しむ仲間なんだという意識だったから。

皆と接する時も講師というプライドを盾にするのではなく
共に太極拳をする仲間という感じで皆と接した。

私がそんなだったから、親しく接してくれる人もいれば、
それを逆手にとって横柄になる人もいた。
態度が悪いだけならまだしも、周りを巻き込み、悪い空気を振り撒こうとした時はさすがに呼び出してそのことを本人に注意した。

注意すると言っても私は感情的になることはない。
きちんと相手が理解できるように丁寧に説明しながら話した。

それでも逆ギレされ私の元を去って行った。
私はこれも縁だと思っているし、勉強だとも思っている。
態度は悪かったがその方々のお陰で今の私があり、今のサークルがあり、そして今の仲間と巡り合えた。
その方々には心から感謝の気持ちを述べたい。

ところで、私は今は常に稽古着を着て指導をしている。
これが私の仕事着だからだ。
スーツを着たり、白衣を着たり、作業着を着たり、
どの職種にもその仕事に適した服装や制服がある。

私は先生の稽古着に憧れ
10年間Tシャツとトレパンで下積み稽古を行ってきた。
いずれ先生のように稽古着に身を包み、カッコよく指導出来るようになりたいと夢見てきた。
(正確に言えば、演武服の商売をされている先輩にモデルになって欲しいと頼まれ、一時期稽古中その演武服を着ていたことはあるが)

だから、私にとって稽古着を着るのはそれまでお預けにした。
いずれも先生と同じものを着るわけにはいかない。
私は生徒であり、先生に教えを乞う立場だからだ。

昨夜はTシャツ一枚でで稽古していたが、暑さも感じなくなったのでまた上着を着た。
するとある会員さんが、出来れば上着を脱いで欲しいと。
手の動きが見たいからだということだった。
頑張っている生徒の頼みとあらばと、ひとまず要望に応えた。

しかし稽古着は私にとって仕事着。
着るとスイッチが入り誠心誠意指導しようという気持ちになる。
だから今後は脱いで欲しいと言われても多分脱がないと思う。
(要望に応えられず申し訳ないが・・)
やる気スイッチが切れてしまうからだ。

それに稽古着は私にとって体の一部。
刀や剣と同じ。
身に着けているものや手にする物には魂が宿る。

以前、飛び込みの営業の仕事をしていた時は、
ビシッとスーツに身を固め断られても断られてもめげずに頑張って営業を続けた。
そして遂には1日に10件以上の契約がとれるほどまでになった。
社長がとても驚いていた。無論会社では営業成績1位だった。

だから仕事をする時の服装はとても大事だと思う。
稽古着は私にとってそれほど大切なもの。

2017年4月1日土曜日

黙念師容 

黙念師容(もくねんしよう)
中国語読みすると、ムーニィェンシーロン

意味は、先生の動きをしっかり見て脳裏に焼き付けておくこと。

私が太極拳を始めたばかりの頃、一番意識したことだ。
その頃は黙念師容という言葉も知らなかったが。

ただただ私は師匠のように動けるようになりたかった一心で、
師の動きを観察しまくった。
休憩中も師匠の動きを観察した。
お陰で、演武だけではなく師匠の癖まで似てきてしまった。
無論それも嬉しいこと。

自慢ではないが、師匠の動きが変わるとそれをいち早く察知したのは他の誰でもなく私だったと思う。

私は師匠を真似たというより、
師匠を自分と思い込みイメージして一緒に動いていた。

そして今も師匠に稽古をつけて頂く時、
稽古の初めから終わりまでひたすら師匠の動きを観察する。

一度の稽古で、太極拳、心意拳、八卦掌、武器術、推手、散手、対打、暗勁練習等・・
あまりにも稽古内容が多く、正直付いていけないし、頭にも入りきらない。
だが、最後まで見ることを止めることはしない。
とにかく必死で師匠の動きを頭に焼き付けようとする。

そして、家に帰ってから師匠の動きを思い出しながら真似てみようとする。
これが割と出来てしまうのだ。

これは決して私の見る力や覚える力が長けているからではない。
幼いころから暗記は大の苦手だ。
ただ、見ようとする力が長けているだけ。
これは能力ではなく努力だと思う。

ほとんどの人がある程度動きを覚えると先生の動きを見なくなる。
自分は出来ていると錯覚してしまうのだ。
ここからが我流街道の始まり。

武術の道からどんどん外れていくことになり、
ちょっとしたズレでも時間の経過と共にそのズレはどんどん大きくなる。

自分で套路の練習だけをしていると余計に危険。
套路だけではズレていることに気付けないから。
そのために稽古という場が提供されている。

推手をして、姿勢の悪さや力みに気づき、
散手をして、技が掛からないということに気付く。
技の使い方ではなく、その技が本当に生きるかどうかということ。

だから、私はこれからも黙念師容を続けて行こうと思っているし
師匠に自分の演武を評価してもらおうなどとも思わない。
(というより見てももらえないのだが・・)

ただただ師匠についていくのみ。