2017年2月19日日曜日

弟子とは

私には今二人の弟子がいる。
ふたりとも自分から弟子にして欲しいと志願してきた。

弟子だからと言って特別扱いはしない。
むしろ弟子だからこそ厳しく接している。
「泣くな」「落ち込むな」「痛がるな」「諦めるな」「自分を信じろ」
いつでも腹を割って話すようにしている。

最初、私に申出てきたとき、
「私なんかで良いのか?」
という気持ちが強かった。

まだまだ修行中の身だし、学ばねばならないことだって山ほどある。
教えられることだってほとんどないし、
世の中には有能で素晴らしい師が大勢おられるのに何故私などに?と。

しかし、二人とも私のことをこう言ってくれる。

表現こそ違うが、
私の武術に対する姿勢や、努力し続けるところに惹かれたと言ってくれる。
又は、自分がずっと追い求めていたものを持っている人が私だとも言ってくれた。
運命的な出会いとも言ってくれた。

その言葉に嘘はない。
目が違う。

今の私はまだまだ未熟そのものだが、
こんなことまで言ってもらえて、断ることなどできるはずがない。
ただただ、弟子たちの期待に応えられる師になれるよう努力しようと。

弟子達は常に私の考えに同調してくれ、
困っている時は協力してくれ、
足りないところを補ってくれ、
そして、些細なことでもお礼の言葉を欠かさないし、
叱ればすぐさま心から謝ってくる。
そして、私の最期を看取ってくれるとも。

私ごときがまだ弟子をとる身分ではないが、
あえて言うなら、
私が選ぶ弟子とは武術の実力云々ではなく、やはり人間性。

どんな時でも私の考えに付いて来てくれる。
これほど心の支えになるものがあろうか。

私はこれまでのブログに何度か書いてきたが、
お礼と謝罪が出来ない人、言い訳をする人とはお付き合いしたくない。
こういう人は頑固で石頭で自分を変えようとしない。
自分を変えようとしない人が武術の腕をあげられるわけがない。

言い訳にやたら時間をかける人がおられるが一体なんのメリットがあろうか?

逆に言えば、私はお礼とお詫びが出来る人、
努力する人を大いに好む。
頑張る人が好きなのだ。

逆に、自分を認めてもらおうと小細工をしてきたり、
裏から手を回してきたり、
自分が人より優れているところをやたら誇張してみたり、
そういう行いはすぐに見破ってしまうし、
このような人は出来る限り避けたい。

心が澄んでいれば汚いものをすぐに感じとってしまう。
これも気功の効果だと思う。

私は必ず人を選ぶ。
来るもの拒まずではない。
来るものを徹底的に選んでいる。

選ぶことは私にとって一番大事な仕事。
もし少しでも選択を誤れば自分の人生を転落させてしまうことになるだろうし
道連れになる者も出るだろう。

大袈裟と言われるかもしれないが、
選択することは私にとってそれほど大事なこと。
決して私は安易に人を選んではいない。

父が最も大事なことは「選ぶこと」と教えてくれた。
そして私もまた半世紀以上あらゆる経験を積んできてそのことが一番大事だと知った。