2016年12月29日木曜日

楊式で始まり楊式で終わる

2016年1月1日0:00

楊式太極拳で始まった一年がまもなく幕を閉じようとしている。

今年はあまりにもいろんなことがあった。

自分自身のこと
サークルのこと

恐らく自分が本気なのか徹底的に試されたのだろう。


一月  弟子のこと
二月  発表会メンバーの故障
三月  参加者急減
四月  運営危機
五月  武術の転機
六月  競技のこと
七月  記録更新成らず
八月  森ノ宮スタジオの契約解除
九月  伝統への想い
十月  不休の日々
十一月 精神力との戦い
十二月 新たなる挑戦


悪いことばかりではない。
嬉しいこと、楽しいこと、良いこともたくさんあった。
しかし、悪いことは自分自身を強くする。

かつて私が過去味わったことのないほど自信喪失したのは
慢心によるもの。

慢心が一番恐ろしい。

だから悪いことは自分にとって最高の贈り物なのかもしれない。

実は今の私は武術以外に鍛えなくてはいけないことがある。
誰も信じてくれないのだが、
人前に立つこと。

過去、数多くの舞台に立ち、司会や講演等も行ってきた私だが
ある事件を境に完全に自信を失ってしまった。
その後は人と会うことを避け、長期間引き籠ることに。

このことがまだ克服できていない。

来年の目標は未来ではなく過去の自分を取り戻すこと。
本来の自分を取り戻すこと。

そのような気持ちもあり
今日は楊式太極拳を30分以上かけて練ってみた。
こんなにゆっくりと套路に集中できたのはどれぐらいぶりだろうか。

今年もあと2日。

今年一年を振り返り、
来年に向け過去の自分を取り戻し、
そして、新しいことにも挑戦していきたい。

2016年12月20日火曜日

なんでもいい

私が太極拳を始めたばかりの頃、様々な疑問にぶつかった。

そしてそのことを師に尋ねると
返ってくる答えは大概決まってこうだった。

「なんでもいいんだよ」

私は師のこういうアバウトなところが好きだった。
(今もだが)

難しい質問に対して返ってくる返答は
難しい答えではなく、その真逆だった。

私は31歳の時から独立事業主となり、多くの人材を育成してきた。
伸びて行く人もいればそうでない人もいた。

そしてそれぞれ共通することがある。

伸びる人の共通点。
それは素直さ。
すぐに実行に移す。
なにも考えてない。
とにかく、やってみよう!精神。

逆に伸びない人の共通点。
考えてばかりでなかなか実行に移さない。

これは太極拳にも共通することだと思う。

私は立禅の時いつも言うのだが、
「頭を空に」と。

人間は考える生き物だが、
人が考えている時は過去のデータを参照している。

しかしどうだろう?

新しいことをやろうとしているのに過去のデータが参考になるだろうか?

今からやろうとしていることは、やってみなくてはわからないこと。
未知のことをやろうとしてるのに経験を元に考えても無駄なのだ。
というより無駄であることに気付いて欲しい。

もう、考えるのはよそう。
考えたって答えなんか出やしない。

とにかく何度も何度も繰り返し練習する。
それしかない。

繰り返し練習しているとそのうち気づきが得られる。
自分がまだ経験してない未知の知識を得ることができる。
それには練習しかない。

「なんでもいい」
の意味は
「なんでもいいから練習しなさい」という意味なんだと思った。

2016年12月19日月曜日

好きになることのパワー

「好きこそ物の上手なれ」という諺がある。

誰しも苦手部分は多かれ少なかれ必ずあると思う。

それを克服する方法もいろいろあると思う。

その中でも私が思う最も手っ取り早い方法。

それは、好きになること。

套路を通していて苦手部分に近づいてくると、ついつい「嫌だな」と思ってしまう。

苦手と思う部分を嫌だなと思ってしまうと、相手も嫌がる。
だから上手くいかない。

そして、
そう思ってるうちは一向に苦手部分を克服できない。

噓でもいいから、苦手な部分を「好きで好きで堪らない!」と思ってみよう。

どうだろう?

今までとは何か違った感覚があるはず。

好きという想いは相手をひきつける力がある。
好きという感情の中には楽しさがある。

そう思うことで、身体がその楽しいイメージに引き寄せられ
苦手だった部分が難なく上手くこなせるようになったりする。

苦手とうまく付き合う方法。

それは好きになること。

2016年12月14日水曜日

教えたくない軸の話

本当は教えたくないのだが、
姿勢がなかなか良くならない方のためにお話ししようと思う。

姿勢を正す。

かつて姿勢を正すといえば
胸を張り、
腰を反らせ、
尻を突きだすような姿勢を求められた。

とにかく「背中を丸めるな!」と。

しかし、私は気功の時間に、「まるめなさい」と指導する。

正確に言えば、丸めるのではなく、
背中が反っているから、真っ直ぐにしようとしても真っ直ぐにならないからだ。

私は指導の時、こんな風に言葉をいろいろ工夫するようにしている。
何故なら皆に太極拳で健康になって欲しいし、強くなって欲しいからだ。

とにかく仙骨から頸椎にかけて定規で引いたように真っ直ぐにする。

これを立身中正(りっしんちゅうせい)という。

しかし、これの意味を知っている人がどれだけいるだろう?

私からの答えは

背筋をまっすぐにするだけで病気知らずになる。
背筋をまっすぐにするだけで肌がきれいになる。
背筋をまっすぐにするだけで頭が冴え心が強くなる。
背筋をまっすぐにするだけで美しい演武に変わる。
背筋をまっすぐにするだけで強くなれる。

とにかくいいことづくめなのだ。

これらをすべて医学的、物理的、霊的に説明することも出来るが、
ここでひとつ、その証拠となる実験をしてみよう。

牛乳の蓋、又はペットボトルの真ん中に穴をあけ、そして爪楊枝を通しコマをつくる。

回してみよう。
きれいに回っただろうか?

もしうまく回らない場合は中心がずれているからだ。

太極拳も同じ。
中心軸がずれるとうまく動けない。
なぜなら太極拳は円の動きだから。

そして、もうひとつ。

うまく回らない理由がある。
それは爪楊枝が曲がっている場合。
仮に頭の部分を切れてしまわない程度に少し曲げてみよう。

それでうまく回るだろうか?

こんなふうに軸がずれたり軸が歪んでいるとコマはうまく回らない。

当会でスワイショウを行うのは、単に身体をほぐすためだけでない。
中心軸を自分で知るため。

腰を反らせたり、首を傾けたりしてうまく回れるだろうか?

太極拳の戦術として欠かせないのが化勁。
化勁は軸が出来ていないと使えない。
その軸感覚は準備運動で行うスワイショウで養うことができる。
だからスワイショウを適当にはして欲しくない。
手を回せばいいってことではないのだ。

いずれも軸が出来ていなければ化勁は使えない。
化勁が使えなければ太極拳にはならない。
受けて打つなら、それは他の剛拳となんらかわりない。

柔よく剛を制す

それは化勁を使うことで剛を制することができる。

ここで勘違いして欲しくないのだが、柔とは体の柔軟性ではない。
体が柔らかいからといって太極拳が強くなるわけではない。
開脚が出来るからと言って、化勁が上手くなるわけではない。
柔らかいの意味が違うのだ。

話が反れそうなので戻すが、

いずれも、姿勢を正すことは想像以上に重要で、
そして何より多くの利益を生み出す。

当会では、まずこの姿勢を徹底的に指導する。
出来ていなければ何度でも指摘し、正しい姿勢になるまで繰り返し指導する。

何度も言うが、皆に健康になって欲しいからだ。
強さと美しさは健康の上に成り立つものだから。

2016年12月13日火曜日

棍を始めた理由

私が棍を始めた理由はやはり孫悟空だろうか。(笑)

長い棒を自在に操ってる姿はかなり惹かれるものがあった。

私は剣道もしていたことがあるが、
同じ道場の女性が稽古していた薙刀に憧れたりもした。
長い棒をしなやかに操り、それが魅力的に見えた。

短い棒の方が確かに実用的と言えば実用的だ。
カサや杖、ステッキなどがそのまま護身用の武器になる。

しかし棍の歴史は古く、原始時代から狩猟や戦のために使われていたのだそう。
要するに人類が誕生した時から棍は存在するということになる。

そして石器時代になると、棍の先に尖った石を括りつけ槍とした。

確かに獲物を捕らえようと思えば、短い棒より長い棒の方が遠距離操作できる。
こんなことは知識がなくとも、誰でもすぐに思いつきそうなことだ。

いずれも実際、棍を始めてみると想像以上に楽しい。

まずは基本中の基本である劈棍(へきこん)
真っ直ぐに立てた棍を単に打ち下ろすだけ。

この単調な動きを何度も何度も繰り返し行う。
これがすこぶる楽しい。
何度でもやりたくなる。

コツとしては振り下ろした時に棍の先である棍梢(こんしょう)がぶれないようにすること。
ブンと振り下ろしてピタリと止める。
最初はこれがなかなか難しい。
しかし繰り返し練習を行っていると、ピタリと止められるようになる。

他にもいろいろな打ち方があるが、どれも楽しい。

私が行う棍は形意棍。
元々形意拳は棍から生まれた拳法だという説がある。
形意棍を始めてみると、確かに頷けるものがある。

形意拳は内家拳では最強の拳法と言われるが、
それは刀も剣も棍もすべてそうだと思う。

形意拳の歩法と棍の動作が組み合わさって、棍に大きな力が発生する。
決して腕の筋力で生み出した力ではなく、
地球の力を最大限に使う。

形意棍は棍術のような跳躍動作などの派手な動きはない。
至ってシンプル。

しかし、棍梢に伝わる力を感じる時、この形意棍の力強さを実感する。
パワーを感じる瞬間と言おうか。

今度の日曜日に基本棍法練習会なるイベントを行う。
ここではその基本的な動作を繰り返し練習しようと思う。

棍は腕で操作するのではない。
体全身を使う。
棍の練習を行っているとすぐに夢中になれ、ついつい時間が経つのを忘れてしまう。

明らかに太極拳とは違った楽しさがあり、
やり終えた後、妙にスッキリし、ストレスも吹っ飛ぶ。

外の温度は今5度前後。
それでも外で棍の練習をしているといい汗をかく。
実に気持ちいい。

2016年12月7日水曜日

15秒で体はほぐれる

私が稽古中によく言うこと。

「心がゆるめば体がゆるむ」

なぜなら体は心が支配しているから。

逆を言えば体がゆるめば心もゆるむ。
体と心は繋がっているのだ。

気持ちが固くなってると動きも固くなる。
動きが固いと心まで固くなってくる。

だから私は稽古中の雰囲気づくりに気を払っている。

緊張した空気は心を委縮させ、体を委縮させてしまう。

稽古にイライラを持ちこまない。
私が一番許さないこと。

放鬆放鬆!と怒鳴っている先生がおられる。
失礼だがその先生は放鬆の意味を知っておられるのだろうか?
怒鳴っているあなた自身が放鬆していないのに、
生徒が放鬆できるはずなどない。

言葉だけでは伝わらないのは
心が伴っていないから。

その気になれば15秒で体はほぐれる。

ゆっくり手を広げながら、ゆっくり息を吸う。
ゆっくり手を降ろしながら、ゆっくり息を吐く。
これだけで体はゆるゆるになる。

大事なことは、「気持ちいい」と感じること。

体は心が支配しているのだから。

2016年12月6日火曜日

最速の上達法

最速の上達法。

それは
素直さ。

素直は最強だということをわかってない人は意外に多い。

損してるなと思ってしまう。

逆に言えば素直になることは損だと勘違いしてる人もいる。

素直はなんでも吸収できる。
教わらなくとも盗む力もある。
アンテナの感度が半端ではない。
集中力、学習力、記憶力
どれもこれもマックス状態に。

逆に頑固は伸びない。
変わりたくないと思ってるから頑固になる。
吸収できない。
アンテナ受信しない。
今までの経験だけで動こうとする。
そもそも変わりたくないのなら上達するわけがない。

頑固はカッコイイと思ってる方、
勘違いも甚だしい。

私が頑固になるのは死んであの世に行ってから。
生きてる間は死ぬまで素直でいようと思う。

何故なら死ぬまで成長し続けたいから。

因みに素直でないということは、
自分に対して嘘をつくのもそうだ。

実力もないのに実力があるように見せる。
逆に実力があるのに実力がないように見せる。
こんなことをする時代はとうに終わっている。

今は自分に素直になること。
あらゆる師に素直になること。
ピュアになること。
そういう時代なんだ。

ハードボイルドとか
おバカキャラとか
そういう時代ではないのだ。

自分らしく生きる。
これが一番賢いし、これこそが21世紀に生き方。

いつまで意地をはるのか?
いつまで自分を偽るのか?

すでに死へのカウントダウンは始まってるのに、
時間を無駄にするのはよそうではないか。

生まれてきたことに感謝しようではないか。

肉体がある限り自分の可能性に挑戦しようではないか。

2016年12月4日日曜日

春日初の第一回昇級試験

会を立ち上げて3年と8ヶ月。
ようやく昇級試験が出来るまでになった。
今とてもドキドキしている。

立ち上げ当初
会員は2人
青空太極拳参加者2人
公民館フェスタ参加者4人

そして今、
会員数77人となった。

その中から受験者17人
この中から春日伝統太極拳を引っ張って行ってくれるリーダーが誕生する。
ようやく夢の実現。


当会で行う昇級試験は5級から套路試験以外に推手と散手が副科として加わる。
2級からは武器が副科として加わる。
1級に至っては当会で行っている4種目の套路と推手と散手をマスターしたということになる。

前回のブログでも書かせて頂いたが、
太極拳を行う上で推手と散手は必要不可欠。
これからがなければ本当の意味で太極拳の意味や原理を知ることはできないだろう。

そして初段からは勁力試験を行う。
そのためにいくつかのユニークなテストを検討している。

いずれも勁力が使えなければ太極拳を習得したことにはならない。
そして勁力を開発しよういう過程には自ずと体がどんどん健康に向かう原理が備わっている。

これが春日流の有段者。
健康でなければ武術家とは言わない。


そして明日、
私にとっても初めて試験官となる。
試験を受けるのも緊張するが採点するのも緊張する。
公正な点数をつけるためにも非常に責任を問われる。

ひとつ言えることは私一人が採点するのではないということ。
会員全員の代表として私が採点することになる。

誰が見ても納得する採点でなくてはならないからだ。


いずれも明日、受験者の方々は
これまでの練習成果を遺憾なく発揮し最善を尽くして頑張って欲しいと思う。

心から応援しています。

2016年12月2日金曜日

気・套・推・散

当会では、気功、套路、推手、散手の順で毎回稽古を行っている。
この4つは太極拳を行う上で絶対に欠かせないもの。

気功から入る理由は、体をゆるめる理由もあるが、それだけではない。

単に鬆身効果を狙うだけの簡単なものだと解釈するのは危険でさえあると思う。
その理由は今後ゆっくり書いていきたいと思うが、
気功で得られることを言葉にするのは難しい。

私は長く美容関係の仕事に携わっていたが、
美容液や高級クリームの効果を最大限にしたかったらまず洗顔に力を入れること。
これは鉄則。

顔を洗うということは単に顔をきれいにするだけではなく、
肌に栄養を入れるためには絶対必要なのである。

普段、かんたんな洗顔では落ちない肌表面の垢や毛穴に詰まった汚れ。
これらを取り除かなければ1万円の美容液の効果は2000~3000円になってしまうだろう。
逆に正しい洗顔を行ってやれば2万円の効果、3万円の効果だって得られる。

何が言いたいかと言うと、
まずは浄化することが大事ということ。

私は自主練の時も必ず気功を行ってから始める。
まずは体を清めることから。

このことは気功でしか得ることはできない。
普通に準備運動やストレッチを行っただけでは浄化を行うことはできない。

まずは身も心もフラットな状態にする。
そして太極拳を体にじっくり浸透させていく。

この順番は非常に重要。
逆に気功を行わないで太極拳をしようとすると調子が狂うし、
本当の放鬆(ほうしょう)は得られない。

そして、次に推手(すいしゅ)、散手(さんしゅ)という順に稽古を行う。

推手と散手は太極拳の質を確実に高めてくれる。

因みに推手を行わなくては太極拳が太極拳になることはない。

なぜ太極拳はあのようにゆっくりやわらかく動くのか。
そのことが本当の意味で理解できるようになる。

あの動きは空気を受け入れ、空気を導き、そして空気を動かしている。
推手はそれを相手と手を合わせることによって、その意味を知ることになる。

散手もしかり。
これを単なる技の練習と思うのは危険だと思う。
単なる技の掛け合いだと思うなら、それは太極拳にはならない。

推手で学んだことを散手に生かすことができる。
逆に推手を行わないで散手だけをしてもこれまた太極拳にはならない。

太極拳の達人が技を掛けると、まるで魔法を掛けられたように人が吹っ飛んで行く。
或いは、手を触れただけで相手がその場で崩れ落ちる。
それは単に力学だけではなく禅によって得られる力が加わるからである。

とまあ、こんなことを気付くようになっただけで、
私の修行はまだまだ始まったばかり。

とにかく、太極拳を修行する上で、「気・套・推・散」は必要不可欠であることだけは伝えておきたい。