2016年10月20日木曜日

推手も禅、散手も禅

太極拳は一体何の部類に入るのだろう?

格闘技?
武道?
武術?
舞踊?
芸術?
スポーツ?
健康体操?

説明する時にいつも困る。
しっくりくるジャンルがないのだ。

もちろん太極拳は武術なのだが、
近代武術はスポーツとして解釈されていることを考えるとそれもまたしっくりこない。
(あくまでも私の中では)

私の場合、太極拳は「禅」だと思っている。

禅とは?

頭を空にして、
気を丹田に沈め、
煩悩(ぼんのう)を解き放つこと。

煩悩とは妄想や欲望のこと。

私の経験上、頭で物事を考えるとロクなことにならない。
といったら言い過ぎかもしれないが、
少なくとも套路を練っている時に考え事をするとどこをやっているのか解らなくなる。

簡化太極拳であれば繰り返し動作がないから、演武している最中迷子になることはないだろうが、
伝統太極拳の場合は繰り返し動作が多いから、集中が切れるとどこをやっているのかわからなくなる。

いわゆる伝統太極拳は集中力を試されているのだ。
逆に言えば集中力を養っているともいえる。

集中とは読んで字の如く真ん中に集まるということ。
真ん中とは?
丹田。

何が集まるのか?
私の解釈では気。

丹田に意識を集める。
すると気が集まる。
それこそが集中している状態。

推手の時も考えると、相手に崩されやすくなる。
相手の素早い攻撃を脳で処理して対応しようとしても決して間に合わない。

散手の場合は、考えると技が出なくなる。
技の練習をする時は、まず自分の中で套路の中の技の動きをイメージする。
「上手くやろう」とか「上手くできるかな」とか余計なことを考えると失敗する。
これ即ち煩悩。

とにかく何も考えず自分に任せる。

こうして考えると、推手も散手も禅なのだ。

太極拳。
またの名を「動禅」と言う。

太極拳は禅なのだ。