2016年9月25日日曜日

空気と闘う

来月、再来月行われるイベントのために久し振りに散手単練を行った。

散手は技の練習。
単練はひとりで行う練習。

いわゆる、空気を相手に闘う。

普段行っている太極拳の套路(型)は、流れがスムーズになるよう、
また元の位置に戻ってこれるようにつくられている。

套路はいわゆる数ある技をネックレスのように繋ぎあわせたものだが、
実際、闘うことを想定して技の練習を行うとまた違った動きになってくるのがわかる。

私は20代の頃ずっと作曲、編曲活動を行ってきたが、
その際に注意しなくてはいけないのは
ひとつの曲としてきれいにまとめるために、ある程度きまったルールを守らなくてはならない。

それは起承転結をつくることと、
あとは極端に音量のばらつきが出ないよう配慮すること。
リズムもきちんと整えないといけない。
そうでなくては、曲にならず、ただただ不快な音になってしまう。

リズムを整えることをクオンタイズといい、
音量のばらつきを抑えることをコンプレッションという。

楊式太極拳も同じく、同じリズムで演武を行う。
これにより気を練ることができ、体内エネルギーのレベルを上げることができる。

また、太極拳の演武では肩の高さを一定に保つことも大事。
肩が動くと敵に動きを読まれるからであり、
同時に高さを一定に保つことにより足腰を鍛えることが出来る。
それになにより美しい演武となる。

音楽も音の粒立ちを揃えると聴きやすくなるが、太極拳でも一定に保つことで得られるメリットは多い。

話がそれそうなので戻すことにする。

散手単練を鏡の前で行って思ったことだが、
套路にはない独特の美しさがある。
動きながら考えることは、小さな力で大きな力が得られるようにすることだが、
その時に美しく動こうなどと微塵にも考えていない。

だが套路を演武するよりもはるかに美しい。
少なくとも私はそう感じた。

前にもブログでとりあげたが、いわゆる「強いは美しい」
太極拳を武術として体を鍛え技を練れば、それそのものが芸術にもなるということ。
しかも体を丈夫にする。

しかし現実はどうだろう?
単に美しく動こうとして怪我をする人があまりにも多い。

何故こうなってしまったのだろう?

太極拳を行って健康になるのなら私は内外問わず心から応援したいが、
体を壊してしまうのならそのやり方が間違っているということを受け入れ
すぐさま止めて欲しいと思う。

そう願ってやまない。