2016年5月10日火曜日

闘うためではなく

私が太極拳と形意拳の修行を行うのは強くなって闘うためではない。

もちろん備えあれば憂いなし。
万が一に備えることは大事だと思う。

確かに学生時代から20代前半までは喧嘩ばかりしていたが、今は全くない。
いや、正確にはつい最近も某ラーメン屋で酔っ払いに絡まれ喧嘩を売られたことがある。

店の中で二人の男女が大声張り上げて怒鳴り合ってるので注意したのだ。
「うるさい!よそでやれ!」「周りに迷惑やろ」と。
というより、なぜ店員は注意しない?

一旦静かになったかと思えば、しばらくしてから男の方が私の方にツカツカ寄ってきて目の前で「兄ちゃん威勢がええなぁ」「表出ろや」と。

話を聞くと殺人未遂で出所したばかりだと言う。
しかし私にそんな脅しは通用しない。

20代の頃も暴〇団関係者に絡まれたことがあるが、
散々脅されたので頭に血が上り、隙を狙って完全に叩きのめしてしまった。
相手は血だるまになり泣きながら逃げて行ったが、私は脅されると見境つかなくなる。
いずれもこれは立派な正当防衛だと思う。
もし相手に従っていたら事務所に監禁され何をされたかわからない。

話は戻るが、さっき喧嘩売ってきた酔っ払いに対し
私は座ったまま静かに言い返した。
「やめとき、武術やってるんや」とだけ返した。

すると男はとたんに大人しくなった。
そして愛想笑いしながら、「友達になってくれませんか」と。
急に敬語になった。

もちろん断った。
殺人だの、ムショ暮らししていただの、そんなことを自慢するような男とは友達になりたくないし
正直私は酔っ払いが大嫌いなのだ。

何が言いたかったかと言うと、自分が武術を身につけていることで心にゆとりがあったということ。
もし、私が武術を身につけてなければ相手の言うがままに表に出て喧嘩になっていたかもしれない。
いわゆる闘わずして、争いを未然に防ぐことができたということ。

いずれも私が武術修行を行うのは喧嘩に強くなるためではない。
心を強くしたいのだ。

そして自分の可能性を知りたい。
死ぬまでにどこまでできるか挑戦したい。