2016年2月29日月曜日

形意拳は剛拳?

今日も森の中で五行拳をたっぷり行った。
滑り出すように足を前に進め、後ろの足をストンと地面に落とす。

流派によっては前の足も後ろの足も地面を強く踏み込む形もあるようだが、
私が学んだ流派ではもっともっとゆるんだ状態で足を運びゆるんだ状態で拳を前に出す。
決して打たない。

打たないのにどうやって相手を倒せるのだろう?と疑問に感じたこともあるが、
感覚としては腹から発生した“何か”が腕の中をスコーンと通り抜け拳から発射される感じだ。
無論これは私の感覚。

実際に仲間にその拳を受けてもらう。
するとかなりの衝撃を感じるのだそう。

ともかく、この単調な五行拳を無心に繰り返し行ってると、寒さでこわばった体がどんどんほぐれてくる。
これがとても気持ちよい。

放鬆した状態で前進すれば当然拳に体重がのる。
拳に全体重が集約されれば当然威力も大きくなるだろう。
そして、後ろの足をストンと落とすことで体幹がゆるみ、同時に邪気を払うこともできる。

実は先日の推手会で、形意拳を行っていることを話したら、「形意拳は攻撃型の拳法だ」と言われた。
私は心の中でそれは違うと思ったが、ここで反論して口論になるのも面倒なので適当に話を合わせたが、一般的に形意拳は剛拳だと思われているのだろうか?

足をガンガン地面に叩きつけながら力いっぱい拳を突きだせばそれはもちろん剛拳になるのだろうが、私の中では太極拳よりもゆるい拳法だと思ってるし、太極拳に並ぶ素晴らしい健康法だとも思っている。

しかし、その一見見栄えのしないゆるゆるの形意拳こそ秘めたるパワーがあると私は思っている。

2016年2月27日土曜日

悪い癖を直す方法

なかなか悪い癖を直せないことがあります。
私も教える立場として、同じ会員さんに同じことを1年以上言い続けていることもあります。

病気でもかすり傷程度ならすぐに治ります。
しかし完治までに何年も時間がかかる病気もあります。
根気が必要なのです。

私もまたそうでした。
姿勢や歩法、手法、眼法などなど、
なかなか直らず苦労しました。
未だに苦労していることもあります。

いずれも教わる側も教える側も根気が必要なのです。
二人で力を合わせて直していくのです。
共同作業です。

イライラしてはいけません。
イライラしてもなにも良くなりません。

ひたすら良くなることをイメージして練習あるのみです。

私が悪い癖を直す時は、套路を練りながらそのことを呪文のように唱えながら動くようにします。
テーマをひとつだけに絞ります。
時間はかかりますが確実に改善されていきます。

そして私もまた会員さんに同じようにアドバイスします。

一度にすべてを直すことなんてできません。
ひとつずつ直していけばいいのです。

2016年2月25日木曜日

気功太極拳がインフルエンザから身を守る

昨夜、会員さんからメールが届いた。
子供の体調が悪いので個人レッスンを休ませてくださいとのこと。
もしかしてインフルエンザかと心配したが結果は陰性だったそう。

今、奈良県全域にインフルエンザ警報が出ており、小中学校共に学級閉鎖が出ているらしい。
奈良に限らず全国の皆さん是非気をつけていただきたい。

しかし、そんな中でも当サークルの会員さんは元気いっぱいに稽古に来られる。
入会されてからこの2年半毎週2回稽古に参加されているYさんは元気なのはもちろん肌艶もよい。
病気とはまったく無縁という感じだ。

その他にも入会当初、顔色が暗かった方が稽古に出られるうちにみるみる血色がよくなり、表情まで変わってこられるのを今まで何度もみてきている。

ところが逆にあまり稽古に参加されない会員さんは病気がち。
こんな方々こそ稽古に出て欲しいと思うし、健康になってもらうためにこのサークルを立ち上げた私としてはとても歯がゆい思いをする。

気功と太極拳があらゆる病気を克服するデータはたくさんある。

パーキンソン病の症状改善に太極拳が有効、米研究
ホンマでっか!太極拳で線維筋痛症が改善?
太極拳は認知症予防に役立つか
禁煙からパーキンソン病まで、太極拳の効用


気功によって体内の気血の巡りがよくなるから身体の隅々まで十分な酸素と栄養が行き届く。
免疫力が上がるので病気しない体になっていく。
気の力によって体内にエネルギーが発生し若さを取り戻してゆく。

太極拳では身体を支えるインナーマッスルを鍛えるので、基礎体力が身につき、疲れにくい体へと変化していく。
同時に伝統楊式太極拳では20分かけて気を練るので血液の循環が良くなり、気功と併せて行うことで健身効果が増大する。

太極拳を始める前までの私は新種の風邪が流行ると逸早くかかってしまい、そして何日も寝込んでしまうことが多かった。
しかし、気功太極拳を始めてからは病気しらずだ。
仮に体調を崩しても一晩寝れば治る。

風邪などのウイルスは年間通じて常に空気中に含まれる。
体内の免疫細胞がそれらウイルスと常に戦って身を守ってくれているわけだ。

逆に免疫が下がると簡単にウイルスにやられてしまう。
早い話が免疫力を常に高い状態を保てばいいわけだ。

その方法が気功と太極拳というわけ。
一度覚えてしまえば体さえあればいつでもどこでもできる。
道具もいらなければお金もかからない。
一生の財産になる。

だから私は気功と伝統楊式太極拳を皆に伝えたい。
かかってから治すのではなく、かからない体にしてしまえばいいのだ。

2016年2月23日火曜日

競技用太極拳辞めます

2年前師匠に稽古をつけてもらうために東京へ行った時、師匠から言われた。
「そっちの太極拳やって混ざらないか?」と。

そっちとはいわゆる競技用太極拳のこと。

いわゆる「混乱しないか?」という意味だと思う。

その頃の私は伝統拳と競技用を完全に切り替える自信があったし、それが楽しくもあった。
しかし今、切り替えることは出来ても体そのものが競技用を受けつけなくなってきた。
心も体も拒絶反応を起こす。

競技用のトレーニングを始めると精神的にひたすらストレスを感じ、
身体的には疲労感がとれなくなり、節々が痛み出す。
太極拳は健康によいはずなのに、心も体も疲れきっていくこの感覚は?と疑問を感じ始めた。

競技で良い成績を得るために過酷なトレーニングをする。
それはそれで素晴らしいことだと思うのだが、
年齢的にも50を過ぎ、身体的にも無理が効かなくなってきている。

そもそも健康になりたくて始めた太極拳だ。
実際に酷い肩こりや腰痛も改善し、体力もついた。
精神的にも強くなり仕事への意欲も向上し、生活にもゆとりが出来るようになった。
これ全て伝統太極拳のおかげ。
伝統拳はやればやるほど元気になる。

ところが競技を目指すようになってから調子が狂い始めた。
ひたすら体が疲れるので仕事にも影響するし、体が疲れると精神力も落ちる。

太極拳競技で優勝する夢もあったが、
私が太極拳を始めた理由とは逆行していることに気付いた今、これを続ける理由はない。
今年の全国大会を最後に競技用太極拳を辞める決心をした。

これはあくまでも私の考えであって競技用太極拳を否定するものではない。
若い頃から体をつくってきたならまだしも、私の場合は40歳ぐらいまで運動とはほとんど無縁だったし、健康になりたくて始めた太極拳だからだ。

これからは内なる声を否定することなくありのまま受け入れたいと思う。

2016年2月19日金曜日

形意拳の強さ

形意拳に関しては最初の二年は三体式と五行拳だけを行った。

当時通っていた道場では形意拳を始める段階では套路は一切教えてもらえない。
立つことと、劈拳、鑚拳、崩拳の三本だけをひたすらやらされる。

当時は「いったいいつまでこればかりやらされるのか?」と正直不満を感じていたが、
今となってはこのことにとても感謝している。

あの頃の自分があるから今の自分がある。
もし、いきなり套路を始めていたら形意拳の本当の威力が解らなかっただろうし、
形意拳のパワーの出し方も解らなかっただろう。(今も全て解っているわけではないが・・)

そもそも私は形意拳を好きで始めたのではない。
正直嫌いだった。
本当は八卦掌を学びたかった。

しかし私は決して器用ではない。
形意拳のようなシンプルな動きのほうが自分に合ってると感じた。
そして今は形意拳が楽しくて仕方なくなっている。

今日は形意剣の練習を3時間みっちり行った。
形意棍の時も感じたが、剣も形意となると相当殺傷力が大きいだろうなと感じた。
跟歩を使って突進し、体重の乗った剣で相手を斬りつける。

その証拠に、何度ネジを締め直してもすぐに剣の剣身と柄の接続部分がガタガタになった。
もしかしたらまだ力の出し方が解っていないだけなのかもしれないが・・

やればやるほどおもしろくなる太極拳。
やればやるほど楽しくなる形意拳。

これを交互に行うことで、放鬆の大切さと、太極拳でのパワーの出し方の理解が深まるように感じた。

2016年2月18日木曜日

私の師匠

私に始めて太極拳を教えてくださった師匠は、
とても素晴らしい人格をお持ちの方。

最初の頃は毎週続けて稽古に通ったが途中から仕事の都合で稽古を休むことが増え、
そんな私のことをいつもいつも気にかけてくださった。

稽古中に叱られたことは一度もない。
口数も決して多くない方だが、太極拳の素晴らしさを身を以て教えてくださった。
稽古中の師匠は恐くて近づきがたい方だが、稽古が終わるととても気さくで優しい。

ある先輩が仰った。
「先生は優しい方だけどそれに甘えちゃいけないよ」と。
確かにそうだと思った。

師匠は、武道家として強いし、推手では簡単に崩され、組手では何度飛ばされたかわからない。
だが、それを鼻にかけたり、威張ったりされることは一切ない。

私はそんな師匠が心底カッコいいと思ったし、憧れた。

本当に強い人間はそれを誇張したりしない。
それが真の武道家であり武術家だと思うから。

同じ武術の世界でも自分の権威を振りかざし威張ったり、
自分より経験の浅い者や実力の低い者を見下したり、
またそれを誇張したりされる武術家もおられるが、私には興味がないし、哀れだとさえ思う。
真の武道家、武術家ならそれ相応の人格が備わっているものだと私は思う。

先日、私はサークルの会員さんに自分のことを「先生らしくないでしょ?」と言ってみた。
会員さん達はびっくりしたような表情をされていたが、
実は3年近く教えてきていながら未だ先生としての自覚があまりない。

なぜなんだろうと考えてみた。
それは私は確かに教えてはいるが、私自身も生徒と同じようにまだまだ修行に励みたいと思っているからだと思う。

武術の世界に終わりはない。
死ぬまで修行あるのみ。
いわゆる死ぬまで威張ることはあり得ない。

2016年2月11日木曜日

武術家として

前回より、私は調子が狂ってしまったことを書いてきた。

その原因のひとつが、私の生徒のこと。
先日の大会である種目が去年の成績をはるかに下回る点数となってしまった。

判定が出た時は自分の目を疑った。
厳正なる審査の結果だからもちろんその点数には意味があるわけだし、
そのことを振り返りもした。

私はその生徒がずっと成長するのを見てきたし、
本人も意欲的だったのでそれ相応の指導をしてきた。
そして最終リハーサルでは上々の出来だった。(もちろん完全ではないが)

本番ではノーミスでやってのけ、緊張の場面で堂々とした演武を見せてくれた。
私の目からは去年より一回り大きくなったと確信していた。

結果を知った時、私も彼女も激しく落ち込んだ。
そして私は自分の指導が足りなかったことを本人に謝った。

彼女が悪いのではない。
私が悪い。

そもそも私は競技用太極拳を行うための指導を本格的に受けたことがないし
その指導法も勉強したことがない。
私が今まで出会った師も大会出場をすすめなかったし、私もそれに従った。

しかし教える立場になった時に私の演武力をレベルアップさせる何かが必要だった。
それが大会出場を決めたきっかけだ。

話は戻るが、
彼女の演武力に関しては審判の方々から厳しい判定を頂いたが、
最近ひとつ驚かされたことがある。
それは推手だ。

確実に勁力が上がった。
放鬆の意味とその方法を掴んだようだ。

彼女はその後もくじけず今後も大会に対しての意欲を見せているが、
私としてはそれだけでなく本物の武術家に育てたいと思っている。
無論、そのために私はいっそう修行に励むことは言うまでもない。

私にとっての指導法は教えることではない。
私自信が努力している姿を見せることだと思っている。

2016年2月8日月曜日

感覚が戻った

試合が終わってから約9日経過。
ようやく本来の感覚が戻ってきた。

膝の痛みも腰の痛みも完全に消え、
本来の自分を取り戻した。

今日、稽古で行った楊式太極拳では極限までゆるんだ状態で演武することが出来、
軸感覚も復活した。

いつしか筋力で低い姿勢をとり、
筋力で脚を上げ、
柔らかくみせるように意識的に手を動かしていた。

脚を高く上げねばならないという強迫観念で
本来持っている軸感覚が消え去り、いつしか筋力で支える演武をしていた。
そして低い姿勢を守りながら動いていくため
軸がぶれないよういつしか筋力で支えていた。

今はとても解放された気分。

伝統楊式太極拳は本当に気持ちいい。
脚を上げようとしなくともスーッと無意識に上がってくれる。
軸を支えようとしなくとも“繋がる”ことで意識しなくとも安定した軸で動くことができる。

これこそが伝統楊式太極拳。

ようやく私は混沌とした状態から解放された。

2016年2月5日金曜日

転機?

先日、大会に出場して感じたこと。
私は一体何をしているのかと。
実力を上げるために始めた試合出場だが、いつしか路線がずれてきていることを痛感した。

ひとつ解ったことは、私が本当にやりたいことではないということ。
いや、それは最初から解っていたことだが、
今では自分の中で猛烈な葛藤が起きておりずっと精神不安定状態が続いている。

試合中の演武を動画撮影したが今は見る気もしない。
自分ではないからだ。

私に初めて太極拳を教えてくださった師匠の演武と今自分が行っている演武とはかなり違う。
私が本当にやりたい太極拳は放鬆しきった状態の太極拳。

“柔らかく見せる”ではなく“柔らかい”のだ。

本当の太極拳を知るためには放鬆しなければ決して本物には到達できないと思う。

地球との一体感。
宇宙との融合。
自分の体が光の塊になる感覚。


私は実力を上げるために、そして実績をつくるために試合出場してきたが、
今一度自分の方針を考えようと思う。

ひとまず形意を徹底的に練ってみよう。