2015年12月31日木曜日

今年一年を振り返って

“気づき”を忘れないよう書き留めておこうと思って始めたブログですが、
最近路線がちょっとずれてきたような気もするので、
来年からは“初心忘るべからず”ということで気持ち新たに書き綴っていこうと思う。

さて、今年一年を振り返ってみてどうだっただろう?

去年入会された会員さん達がどんどん腕を上げられたので全員で全套路を通す時も安心していられる。
かつては私しか出来なかったので、「なんとか付いて来てくれ・・」と願うような気持ちで前で演武していた。
そして一から教えることの難しさを学んだ。

それと同時に良きお手本となるよう皆の前でなるべく形を崩さず丁寧に演武した。
それゆえに緊張感もあった。

しかし今は違う。
当時の緊張感はない。

なぜなら丁寧に演武できる会員さんが増えてきたからだ。
次に私のすべきことは、私自身が体をゆるめ気を練りながら演武すること。
今までは見た目に意識を払っていたのが今は内面に意識を置いている。

皆に太極拳の本当の気持ちよさを知ってもらいたい。
そう願ってるからだ。

今年はフェスティバルも大成功だったが、本当に皆さん短期間でよく頑張ったと思う。
ミスもなく見事に演武をやりきった。

そして公民館フェスタも会員さんだけで演武をしたがそれも見事だった。
こんな風になることをサークル立ち上げ当初願っていたが夢が実現した。

私自身も今年は県大会で全種目の記録を更新し、
全日本では難しい種目といわれる太極剣刀で記録更新し全国61人中ベスト10入りすることが出来た。

又、近畿伝統武術大会では形意棍で銀メダルを獲得。
とても嬉しかったし、この成果は自分にとってもかなり大きい。

三国志祭りでは初の対練での演武。
先生方や武術仲間からとても良い評価を頂いた。

そんなこんなで今年は様々なチャレンジをしてきたが、
来年は楊式太極拳愛好家をもっと増やしたいと思っているし、サークルも私自身も新たなチャレンジしていきたいと思っている。

今年一年を振り返ってどうか?

本音を言えばまだまだできた。
来年は更に自分の可能性に挑戦していきたいと思う。

2015年12月26日土曜日

筋力が衰えると勁力があがる?

私が最初に習っていた教室で先輩がこう仰った。
「筋力が衰え始める50代からが本当に強くなる」と。

当時40そこそこだった私にとっては衝撃的な言葉だった。
だから50代になるのが楽しみだった。
そして今50代になった。

確かに10代20代の頃のようなパワーはなくなった。
しかし、だからといって衰えた訳ではない。
いや、むしろその頃よりパワーが増してる気がする。

放鬆(ほうしょう)した状態で仲間の手の平に崩拳を一発入れる。
すると仲間は相当なパワーだと言う。
力を入れずに打っているので自分では解らないがかなりの衝撃が来るらしい。

そして今太極拳や武器などの練習を行う時、出来る限り放鬆して套路を練ってみる。
するとまた違う感覚が得られる。

なんというか、ずっしり沈むような感覚。
これが実に気持ちいい。

力を使わない。
早く動こうとしない。

気を丹田に沈め、そして丹田から動く。
動くというより動かされるような感覚。

これは美しい演武をするのにも推手や散手をする時にも通じる。

武術は楽しい。

2015年12月19日土曜日

競技用太極拳に必要な栄養

競技用太極拳は身体能力、柔軟性、技術力等を競うため過酷なトレーニングが必要となる。
それは太極拳の最大のテーマである勁力を養うものとは別次元のものになる。

太極拳の技は何手も使って相手を倒すようなものではなく一手で倒すようにつくられている。
そのために必要なのは読む力と発する力。
この力を養っていくのに競技用太極拳のようなトレーニングはしない。

気を掛け、勁を発する。

このために必要な練習は気功だ。
気功なくして本物の太極拳になることはない。
私は師から得た経験でそれを何度も実感している。

さて、競技用太極拳では身体能力を競うためそれなりのトレーニングが必要になる。
そして最も負荷がかかるのが膝と腰、足首、そしてそれに纏わる筋や筋肉。
痛みを感じては専門医療に駆け込む方が多いようだが、私は今まで一度も診てもらったことはない。

なぜならそのための対処を常にしているからだ。

ここで考えてみよう。
人間の体は何からつくられているか?
それは食べ物です。

食べなければ生きていけない。
しかし競技用太極拳を行うためには普通に食べているだけでは足りない。
もっともっと栄養が必要になる。

車に例えてみよう。
よりたくさん走ろうとするとたくさんの燃料が必要になる。
それにオイルの減りも早くなるから追加せなばならないし、酸化してオイルの機能が落ちてしまうからこまめにオイル交換しなければならない。

人間も同じ。

競技用太極拳は関節に負荷がかかる。
負荷が掛かれば軟骨が潰れてしまったり、関節の潤滑油が枯れてしまったり、筋を損傷してしまったり・・
理由は明らかなのだ。

だからこそそのための栄養が必用。
プロテイン、グルコサミン、コンドロイチン、マンガン、ホウ素、コラーゲン、ビタミンC、バイオブラホノイド、5ロキシン、オプティMSM等

これらの栄養を補給しようとしたら山のような肉、魚、甲殻類を食べなければならない。

私はそれをサプリメントで補給している。
このサプリメントは他のものとは大きく異なり、長年の研究によって関節に必要な栄養が全てベストバランスで配合されていること。
そしてその損傷した部位を2週間で修復することが大規模な臨床試験で証明されていること。

確かに摂り始めると関節の痛みが嘘のように消えていく。

繰り返すが、競技用太極拳を行う選手は平均以上に栄養が必要。
オイルなしで車を走らせるとどうなるか?
エンジンが大破してしまいます。

私は長年栄養学を専門としてきたのでまだまだ話はつきないが、
とにかく栄養は必須であることを言いたい。

2015年12月17日木曜日

冬の野外練習

真冬であろうが私は野外練習を行う。

いつも室内で練習していたのではあらゆる状況や環境に対応できないし、
武器の練習をするのは野外の方が適しているからだ。

まずは体を温める。
ウォーミングアップだ。

ランニングをすることもあるが、それよりも長拳基本功がいい。
すぐに体が温まるし股関節を柔らかくすることができる。
走圏もいい。

十分体が温まったら、私の場合は双辺太極拳を全套路通す。
演武時間は約22~23分。
放鬆を心掛けて行う。
ここでゆるめることを体に十分植えつける。

その後に武器の練習を行う。

武器の練習の決して早くではなく、ゆっくりゆっくり止まるぐらいのスピードで行う。
套路(型)は站椿功(立禅)の連続だと思えばいい。

まあ、ざっとこんなメニューだ。

過酷な環境で練習することも大事。
地べたがぬかるんでいようが、草ぼうぼうで立ちにくかろうが、風が強かろうが関係ない。
そんな中でも良い演武が出来ればそれ以上の環境ではより良い実力を発揮できるだろう。

太極拳はどこでもできるのだ。

太極拳は体に負担を与える?

毎日練習場で自主練していると、様々な太極拳愛好家の方と出会うことが多い。
高齢の方でも検定や試合のために熱心に練習されている姿を見ていると心を打たれる。

その一方その方々が口を揃えて言われることがある。
それは膝の痛み。

何故なのか?
太極拳は健康に良いイメージがあるが実際は体を弱くしてしまうのか?

因みに私は練習をしていて膝が痛くなることはない。
いや、正確に言えば試合向けの練習をしていると痛むこともあるが、すぐさまそれを補う栄養補給を行い、サポーター等で養生する。

いずれもサークルで教えてる太極拳ではこのようなことが一切ない。
その原因は様々だが、目的が違うからだと思う。

私がすすめている太極拳は健康的であり、美容効果があり、更にリラクゼーション効果のあるもの。
だから、うるさいぐらいに「ゆるめて」「リラックス」「腰の位置は高め」と口癖のように言う。

演武会や試合会場で行われている太極拳を見ると非常に美しい。
動きがきれいなのだ。

しかしその裏では過酷なトレーニングが行われている。
それは、内面を鍛える太極拳ではなく見せるための太極拳を行うためのトレーニング。
これら無理なトレーニングを行って故障する人が後を止まない。

私がサークルで模範演武する時は、いわゆるカッコいい太極拳ではなく、体を一切緊張させることなくゆるゆるにして空気の中で泳ぐような太極拳を行っている。
見た目が美しいのではなく気持ちよさそうな太極拳を目指している。
実際にすごく気持ちいい。

私が思う美とは外面ではなく内面から出るものだと思っている。
どんなに美しく着飾っても人間性が伴っていなければ決して美しいとは思えないのと同じ。
逆にさほど着飾ってなくとも内面の美しい人はその美しさがオーラとなって表れる。

私はこんな太極拳を目指したい。

そしてこの太極拳こそ本当の美しさであり、健康的であり、美容効果に優れ、リラックス効果があり、そして体を丈夫にし、いざという時に自分の身を自分で守れる武術を習得できるものだと。

私はこのような太極拳を一人でも多くの人に伝えて行きたいと思ってやまない。

2015年11月26日木曜日

本番でしか出せない力

無事伝統大会出場を終えることが出来た。
残念ながらメダル獲得は逃したが、
自分の中ではやりきった感があったので悔いはない。

今回挑戦した種目は形意棍。
今年の2月中旬頃から始めたから棍歴約9か月ということになる。

7月の近畿伝統大会では幸運にも銀メダルを得たが、
一年も経っていないのだからまだまだこれからだ。

それにしても私の場合、本番で何が飛び出すかわからない。
練習の時はブレブレだった棍をピタリと静止した状態で止めることができたり、
今まで一度もやったことのない連続技が出たり、
一体これは誰が演武してるんだ?

やり終えても自分でどのような演武をしたか覚えてない。

因みに練習で本気を出すことはない。
繰り返し練習したいので、ゆっくりゆるゆる、かつ正確に動く練習をする。
ただただ棍を振り下ろすだけの地味な素振り練習もたっぷり行った。

私の練習方法の鉄則は
「疲れてはいけない」だ。
呼吸が乱れてしまったら私の中ではNG
疲れてしまっては内容の濃い練習ができなくなってしまうから。

だから、疲れないよう工夫する。
本気になるのは本番だけでいいと思っている。

いずれも練習はゆっくりやるのがいい。

2015年11月4日水曜日

何のために武術をするか?

一体武術とは?
何のためにするのか?
もしかしたら武術は人を傷つけるのではないか?

様々な想いが過った。

あることからそんな迷いが生じたが、
自分が会を立ち上げた理由を思い出した。

それは
武術によって健康を手に入れ、
美を手に入れ、
そして癒されるものであって欲しいと。

なぜなら私が太極拳を始めた理由がそうだからだ。

当時の私はビジネスに失敗し精神的にも体力的にも衰えを感じていた。
何かを求め行きついたのが太極拳だった。
そして私は活力を取り戻した。

だからこそ、多くの人に伝えたいと。

同時に、武術によって災難にも耐えうる丈夫な体をつくって欲しいとも思った。
災難はいつ自分に襲い掛かるかわからない。

そんな時のために体を鍛え丈夫にし、
咄嗟の出来事にも対処できる術を身につけて欲しいと。

そうして、今のプログラムを作りあげた。

当会の練習メニューは単に太極拳の演武が上達するのを目指すのではない。
喧嘩に強くなるためでもない。

健康的にも美容的にも武術的にも強く美しくなって欲しいと願っている。
だからこそ私自身がまずそれを成し遂げなければならない。

いわゆる生きる喜びを感じられるような武術であって欲しいと。

2015年10月27日火曜日

それでも楊式太極拳を選ぶ理由

太極拳と言っても様々な流派がある。

楊式太極拳
陳式太極拳
呉式太極拳
孫式太極拳
武式太極拳
和式太極拳
趙堡太極拳
双辺太極拳

などなど。

これだけあると一体何を選べば良いのか解らなくなる。

私が選んだのは楊式太極拳。
私が初めて教わった太極拳だ。

因みに、陳式、呉式、孫式は一応学んだことがある。

が、しかし私は楊式太極拳を選ぶ。
理由は簡単。

人間のリズムに一番合っているからだ。

呼吸
血の流れ
心臓の鼓動

どれにも逆らってない。

だからどんなに長時間套路を練っても全く疲れないし息切れしない。

陳式太極拳に関しては一般的に高齢者には向かない。
強い発勁動作が含まれ、体力の消耗が激しい。

呉式は片足への負荷が大きくなるし、
孫式は跟歩を使うのでゆったりとした動きではなくなる。

楊式太極拳はまるで大河の如くゆったりと、同じリズムで動いて行く。
沈むこと、自然に呼吸を行うこと、気を練ること、
同じリズムで動くからじっくりと気を練ることができるし
同時に軸と丹田を鍛えて行くことが出来る。

また、双辺太極拳もいい。

4:6の比率で立ち、体重移動も少ないから若い人から高齢者まで誰にでも適する。
それに非常に実戦性の高い太極拳だ。

結果、私が選んだ太極拳は、
楊式太極拳と双辺太極拳。

いろいろ学ぶ必要はない。

自分に合うものを見つければいいのだ。

2015年10月25日日曜日

反対に働く力

例えば足を上げようとすると意識がその足に傾く。
すると体まで傾いてしまいます。

ではどうすればいいか?

太極拳の場合、脚を上げる動作である踵脚等を行う時、手を両側に広げますが、それが大事なんですね。

両方向に意識を向けてみる。
そうすると驚くほど安定することがわかるはずです。

推手の時も同じ。
相手と触れている手だけを意識してしまいがち。
確かのその手で攻撃を捌いたり、打ち込んだりしなくてはなりません。

しかしそれでは相手の思うつぼです。
捌こうとすれば軸がぶれ、打ち込むと力を吸収され崩されてしまう。

これも踵脚の時と同じ。
反対側にも意識を置く。

いわゆる自分の体は丹田を中心としてそこから広がってる感覚。
それを無視して一方向だけに意識を傾け力を使おうとすると崩される。

昨日は仲間と4時間以上、推手や散手を行ったが、いろいろ勉強になった。

いずれもぶれない軸をつくるには可能な限りゆっくり套路を練るのがいい。
これこそが最高の練習方法だと思う。


2015年10月23日金曜日

カタチから入る

私が太極拳を始めたばかりの時は、ごく普通の普段着で練習していた。
やがて太極拳への興味も深まり、専用ウェアが欲しくなってきた。

そんなある日、教室の先輩が太極拳ウェアのショップを始めるのでモデルになって欲しいと。
私なんかでいいのか?と思いながらご好意に甘えることにした。

始めて着る太極拳ウェア。
まだまだ未熟な私でしたがウェアを着るとなんだか上手くなったような気分に。
しかも練習にも身が入る。

カッコなんて・・
と言いう人もいるでしょう。

でも、私はカッコから入るのは大いにアリだと思っている。

剣道にしろ、空手にしろ道着を着たり、防具なども必要になります。
合気道なら袴に憧れる人は少なくないでしょう。

当会にはそのような決まった道着はないが、逆に言えばウェアを楽しんで欲しいというのがあります。

普段着でもいいし、
運動着でもいいし、
専用ウェアでもいい。

練習着を着れば、よしやるぞ!という気持ちも入ります。

ということで、カタチから入るのも上達方法のひとつ。
大いに楽しんで欲しいと思う。

2015年10月20日火曜日

水が動き出す

何度か来る返し套路の練習をしていると何やら異変に気付く。

手足で動いていたと思った動きが、中から動き出している感覚。
これはそうしようと思ってできることではなく、
そうなる状態まで練習を繰り返すという感じだろうか。

私の場合腕を磨く方法はテクニックではないと思っている。
真似ることはできるだろう。
しかし、実際の技や術はテクニックではない。

たくさん練習したものだけが得られる特殊能力なのだ。

頭で考えてはいけない。
信じること。
とにかく信じること。

そうすると丹田を中心とした体感に何か別の生き物が入ったかのように動き出す。
自分の意識とは別に何かが動き出す。
しかし、その意識は自分の意識であったことも思い出す。

かなりマニアックな話になってしまったが、
自分の中の自分を覚醒させる方法は内面に目を向けること。
そしてたくさん練習を積むこと。

確実に動きが変わる。

私の感覚では全細胞が覚醒する感覚。
或いは体内の水分がゆらぎを起こす感覚。

太極拳の楽しさは無限大だ。
型をしっかりマスターしたら、今度は内面の世界を探求してみよう。

2015年10月16日金曜日

三体式のすすめ

当会のある会員さんに毎日三体式をするようすすめた。
三体式とは形意拳の劈拳のカタチで行う站椿功(たんとうこう)だ。

これを片足ずつ5分行う。
地味で苦しい鍛錬法だがその効果はかなり高い。

そもそも三体式をすすめた理由は推手を強くなってもらうためだが
双辺太極拳の基礎にもなるし形意拳の基礎にもなる。

先日、始めてその会員さんに双辺太極拳を教えたが、なんといきなり歩型がキッチリ出来ているではないか?

双辺太極拳も形意拳も歩型が大事。
その一番大事な部分が最初から出来ている。
正直驚いた。

これからは双辺太極拳を行う会員全員に三体式をすすめたいと思った。

いずれも歩型が出来ていなければ決して勁力を引き出すことは出来ない。

とにかく立つこと。

そうすることで軸が安定し体の中が気で満たされてくる。
そうならないと太極拳にもならないし形意拳にもならない。

ということで、
これからも本物の太極拳を追求していきたいと思う。

2015年10月7日水曜日

腸から動く

太極拳は肉体で演武するものでもなければ戦うものでもない。

中心から動く。

しかし頭を使って套路を練ることも必要。
大事なことを唱えながら套路を練る。

弱点克服する時には頭を使わないとダメだ。
何度も何度も唱えながら練習を繰り返す。

弱点があるのに中心から動いてはいけない。
ただただ悪い癖がつくだけ。
気持いい世界はお預けなのだ。

正確に動けるようになったら今度は頭のスイッチをオフにして、
中心から動く。

中心とは腹の部分。
丹田であり、腸のある部分だ。

医学的にも腸は第二の脳(セカンドブレイン)と言われている。
腸は自分で考え蠕動運動や消化、吸収活動を行っている。

そして無限大のパワーを秘めている部分でもある。

中心から動く。
言い換えれば「自分を信じる」
或いは「自分はやってくれる」という感覚。

正しい練習を繰り返し行うことによって自分への信頼感が生まれる。
そしてその信頼した自分に任せてみる。

その時こそ本当の自分が本物の力を発揮できる瞬間だ。

言葉で言うのは容易い。
こうなるためにも練習あるのみ。

頑張ろう。

2015年9月28日月曜日

時間さえかければ上達すると思ってませんか?

そう思う人がいる。

練習しさえすれば。
時間さえかければ。
お金さえかければ。
指導者にならえば。

上達すると思い込んでいる。

大間違いです。

例えば自己流で型を10年、いや30年練習したとしてどうでしょう?
デタラメであればそれは何も変わりません。

どんなにお金と時間を注込んでもです。

優れた指導者の元で習っていれば上達するでしょうか?

いいえ。
それだけでは上達しません。

私は今まで約140人に直接指導してきた。
まだまだ指導者としては未熟だが、その中でも気づいたことがある。
上達が早い人の共通点。

それは「素直さ」

素直さとは水のようなもの。
頑固さは石のようなもの。

水は何らかの変化を加えることによって様々な形に変化する。
しかし石はほとんどかわらない。

石のような人がいます。

頑固で、
傲慢で、
なにかあると必ず人のせいにする。

こんな人は100年かけても1000年かけても上達することはありません。

人は1秒でも変わることができるのです。
素直であれば。

素直になれないがために時間を損していませんか?
私はそういう人を心から気の毒に思う。


<追記>

頑固な人と素直な人の簡単な見分け方があります。
頑固な人は些細な事でもすぐにイライラします。
素直な人はありのままを受け入れるのでいつもニコニコしています。

すぐに不満を持つのは自分にその器がないだけ。
素直さがないだけ。
大事なことは吸収しようとする素直さ。
自分のやり方で通そうと思っても決して上達しません。

2015年9月14日月曜日

説明は少ない方がいい?

動作を口で説明するのは難しい。
それに太極拳は両手足バラバラに動かすからなおのこと難しい。

一番良いのは、手本をみせて真似てもらうのが一番早い。
しかし、人間なんていい加減なもので、都合のいいところだけを真似ようとする。
もちろん悪いことではない。

しかし、最初は基本をしっかり身につけることが重要なのは言うまでもない。

ある会員さんが私の説明が多すぎて覚えきれないと言う。
当然だと思う。
太極拳の型を一度で覚えられたら誰も苦労しない。

忘れないようメモしておくと良いとアドバイスする。
しかし覚えきれないから書くことが出来ないと言う。

確かに教える側も説明の量は加減しなくてはいけない。
決して説明が多すぎる方がいいとは限らない。
しかし説明が少なすぎるのも問題だ。

いずれも学ぶ立場の人は説明の中から自分に必要なことを見つけ出すことも大事だ。
説明を全部覚えるなんてことは不可能だから。

また、指導する側も説明を全部覚えてもらおうと思っているわけではない。
毎回毎回、同じ説明を繰り返し、徐々に覚えてもらえればと思っている。
太極拳では一度で覚える必要なんてない。

指導歴はまだ二年半ぐらいだが、今までの経験を踏まえ会員さん方に少しでも早く正しく覚えてもらおうと努力している。

それは会員さん方の意欲を感じるからこそである。

2015年8月30日日曜日

首をまっすぐにする

以前から首をまっすぐにすることが大事だとは思っていたが、
更に重要であることに気付いた。

ちなみに首を真っ直ぐにすることを虚霊頂勁(きょれいちょうけい)と言う。

で、首をまっすぐにすると何がいいのか?

大きく分けて三つ。

まずひとつは姿勢が良くなり健康になるということ。
次に姿勢も演武も美しく見えるということ。
そして最期はそれだけで強くなれるということ。

この辺のことに関していろいろと掘り下げて行きたいと思うのだが、
まだまだ自分の中で感覚を掴み始めたばかりでうまく言葉にできない。

今後更に突き詰めて行きたいと思う。

2015年8月28日金曜日

老化に逆らう太極拳

楊式太極拳を始めて12年とちょっとになるが、
未だに不思議に思うことがある。

普通で考えるなら加齢と共に体力が落ちて行くから、
体の動きも悪くなるはずである。
しかし太極拳は年齢とは関係なくやればやるほど体の動きが良くなる。

長拳等、身体能力が要求される流派は20代で引退と言われるが、
太極拳に引退時期はない。
いや、むしろ太極拳を続けていれば歳をとればとるほど体が丈夫になり元気になる。

故に太極拳=老人の健康体操というイメージがあるが、
それでいいのだ。

若い時期から始めれば健康によって生活の質を上げることができるし、
歳をとってから始めても遅すぎることはなく、
始めさえすれば不老長寿の道を歩めることになる。

やっぱり太極拳はいい。

2015年8月11日火曜日

双辺太極拳のメリット

双辺太極拳はあまり聞きなれない太極拳だが、
本場台湾でもかなり有名な太極拳とのこと。

私は双辺太極拳を毎日一回通すが、このリラクゼーション効果は絶大だ。
やり終えた後のリフレッシュ感と、
あと体がふわっと軽くなったような感覚、
それに肩こりが嘘のように消えてくれる。

それになにより双辺太極拳は場所を選ばない。
昨日当会の会員さんから双辺太極拳を通してみましたが部屋の中でできるのがいいですねと。

双辺太極拳は移動距離が短いから4畳半~6畳ぐらいの部屋の中で通すことが出来る。

戦時中、最強の太極拳を完成させるためにつくられた双辺太極拳。
精巧な技がたくさん散りばめられている。

健身効果、
リラクゼーション効果、
美容効果、
そして武術としても非常に“使える”実戦的太極拳だ。

当会では楊式太極拳修業後に教えているが、そのうち双辺太極拳クラスを設立したいと考えている。
地元でも積極的に普及に努めたいと思う。

2015年8月2日日曜日

放鬆(ほうしょう)

太極拳を行う上で最も重視してるのが私の場合、放鬆(ほうしょう)だ。
限りなく無駄な力を取り除き気を沈める。

だから私の練習メニューは抜筋骨から始まる。

ストレッチはさほど重要視していない。
理由としては私が目指す太極拳は柔軟性の高い演武をすることではないからだ。

当ブログで何度も書いてきたと思うが、
強さも美しさも中から湧き出るものだと思うから。
だから内功に重きを置く。

今日も甘樫丘展望台で楊式太極拳を行ってきたが、
やり終えた後、嘘のように蒸し暑さが消えていた。

放鬆することによって得られることは無限だと思う。

2015年7月5日日曜日

己を知る

2週間前に武術仲間と行ったライトスパ(?)で右腕と両手の指を負傷。
右腕は完治したが、左手の人差し指と右手の小指は未だに痛む。

師匠に稽古をつけて頂く時、手と手が少しぶつかっただけでも物凄く硬い金属にぶつけたような衝撃があるが、それに近かった。

気功(站椿功)によって鍛えた体は果てしなく強い。

それにわかったことは、攻めることは弱いってこと。
いわゆる、勝とうと思ったらダメ。

己を知り己を信じるってことかな。

2015年6月23日火曜日

あと17日

全日本まであと17日
去年もそうだが今年もなかなか士気が高まらず、もがき苦しんでいる。

停滞期に入ったのだろうか。
でもまあ仕方ない。
出来る限りのことをするまでだ。

ところで、低いモチベーションを上げるために私はあることをしている。

それは声を出すこと。

公民館の一室を借りて、ひとりで掛け声を出し、士気を高めている。

ということで今はひたすら大会モードにスイッチングしている。

スイッチングしていると言っても、ひたすらストレッチや筋トレをしているのではない。
目的が演武であっても私にとっての基本功は気功だ。

気功を行うと物理学では解明できない独自のパワーが得られる。

気功によって空間と同化し、
そして丹田に意識を置きながら動く。
私にとってのコートはカーペットではなく海という感じ。
さらにいえば、気の海。

気の海の中で自分がどう演武するかは丹田に任せる。
だから今年はどんな演武が飛び出すかは自分自身でもわからない。

ひとまず悔いが残らないようやれるだけのことはやろう。

2015年6月18日木曜日

孤独感を排するために

野外など広い場所で練習していると、孤独感というか、頼りない気分になる。
それは自然と繋がってないから。

自然とは気。
気と交わることができれば、自分は自然と一体化することができるし、体の周りに自分の身を守ってくれる気に包まれる。

動いてフラフラするのは自然(宇宙)と切り離されていいるから。

周りになにもないだだっ広いところで練習したとしよう。
自分がちっぽけな存在に思え、頼りない気分を感じる。

でもそうじゃない。
自分の周りには自分を支えてくれるものがたくさんある。
それを集めるだけでいい。

集まれば、孤独感は消え、気持ちが豊かになり、活力も沸いてくる。
それが気だ。

気を味方につけれればいい。

気を味方につければ数倍、いや数十倍強くなれる。

どうやってあつめればいい。

それにはまず立つこと。
ひたすら立つ。
そして自分が宇宙のひとつだということをイメージする。
すると自分の体にエネルギーが集まってくる。

気を味方につける術をみにつけよう。

当会では気の操るためにトレーニングを毎回行っています。

2015年6月13日土曜日

形意拳はやわらかい

形意拳の稽古をしている時、
「打ち込んではいけない」
師匠がそうおっしゃった。

形意拳は力で打とうとしてはダメなのだ。

動画サイト等で観る形意拳はどちらかというと少林拳等の剛拳の部類に入るようにみえる。
果たしてこれが本物の形意拳なんだろうか?

私は仲間と勁力(筋力ではない力)を試すためにたまに打ち合いをする。
この時打とうとするとパワーが死ぬ。
逆にゆるめると明らかにパワーが増す。

イメージ的には砲塔から砲弾を発射するかのような感じだ。
要するに腕の中は空っぽで筒状になっており、その中を何かが突き抜けるような感覚。

いずれも私は形意拳を現代風形意拳として捉えず、
太極拳の中に入れてしまっている。

太極拳のようにゆっくり練りながら練習すると、何か明らかに違った感覚が得られる。
どうもこの先に本物の形意拳があるように思う。

いわゆる形意拳はやわらかいものだと。

この先にどんな形意拳があるのか探ってみようと思う。

2015年6月11日木曜日

ゆっくり動けば風邪をひかなくなる

人間は常に病原菌と戦いながら生きている。
風邪をひかないでいられるのは免疫が常に戦ってくれているから。

逆に風邪をひいてしまうのは免疫力が弱ってるから。

でも、なぜ免疫力が弱ってしまうのだろう?

風邪をひくと熱がでる。
熱があがるのは免疫細胞が病原菌と戦っているから。
だから熱が出ることは治ることの前触れ。

こういう説もある。
熱(体温)を上げることによって免疫細胞を活発にすると。

熱が上がるから免疫力が上がるのか、免疫が働くから熱が発せられるのか、
それは私にはわからない。
いずれも熱は必要なのだ。

ところで、気功や太極拳を行うと体の中からじわ~っと温かくなる。
ゆっくり動くことでインナーマッスル(深層筋)を使うからだ。

インナーマッスルでもっとも有名なのが大腰筋(だいようきん)。
この筋肉は腸と隣接している。
腸は免疫細胞の集中するところでもあり、丹田が位置するところでもある。

こう考えると、太極拳によって風邪をひかない、
元気になるということが見えてくる。

気功と太極拳は知らず知らずのうちにインナーマッスルを鍛え、同時に丹田も鍛えてくれる。
こうして中から鍛えることが出来るのは太極拳だけだと言われている。

いつまでも元気でありたかったら迷わず太極拳をすすめる。

当会ではカタチだけにとらわれない中からつくりあげる太極拳を完成させるためのトレーニングを毎回行っている。
人々の健康を心から願っているからこそ。



2015年6月9日火曜日

太極拳で小脳を鍛える

近年の研究で、小脳はバランス感覚だけでなく、
ある動作を体で覚えたり、
無意識でできるようになるのも小脳の役割であることがわかってきました。

ということは?

小脳を鍛えればバランスよく立てるようになり、
あらゆる動作を早く覚え、しかも無意識でできるようになるということ。
いわゆる太極拳が上手くなる?

でも小脳は鍛えようがありません。

そこで、もっと簡単な方法があります。

太極拳をすればいいんです。(笑)

太極拳は小脳を鍛えるための最高のトレーニングです。
ゆっくり動くので他のスポーツに比べバランス感覚を多く要求されます。

それにゆっくりした動きには情報がいっぱい詰まっており、誰でもすぐには覚えられません。
これに関しても何度も同じ動作をすることによって体が覚えてしまいます。
これも小脳の働きです。

更に繰り返し練習すると無意識で動作ができるようになります。
これも小脳の働き。

いわゆる、太極拳を行うこと=小脳を鍛える
これすなわち老化防止につながるということです。

私は科学者ではないので80代や90代の年配者が太極拳を行って元気であることを科学的に証明することはできませんが、太極拳を行うことによって背筋が伸び病気しない身の心も元気になることだけはわかっています。

老化は足からくると言われます。
歩けなくなったらどんどん老化が進みます。

太極拳は足腰を鍛え、同時に小脳を鍛えます。
これすなわち最高のアンチエイジングであると言いたいです。

興味のある方は一度、高齢者の大会など見に行かれたら良いと思います。
90代でも信じられないような動きをされてますから。

いつまでも美しく若々しくありたいなら迷わず太極拳をおすすめします。



2015年6月8日月曜日

太極拳は土の上が一番いい

太極拳の練習といえば、室内が多いが、
私は野外でも練習している。

室内はピータイル、板の間・・
野外では、アスファルト、コンクリート、タイル、土、芝生、運動場などなど。

一番しっくりくるのは土の上だ。
地面はでこぼこだが、一番地球との一体感を感じることが出来るし、
不思議と軸も安定する。

なにより、体内にパワーがどんどん溜まってくるのがわかる。

室内でばかり練習していると本当の太極拳の素晴らしさに気付けないと思う。
太極拳はいろんなところでやるのがいい。

2015年6月7日日曜日

男らしく女らしく

人の演武を見ていても男性と女性とでは違う。
男性は力強く凛々しいし、女性は柔らかく美しい。

しかし、この要素はどちらも必要だ。

組手を行っているとよくわかる。
力強いだけではダメで、柔らかくないと相手の攻撃をかわしたり技をかけるのは難しい。

かといって柔らかいだけでもダメ。
打つ時は鋭く打たねば相手を倒すことはできない。

剛と柔。
陰と陽。
どちらも必要。

だから、演武を練習する時、どちらも意識しながら練る。


そういえば、昨夜仲間と崩しあいを行った。
平行歩でまっすぐ立ち、胸の真ん中を相手に押してもらう。
固くなると簡単に崩されてしまう。
しかし、自分が水であることを思い出すと相手はなかなか崩すことができない。

水は押すことができないのだ。

水は強くも柔らかくもある。
だから水を意識することは大事だと思った。



2015年5月23日土曜日

カタチだけの太極拳

太極拳のカタチだけを覚えて先へ先へ進みたがる人がいる。
人それぞれだからとやかく言うつもりはない。

だけど、私はあえて気功を行う。
なぜなら太極拳は中国武術に気功の要素を取り入れたからこそ太極拳と呼ぶのだから。

カタチだけなら踊りか体操にしかならない。
これではもったいなすぎる。

太極拳には不思議なパワーがある。

それは、
自律神経の働きを高め健康状態が上がったり、
足腰が強くなったり、
危険を察知する能力が開発されたり、
体が丈夫になり打たれ強くなったり、
風邪をひきにくくなったり、
肩こりや腰痛が解消されたり、
肌つやがよくなったり、
それに筋力を必要としない勁力なるものも開発される。

太極拳のカタチだけを行っていてもそれなりの特典はあるが、
気功を行えば得られるものは数十倍に膨れ上がる。

筋力には限界があるが勁力のパワーは無限と言われるからだ。

目に見えるものだけを見ていては太極拳の神髄は見えないと思う。
太極拳は目に見えないところこそがスゴイのだから。

2015年5月16日土曜日

邪気を払う 邪念を払う

気功の効果は絶大だ。

自律神経の働きを高めてくれるから体の機能が正常化し、
しかも免疫力を上げてくれる。

少し熱っぽいなど、のどや鼻の調子が悪い時に気功を行うと体調不良が一気に吹っ飛ぶ。
不思議なぐらいだ。

健康効果はもちろん、美容効果も非常に高い。
肌艶ハリがぐんと良くなる。
肌の老化を気にされている方は気功をやらなければもったいないと言いたいほど。

他にもいろいろあるが、声の通りが良くなる。
このことを実感する人は多い。
声の通りが良くなるから歌も上手くなる。
今まで出なかった高い音域も出るようになる。

とにかく気功をやらないのはもったいない。
何故なら気功はタダだからだ。

しかも、疲れるようなことは何もしない。
むしろ気功を行ってる最中も気持ちよく楽しい。

さて、今回は邪気の話。
立禅(立って行う禅)を行う前に十分に体をゆるめる必要がある。
それを抜筋骨と呼んだり、鬆身法と呼んだり、養生功と呼んだりする。

最もポピュラーな方法はスワイショウだ。
縦、横、回転と3種類行うことをすすめる。

すると体の中に蓄積された邪気をどんどん払うことが出来る。
邪気は病気や鬱の原因だ。
それに気の通り道である経絡のつまりを取り除く効果もある。

それだけではない。
邪念を払うこともできる。
立禅中にどうしても雑念に囚われる人はスワイショウを十分行うことをすすめる。
するとどんどん気分がよくなり爽快感を味わうことができる。

立禅で大切なことは、頭も心も無(空っぽ)にすること。
意識は丹田に置き、体重は足裏に沈める。

どうだろう?

体が不思議と熱くなってくる。
体の機能が上がった証拠だ。

是非一度体験してみて欲しい。

2015年5月15日金曜日

孤独と戦うことなんてない

一人で練習していると、またに頼りない気分になることがある。
狭い場所ならともかく広いところならなおのこと。

自分がとてもちっぽけな存在に感じる。
そして、パワーも周りに散ってしまい、吸い取られてしまう。

そんな時は“気”を味方につける。

このことはこのブログで何度もとりあげたと思うが、
頼りない気分になるのは気が集まっていない証拠。

気を呼び集めれば、それだけで豊かな気分になり、幸福感を感じ、力強くなったと感じることが出来る。

気を味方につけよう!

邪気を払い、
気を流し、
気を集める。
そして、気を練る。

練れば気の存在を大きく実感できるし、
優しくて強いものに身を包まれているように感じる。
丹田から気が泉の如く噴き出し体全身にパワーがみなぎる。

これは演武だけでなく実戦にも役立つと思われる。
少なくとも演武は柔らかく力強いものになる。

だから気功は大事。

太極拳は気功の要素を取り入れたからこそ太極拳という。
気功を行わずして太極拳とは言えない。

2015年5月2日土曜日

背筋を伸ばすこと

私はこれまで背筋をまっすぐに伸ばすようにと教わってきた。
どこの教室に言っても同じことを教わる。

でもなぜだろう?

その理由を説明してくれたのは師匠でも先生でもなく、某ショップの店長さんだった。
なるほどと思った。

背骨が曲がっていると骨の角がぶつかりあいそれが腰痛の原因になるとのこと。
このことは私が長年勉強してきた予防医学でも学んだ。

しかし、理由はこれだけではない。
背骨が曲がっていると、体の体重を支えるために背骨に付随する筋肉が緊張した状態になる。
これではゆるんだ状態にはならない。

筋肉が緊張すると気の通りが悪くなる。
医学的にも緊張した筋肉によって血管が押しつぶされ血管内の酸素や栄養が通りにくくなる。
だからまっすぐが良いということになる。

さらに、まだある。
これは私が散手を行って体感したこと。

相手を拳なり掌なりで打つとその反動が自分に返ってくる。
それが背骨が曲がった状態で打つとその反動がモロに腰にくる。
相手を打ったはずなのにこちらの腰がやられる。

もし背骨がまっすぐだったなら、反動は腰を通過し足を通って地面に流すことができただろう。
とにかく曲がっていると良くないことばかりが起こり、
まっすぐであれば良いことばかりが起きる。

だから背筋を伸ばすことは一番大事だと言える。
12年前から始めたとはいえ、油断するといまだに背筋が曲がることがあるから、
これからも意識することを忘れないようにしよう。

打つ?練る?

套路(型)を練習する時、〇〇を打つと言うらしい。
正直ピンとこない。

楊式太極拳の場合、套路の際に打つ動作はなく、ひたすら練るという感じだ。
だから私は套路を練ると言う。

一方、形意拳はどうだろうか?

確かに打つ動作が多い。
でも内家拳である形意拳は打つのではなく推すという感じだ。
師匠からは拳を前にすすめるだけだと教わった。

打つと言うと、どうしても腕力で打ってしまうので、私の場合は形意拳も打たずに練るよう練習している。

ある人が私の形意拳をとても褒めてくださった。
独特のオーラがあるとのこと。
自分の中ではオーラどころかまだまだなのだが、こんな風に言ってもらえるとやはり嬉しい。

打たずに練っているから独特のオーラが出るのだろうか?
それが本当に勁力として力を出せるようこれからも修行を続けて行こう。

2015年4月20日月曜日

丹田から教える

太極拳で丹田というと武術のためというイメージがあるかもしれないけど
丹田とはそもそもエネルギーの源だ。

私なりの感覚でいえば、心躍って腹座るという感じだろうか。

踊ってばかりではいけない。
座ってなければならない。
いわゆる高揚した気持ちの中にも冷静さは必要だということ。

これは指導にも通じる。

私が指導にあたる前に心掛けることがある。
それは意気込まないということ。
頑張ろうって思わない。
頑張ろうと思っていること自体リラックス状態とはいえない。

私が心掛けることは何もしないこと。
無の状態から始める。
自分の腹に任せる。

ただ、昨日の練習会に関してはその辺の調整がうまくいかなかった。
疲労が溜まりすぎていた。
だが、皆の前で疲れた顔を見せるわけにはいかない。

プログラム上、気功を省いたが、気功をやったほうがよかったのかもしれない。
疲労回復を早めるには気功が一番いいからである。

時間の経過と共に疲労が回復しパワーが戻ってこないか心の中で静かに待ったが、
残念ながら疲労は溜まる一方だった。
結局、そのまま帰宅し倒れ込むように寝てしまった。

やはり疲れを癒すには寝るのが一番。

2015年4月9日木曜日

套路を1000回練る

套路だけを通すというのはあまり意味がないように思われるかもしれないが
何回も繰り返すことで得られることもたくさんある。
基本功ももちろん大事だが、だからといって基本功ばかりでも良くない。
何事もバランスが大事だと思う。

私の場合、練習種目と回数を毎日記録しバランスが崩れないよう配慮している。

さて、ようやく覚えた新套路。
だんだんと自分の体に馴染んできたようだ。
近畿大会まであと4か月半ぐらいだが、毎日10回通せば1000回を超えることになる。

今まで通した新套路の回数はせいぜい120回ぐらいだと思うが、
今の状態と1000回を超えた状態とでは明らかに違う自分になっているだろう。

ひとつの型をものにするには1万回は繰り返す必要があると思う。
1万回目になった時に初めて得られる気づきもあると思う。

これから自分がどう変わっていくかが楽しみ。

2015年4月3日金曜日

上達の早い人

上達の早い人に共通することがあります。
それは素直さ。

私が太極拳を習い始めた時、まず何を心がけようとしたか?
それは師から出来る限り吸収しようとすること。
それでなくては習う意味がない。

決して口数の多い先生ではなかったが、
それだけに一言一句聞き逃すまいと聞き耳を立てていた。

無論口答えなんてするはずもない。
すべては自分に必要なこととして捉えた。

そして私は半年足らずで先生からも先輩方からも注目される存在になっていた。

逆に私が教えていても、私が教えた通り実行する人は圧倒的に上達が早い。
それもそのはず。
私自身が早く上達して欲しくて指導しているのだから。

上達の早い人はその場で指導したことをすぐさまその場で実行しようとする。
そして出来なかったことは家で何度も練習してくる。

言い訳をしない。
集中力がある。
情熱がある。
責任感がある。
感謝の気持ちがある。

私も同じだった。
師から教わったことは自分にとって宝。
だから大切にする。
それを習得することは師に対して感謝の気持ちを表すものだと思っていた。
逆に出来ないことは教えてくださっている師に対して申し訳ないこと。

別に太極拳に限ったことではない。
素直は最強なのだ。

2015年3月17日火曜日

まず套路を覚える

20日程前から新しい套路を覚え始めたが、
套路を覚えるのは勢いが大事だと改めて思った。

そんなわけで怠けそうな自分の尻を何度も叩きながら58式の型を20日で覚えた。

大事なことは套路を覚えることより套路を知ること。

そのためにも、まずは動作と順番を覚えてしまう。
次に正確な動作を覚えるためにゆっくり丁寧に繰り返し練習する。
正確に動けるようになったら、今度は気(力)の流れを感じながら動いてみる。

太極拳も形意拳も武術だからだ。

力の流れとは歩型に歩法、手法、そして体幹をどのように使えば効率よく力を生み出すことができるか?
それを感じながら動く。

套路を一から覚えるのはパワーがいる。
でも覚えることが目的ではない。
先ほども言ったように套路を知ることだから。

套路は完成形ではなく、技を使うために訓練法だ。
ゆっくり行えば基本功にもなる。

そんなわけで、最近は基本功に掛けていた時間を套路に掛けるようになった。
少なくとも太極拳ではいつもの半分の速度で動くと確実に違った感覚が得られる。
気の流れを感じそれを会得し、同時に技を使うために必要な体もつくられてくる。
この感覚が堪らなく楽しい。

2015年3月5日木曜日

フェスティバルについて

今月の29日に奈良で最も大きなイベントが予定されている。
当会からは13人出場することになっている。

私はというと指導に専念したかったというのと、
会員さん達を主役にしたいと思ったので今回自分の出場は見送った。

いつもは私が前に立って練習を行っているが、
今回のフェスティバルでは会員さん達の自分の力で演武して欲しいと思った。

学生時代に行った合唱コンクールやその他の発表会。
もちろん先生は出場しない。
それは生徒達自身が自ら作り上げ、自らやり遂げて欲しいというテーマだから。

それに私が出場すれば、当然私が目立ってしまう。
会員さんは私を引き立てるための役目ではない。
教えている以上は会員さん達に日頃の練習の成果を発揮して欲しい。

実際に、私が出場しないということで、各々が自分の役目に責任を感じながら熱心に練習されている。
そして、まだ太極拳歴一年にも満たない会員さん達がみるみると上達している。

とても素晴らしいことだ。

昨日、主宰者との打ち合わせで連絡をしたのだが、「あなたは出場しないのですか?」と尋ねられたが
そのように言われると、「本当に会員さん達だけでやり切ることができるだろうか?」という不安が一瞬過った。

しかし、私は信じたい。
当会の会員さん達ならきっと自分たちだけの力でやりきってくれると。

推手が何故楽しいか?

先週の土曜日、午前から真っ暗になるまで推手をたっぷり行った。
堪らなく楽しい。(笑)

なぜ推手はこんなに楽しいんだろう?

一種のコミュニケーションのようにも思えるし、
自分の性格や癖がそのまま反映されるのもおもしろい。
無論、相手のそれらを感じることもできる。

相手が猛烈に打ってきてもそれを鮮やかにいなすことができると、これまた気分爽快だし、
逆に自分の攻撃が相手に決まっても楽しい。

逆にこちらが崩されたり飛ばされたりしても嫌な気分になったり悔しい気分になったりもしない。
むしろ、自分の弱点を見つけることが出来ることが嬉しい。
逆に崩されなければ自分の弱点をみつけることができないだろう。

推手はとてもシンプルな動作の繰り返しなのに、それが脳に程よい刺激を与え、
気分高揚するし、しかもどの手で行こうか?などと考えることで脳を活性化することもできる。
ボケ防止にも大きな威力を発揮するように思う。

推手の基本トレーニングとして、三体式站椿功(さんたいしきたんとうこう)があるが、推手をしているだけでも十分站椿功にもなるし、軸感覚が養われ、同時に気を沈めることを意識的或いは無意識に行うようになる。
これは直接太極拳の演武にも生かされると思う。

早い話が推手を行うことによって手軽に太極拳のしくみである基本を学ぶことができるということ。

だからどんどん行ったほうが良いと思った。

2015年2月26日木曜日

武術の始まりは棒術?

いろいろな文献を読み漁っていると、どうやら武術の始まりは棒術らしい?

確かになにもなかった時代敵と戦おうと思ったら、素手より何か手にもって戦った方が有利だ。
それが、もし生きるか死ぬかの戦いなら尚のこと。

そんなわけで、最近、形意棍の練習を始めた。
形意拳もまた棍術から始まったという説が強いようだ。
難しいが初めてみると実に楽しい。

棍を振り回しながら何度も脛に棒を打ちつけてしまい、そのたび激痛が走るが、これも上達するための一歩ということで。。

棍は刀や剣と異なり切れる部分がないから取り回しが良い。
打ち落としたり、振り上げたり、回したり、突いたり・・
いろいろ動作を覚えていくと、確かにこれが徒手の技につながっていく。

形意棍だから歩法も重要。
跟歩を使うから、棒を扱う時の遠心力だけでなく、そこに推進力が働く。
しかも棍に気を通せるようになったら、相当な力を生み出すことができるだろうとも思う。

棒で勁力を出すのは難しい。
だからこそ練習になりそうだ。

徒手(素手)と並行して、刀、剣、棍もしっかり練習していこうと思った。

2015年2月24日火曜日

勁力は一日にしてならず

太極拳を知らない人、始めたばかりの人は数カ月で太極拳を習得できると思うようだ。
まあ、私もそのひとりだったのだが。(苦笑)

中には「〇〇太極拳を〇カ月でマスター」などという広告もあるようだが、
太極拳を数カ月でマスターできたら世の中太極拳の達人だらけということに。

太極拳の型そのものは半年から一年で覚えられるでしょう。
そして5年もすればそこそこ自信もついてくる。
しかし、5年ではまだ太極拳とは言えないと思う。
20年、30年続けている先輩方もまだまだだと仰るぐらいだ。

「千里の道も一歩から」というように
じっくり取り組むのがいい。

そして日々少しずつ自分の中で変化していくのを感じるのがいい。
それこそが太極拳の楽しみだと。
ご馳走を、すぐに食べてしまうのではなく、10年20年かけて食べるような感じだろうか。

とにかく焦らぬこと。
「急いては事をし損じる」というが、太極拳にぴったりの諺だ。

私は太極拳を始めて12年になるが、まだまだ自分の演武も中身も全く納得できていない。
でも毎日少しずつ変わってきていることも事実。
この少しずつがいいのだ。

筋力は一日でもつけることができるが勁力は決して一日ではつかない。
でも勁力は筋力よりもはるかにスピードが早くしかも破壊力も凄まじいと言われる。
それがどれだけのものなのか?

その感覚を得る時こそ私にとっての唯一の楽しみだ。

2015年2月21日土曜日

楊式太極拳が他流と違う点

楊式太極拳以外はほんの少しかじった程度だが、
陳式、呉式、孫式などの流派と比べ
楊式太極拳はひたすらゆっくり連綿と套路を練ることに徹する。

陳式太極拳のように発勁動作がない代わりに、
確実に違った感覚があるが、それは柔らかい気に包まれるような感覚だろうか。

ゆっくりと呼吸するように動く。
途切れることなく連綿と。

例えば、狭い部屋の中で套路を練っているとどうしても壁にぶつかってしまい
その都度下がってはやり直さないといけない。
こうすると折角繋がっていた糸が切れてしまう。
仕方のないことなのだが、だからこそ連綿と動くことの重要さに気付かされる。

昨日、Mさんの要望で25分かけて伝統楊式太極拳を二人で練ってみた。
今にも止まりそうなほどゆっくりとした動きなのに、体がどんどん熱くなってくるのがわかる。
気がつけば、やさしくもしっとりとした気に包み込まれ、ゆるやかな動きの中に気の摩擦を感じる。

ゆっくり動くと片足になる時間が多くバランスが難しくなるはずなのに、
なぜか回っている独楽のように軸が安定する。
とても不思議な感覚だ。

今日はさらに5分延長して30分かけて套路を練ってみた。
そしてまた新たな感覚が得られた。

これからは套路の回数をこなすことよりひとつの套路に時間をかけてみようと思う。

実は試合向けに繰り返すだけの套路ばかりしていて、なにか大事なものを失った感覚があるし、
見えない壁にぶつかっている感じもする。

いずれ楊式太極拳を1時間かけてやってみたいと思った。

2015年2月17日火曜日

くだらないことかもしれないが

講師の立場としての喜びってなんだろう?

それは、
教えたことを理解してくれたり、
体を動かすことに喜びを感じてくれたり、
健康を取り戻してくれたり、
生活が変わったことを実感してもらえたり、
生徒が進んで練習したり、上達したり・・

やはり与えたことによって返ってくるものがあると嬉しい。
だから、私はいつも出来る限り丁寧な指導をしようと心掛けている。

そして、もうひとつ。
生徒から褒めらえること。
私の演武が好きだと言ってくれたり、
強いと言ってくれたり、
教え方が良いと言ってもらえたり。
とても嬉しい。

生徒時代、私は、先生は上手くて当たり前と思ったこともあるけど、
先生にしても毎日努力されている。
それに私が最初に師事した先生は頻繁に私に自分がどう変わったか尋ねられた。
私はその都度感じたことを先生に伝えた。
確かに先生は日々進歩されていた。

先生というのは生徒を認めるのが役目なのだが、
先生もまた生徒が誇れる先生になりたい。
それも太極拳も何も知らない素人ではなく目の前にいる生徒に認められるのが一番嬉しい。
なぜなら生徒は先生のことを一番よく理解しているからだと思う。

私は今もだが、最初に師事した先生の演武が一番美しいと思ったし、カッコイイとも思った。
それに先生の人間性や雰囲気も好きだった。

最初に師事した先生がとても良い先生だったが
これも縁なのか、とても恵まれていると思った。

2015年2月9日月曜日

自分で打とうとせず自分に打たせる

最近、自分のパワーが上がってきているような気がする。

触れるぐらいの感じで打ってるはずなのに、相手が勢い吹っ飛んでしまう。

だから最近は会員さんに対しては、打たずに打つふりをするようにしている。
もしかしたら自分の力をコントロールする力を備えなくてはいけない時期に入ったのだろうか。

パワーはただ強いだけではダメだと思う。
自在にコントロールできなければそれは真の強さとは言えないと思う。

これが勁力かどうかはわからない。
ただ、先日武術仲間から相当な威力だと言われたので、今後はますますセーブしなくてはいけないと思った。
普通の人の胸に打ってしまうと胸骨が陥没するだろうと。

実は私が身につけたいのは攻撃の威力ではない。
攻撃するまでの力を身につけたい。
いわゆる聴勁と化勁。

基本、私は闘争心もないし暴力も好きではない。
人を傷つけたくない。
平和をこよなく愛するタイプだ。
だから危機に直面したら打たずして争いを沈めたい。(決してカッコつけているわけではなく)

ところで、
打つ時の私の感覚だが、私自身が打っているという感覚ではなく、
私に打たせているという感じだ。

営業の仕事をしている時もそうだった。
私がトークするのではなく、私にトークさせているという感覚だった。
このような状態で営業するとおもしろいほど契約がとれる。

全然話が違うようだが、私は同じだと思っている。
有能なセールスパーソンは宇宙からパワーを取り入れる方法を知っている。
武術のキャリアはまだまだ短いが、51年間無駄に生きてきたわけではないし、
今度は武術の分野でその力を発揮できるよう修行を積んでいきたいと思っている。

今後自分がどう変わっていくかが楽しみだ。

2015年2月5日木曜日

0から?100から?

一昨年の春から気功と太極拳の指導を始めてまもなく2年になろうとしている。

始めた頃、自分はどんな指導を心がけようと思っていただろう?
それは今でも変わらない。

ゼロの状態から教える。
始めたばかりの時は何もわからなくてあたりまえ。
自分にしろ最初はなにもわからなかったのだ。

だから、私は指導時に、出来ないことが出来るようになったら必ずその生徒を評価する。
本人は出来ないことを出来るよう頑張ったのだから、その努力を認めたい。

逆にやってはいけないこと。
それは今の自分と比較すること。

こうなると出来ない生徒を見て「どうしてできないんだ?」と、きっと苛立ちを感じてしまうだろう。
その挙句、感情的になり生徒を強く叱ってしまう。
やがて生徒は叱られないようビクビクしながら暗い気分で渋々努力するかもしれないし、
逆に叱られることに慣れてしまうかもしれない。

同じ努力をするにしても叱られないよう努力するのはあまり良い結果をもたらさないだろう。
それとも、叱られることに慣れてしまったら、その生徒の成長はそこでストップしてしまうだろう。

同じ指導でも指導法によって生徒に与える影響は大きい。

私は前者の足し算方式で指導したい。
自分と比較して出来ないところを指摘しまくる引き算方式で指導したくない。

決してテクニックではなく、
そこに愛があるかどうかだと私は思う。

私は武術歴も指導歴も決して長くない。
修行も始まったばかり。
でも、だからこそいつでも始めたばかりの初々しい気持に戻ることが出来る。

初心忘るべからず。

これこそが私が持ち続けたい心構えだ。

2015年2月3日火曜日

いつから始める?

1月31日に無事県大会も終え、一段落。

結果は3種目とも記録更新できたが順位は変わらず。
理由はわかっている。
自分を追い込むことが足りなかった。
だから今回の結果は自分でも納得のいくものだった。

ひとつ嬉しかったのは楊式刀で自分の目標点数に載せられたこと。
順位は2位だったが、本番前からその点数が欲しい欲しいと強く念じた。
念じることが奇跡を生み出すことを改めて経験した。

念じると言えば、今回当会から初出場のMさんが予想以上の点数を叩きだしたこと。
本番で出せる実力は7割ぐらいと言われるが、
Mさんは全くもって練習通りの演武を行った。

本番直前に私は彼女に「いつも通りに」という言葉を送ったが
あの緊張した空気の中で本当にいつも通りの演武をやってのけた。
本当に見事だった。

私は彼女の指導を担当したが、私が担当したのは指導だけではない。
それは、いわゆる「信じること」だろうか。

さて、試合は終わったが、
終わったということは始まったといいうことでもある。
翌日から練習を開始し、昨日は全国大会向けの練習も行った。
まだ2日しか経っていないが、昨日先輩に良きアドバイスを頂き、すでに私の演武は変わり始めている。(と思う)

大会の練習はいつからはじめるのがいいのだろう?
私の場合は大会が終わった直後から。

およそ本番2週間ぐらい前になると、そわそわと練習し始める方々を多く見かける。
それはそれでいいことなのだが、
2週間前からでは自分の納得いく演武に仕上げるのは難しいし、なにより疲れてしまう。
どんなに実力があっても疲れてしまっては本領発揮できない。

それより歯を磨くがごとく毎日コツコツと試合向け練習をするのが一番だと思う。

仮に2週間前から套路を1日に10回繰り返したとする。
10回×14日=140回

半年前から毎日套路を2回通したとする。
2回×182日=364回

この差は倍2.6倍だが、実際はそんなものではない。

短期間に集中してやるのも悪くないが、本番の実力は短期間で練り上げたものより毎日の積み重ねが出る。
習慣化してしまえば、本番でも習慣として行えることになる。

だから、試合向けの練習を始めるのは迷わず“今”ということになる。

と、自分に言い聞かせてみたくて書いてみた。


2015年1月30日金曜日

勁力は水であり風である?

試合前日だというのに、最近勁力というものがやたら気になる。

勁力について、私なりの解釈は「筋力ではない力」だが、
ならそれは?

ひとつ言えることは勁力は目に見えない。
気の通り道を経絡というが、
この経絡はレントゲンだろうがCTスキャンだろうが見ることはできない。

そもそも手をかざすだけで相手にダメージを与えられるのだから
物理的に解明することはできないと思う。

私はこの力を師匠から直接受け止め、勁力の存在をしっかりと確認した。
手を動かしていないのにダメージを与えられるということは100%筋力ではないのだ。

それとは別に水打ちというのがあるが、これもどんなものか打っていただいた。
水というとやさしいイメージがあるが、水ほど怖いものもない。
消防車から放出される水をまともに喰らったらどんな感じだろう?

また、これとも違う、風打ちというのがある。
これは私が勝手に名づけたものだが、打たれた時に突風に打たれたような感覚だからだ。
まったく痛くないのにびっくりするほど吹っ飛ぶ。

空気も水も人間にとってはなくてはならないものだし、体にやさしいもの。
その水と空気を操ることによって勁力と成す。

こんなことを研究していると人間の可能性は無限大なんだなと思う。

***

明日の試合は上記のような勁力とは関係ないが、
本番でいかに気を沈めることができるかが大事だと思う。
沈墜勁というらいしいが、これらを操作するのは自分の心次第だと。

2015年1月22日木曜日

自分に従う

試合まであと9日。

試合出場を決めた日からがカウントダウンだが、
残り日数が一桁になってくるとさすがに緊張感も高まってくる。

そして今何を思いどうすべきか?
答えは
「なにもない」だ。

すべきことは自分の心に従うことだけ。

まだまだ細かいところを詰めていきたいならそうすればいいし、
コンディションを整えるため練習時間を減らし、ゆるめでやりたければそうすればいい。
大事なことは自分の気持をありのままに受け入れることだと思う。

今の私はどうか?
まだまだ詰めていきたいと思う自分もいるし、
体調を整えるためにゆるめて行きたいという自分もいる。
だから、詰めながらゆるめていきたいと思う。

よくわからない状況だが、
早い話が最後まで諦めないということと、
それと同時に心身ともにリラックスもしたいということ。

これをハイテンションハイリラックスと私は勝手に呼んでいるが、
この状態こそ奇跡を起こす。

奇跡は最後まで諦めない人だけに与えられる天からのプレゼント。

自分に従う。
そうすれば結果がどうであれ決して後悔することはない。

2015年1月20日火曜日

吊り上げるではなく

これまで気功の時に正しい姿勢とゆるみを得るため
頭頂から吊り上げられているというような説明をしてきたが、
それが最近、大きな誤解だということに気付いた。

正しくは“吊り上げる”のではなく、“吊り下がる”です。

物理的には同じなのだが、“吊り上げる”では、首をぐーっと上に伸ばさなければならない感じになるし、ともすれば気が上に上がってしまう。
いわゆる引力に逆らって上に伸びようとするイメージに。

吊り下がるなら、引力に従いスーッと下に沈むようなイメージになり、
頸椎も背筋もまっすぐに伸びるはず。
それに重心は足裏に来るはず。

もしかしたら私の聞き違いだったのかもしれないし、
それとも間違って伝達されてきたのかもしれない。
その辺は定かではないが、いずれも今までずっと自分の中で釈然としなかった。
“吊り下がる”ならすべての理屈は合うし、立禅の意味が増す。

こうしてまず体を十分にゆるめ、そしてイメージで気を流す。

頭頂から宇宙につながるようなイメージ。
いわゆる頭頂からスーッと宇宙に気が登っていき、それがスーッと落ちてきて、また体内を通り、それが地面に流れて行く。
それが地球の核に到達し、またそれが足裏から返ってくる。

こんな風にイメージすると宇宙との一体感を味わえ、そして自分という存在が空気のようなものに感じる。
更に突き進むと“無”の状態になる。

無とは無償の愛であり、無敵であることに気付く。
無敵というのは強いのではなくそもそも敵などいないということ。

このように、イメージ力のパワーは絶大だ。
物質世界の世の中にしろ最初はイメージ(夢、願望)から始まった。

そもそも人間が見ているのは目を通して見たもの。
宇宙の果てがどうなっているかわからないのは目で見ようとしているから。
そもそも宇宙の存在すら無いのかもしれない。

2015年1月17日土曜日

あと2週間・・今すべきこと

県大会まで2週間と迫った。

そして今すべきこと。

第一にコンディションを整えること。
適度に体を動かし、栄養のあるものを食べ、睡眠をたっぷりとる。

次に、鍛錬系の練習から、リハーサル練習に切り替える。
鍛錬系とはいわゆる辛い練習。
いわゆる立禅・站椿功(たんとうこう)だ。

安定した演武をする上で站椿功は欠かせない。
しかし、試合直前に行っても意味がない。
站椿功は普段から毎日やってこそ意味があるもの。

とにかく練習内容をハードなものからソフトなものに切り替えていく。
体を追いつめていくのではなくゆるめていくのだ。

套路の練習は時間を計る練習も必要だが、
ゆるめるための套路も必要だ。

かといってゆるめすぎも良くない。

心が感じるままに緊張感を受け入れ、自分の心に従って行動すれば
思わぬアイデアや想像もしなかったことが出来たりする。

この時期をどう過ごすかがとても大事だと思う。

2015年1月15日木曜日

指導のこと、故障のこと、気功のこと

最近サークルを行っていて感じたことをいくつか。

まず指導について。
指導するということは責任が伴う。

学ぶ側は自分の好きなように捉え自分の好きなようにできるが、
指導する側はそうはいかない。
正しい技法を教え、悪い癖を正さねばならない。
無論それを自ら身を以て示さねばならない。

だから、サークルの時は雰囲気づくりにも気を配りながら緊張感をもって指導を行っている。
指導者がいい加減なことをすると学ぶ側にも悪い習慣が身についてしまうからだ。

以前、私は「教えることは学ぶこと」と言ったことがあるが、
しかし、それは例えば家族や友達にちょっと演武や技を披露する程度のものであり、
指導するということであればそれはまた別問題。

先程も述べたように指導することに関しては責任が伴う。
これから学ぼうとする人は教えられたことを練習しようとするから適当なことを教えてしまうとその場だけの問題だけでは済まなくなる。
責任重大なのだ。

よって、会員さん同士相談し合ったりする程度なら良しとするが、
指導することに関しては今後指導向けの研修を受けていないものは指導してはいけないものとする。
正しい太極拳を身につけて欲しいと思うからこそだ。

次に故障について。
膝の痛みや故障について訴えてくる会員さんが今までにちらほら。
太極拳はゆっくり動くから膝への負担は小さいと考えてしまいがちだ。
それは大間違い。
ゆっくり動かすからこそ膝に負荷がかかるのだ。
だからこそ正しい歩型と歩法をまず学ばねばならない。

地味でつまらない練習だが、私自身、膝を痛めた経験があるので、サークルでは毎回歩法練習を行う。
耳にタコが出来るぐらい同じことを繰り返し伝える。
皆の健康を願ってのことなのでどうか解って欲しい。

正しい歩型と歩法は正しい太極拳を生むが、悪い習慣がついてしまえばそれはもはや太極拳ではなく、体に悪影響を与えてしまう運動になってしまう。
だから、私が注意すべきことにしっかり耳を傾け、しっかり習得して欲しいと心から願う。

指導する立場にとって膝の痛みや故障の訴えは本当に辛い。
勝手な思い込みで練習を続けることはどうか避けて欲しい。
解らないことがあればメールでもいいのでその都度聞いてもらえればいくらでもお答えします。

それよりも、私は抜筋骨と立禅を行うことを強くおすすめする。
覚えた型を忘れないように家でおさらいするのはいいが、
あやふやなまま套路の練習を行うと足腰を鍛えるどころか関節を痛めてしまいかねない。

抜筋骨は体をゆるめるための体操。
これはいくらやってもいい。
やればやるほど体にいい。
頭も体もスッキリする。

次に立禅。
これもいい。
太極拳の基本中の基本。
そもそも正しく立てないものが正しく歩くことなんか出来ないし、太極拳ともなれば尚更。

まずは両足でしっかり立つ練習をする。
正しい姿勢で立ち、ゆったりとした呼吸で気を沈め、自分自身に力みがないか問いかける。

最近、毎日熱心に気功を行う会員さんがいる。
確かに姿勢が良くなったし、動きも安定してきた。
それになにより、勁力(沈墜勁)が身に付き、彼女を押してみた時にそのことに気付いた。

沈むことを覚えると太極拳の上達は早い。
沈むことは身体だけではなく気も沈める。

ここに時間をかければ柔軟運動と型だけしか練習しないより10倍は太極拳の習得が早くなる。
それを証明してくださっている先生方もおられるし、
私自身もそれを身を以て証明していきたいと思っている。

2015年1月9日金曜日

緊張こそ力なり

これは音楽活動をしてきた時からのことなのだが、本番にしか出せない力がある。
練習の時にはできないのにだ。

人間極限に追い込まれると普段以上の力が出せると言うが、
逆に考えれば本番前、緊張するのはとてもいいことということになる。
緊張しなければ極限状態にならないし、不思議な力も出すことはできないだろう。

でも、ただ、緊張しているだけではダメだと思う。
やっぱり普段の練習あってこそだと。

ここをこうしたい。
でもできない。
だけどやりたい。
そしてそれを繰り返し練習する。

それが練習の時に出来ずに本番で出る。

これは武術のみならず私の人生の中で覚えたことだが、
頭でものを考えず腹でものを考える。
頭で考えるとスピードが鈍る。
しかし腹で考えると圧倒的に速い。
というより自分が想像する以上に速い。

腹の中で何が起こってるか?
大事なことは、
「なぜそれをやってるのか?」

今、試合に向けて頑張ってるわけだが、
でもそれは何故?

頑張ることが当たり前になってはダメだと思う。
自分にとって頑張る理由、頑張り始めた原因こそが、魔力を引き出すパワーのスイッチになるはず。

今だからこそ原点に返ろう。