2014年12月20日土曜日

スイッチング

いつも思ってることは、
武術性も追求していきたいと思う傍らで表演にも力を入れていきたいと。
理由は単純に太極拳は美しいと思うから。

だからといって、表演だけに専念しようとも思わない。
私が初めて体験した太極拳はその意外な強さに惹かれたから。

ところで、套路を練る上での気構えというか心構えと言うか、
目的に応じて全く異なる。
当然それは演武にも表れる。

試合の為
表演の為
瞑想する為
気を練る為
鍛錬の為
技の習得の為
基本動作の模範を見せる為
等々。

もしここに検定は入ればそれもまた違うものになる。

因みに試合と表演も違う。
試合は審査対象となる演武をしなくてはならない。
時間の制約や、制定された形式や動作。これらを踏まえて演武しなくてはいけない。

一方、表演は芸術性をテーマに細かな制約なしに自由に演武できる。
この套路は鍛錬のためでもなく気を練るためでもなく、魅せることで人に感動を与えるのが目的になる。

瞑想に入るためや気を練るための演武は制約を忘れ、放鬆を重視した演武となる。
見せることを目的としないので、見た目の演武は美しいというより気持ちよさそうに見えると思う。

鍛錬のための演武は、極めてゆっくり行う。
足腰を鍛え、軸感覚を養い、武術性を高めるための基礎をつくりあげる。
流れが一定しないのであくまでも自分の鍛錬のための演武となる。
決して見ていて楽しいものではないと思う。(無論本人は楽しい)
身体がつくられていく喜びがある。

技の習得のための演武は、技が技でなければならない。
だから、実戦性の高い練功法となる。
イメトレを伴うので本人は楽しいが、動きはゆっくりでも荒々しいものになる。

そして基本動作の模範。
実はこれが一番つらい。(笑)
合同練習での動きを合わせるため基本動作を踏まえ正しく動くことが重要になる。
己を捨て徹底的に基本を全うしなければならない。

つらいと言ってもこれはとても大事。
教える立場として適当な演武をしていては滅茶苦茶になってしまうし、動作を正確に覚えることは後にそれはすべての目的の演武につながるからだ。

当会では、何かに偏ることなく、芸術性も武術性も健身性も重視し、どのような目的でも、どのような場面でも対応できる太極拳を行くことをテーマにしている。

いずれも、同じ套路を練るにしても目的に応じて内外共に全く異なる演武になるということ。
そのためのスイッチングはとても重要だ。

2014年12月18日木曜日

講師として

自分が素晴らしいと思った太極拳を地元と人々と共感したくて去年の4月にサークルを立ち上げた。
その太極拳は強く美しい。

今までの常識からすれば美しいものは弱く、強いものは無骨だと思っていた。
その常識を覆してくれたのが楊式太極拳。

楊式太極拳では最初から最後まで同じリズムでゆっくりと動くから体の内面に耳を傾けやすく瞑想状態に入りやすい。
とにかくとても心地良い。

この気持ち良さを一人でも多くの人と共感し合いたいと思った。

それから私の人生は学ぶだけの太極拳から教える太極拳へと変わっていった。

全くの初心者に太極拳を教える時、自分が最初どうだったかということを振り返る。
正直な感想は「思っていたより難しい」だった。
今先生に教わったばかりなのに、それができない。
思い出そうと必死にもがいていると、先生がそれでいいんだと笑顔で仰った。

てっきり自分だけが出来ないと弱り果てていたのだが、先生の笑顔をみて、ちょっと安心した。

後でわかったことだが、
思い出せないことより思い出そうと努力することこそが修行なのだと思った。
確かに普段使わない頭を使う感覚があった。

ところで、何故このタイトルでブログを書き始めたか?
それは、私が教えている会員さんたちの上達があまりにも凄いからだ。
他の教室のことはわからないが、少なくとも私の上達より明らかに早い。

一日も早く太極拳の本当の気持ち良さを知ってもらいたいという気持ちがあるから、ついつい指導に熱が入る。

ここで不安がよぎる。
超えられるのではないか?と。

私はそれでもいいと思っている。
よりいっそう修行に励めばいいだけのことだから。
これこそが自分が理想とする師弟関係だと思っている。

先日も個人レッスンである会員さんの演武を見ていて、あまりの上達ぶりに惚れ惚れとしてしまった。
しかし私は立場上、修正すべき点を指摘しなければならない。

私は少しでも上達したらまずそれを評価する。
それは意識的なものではなく、私自身人を認めることが好きだし、努力する人が好きだから。
指摘するのはその後。

講師としての心得。
教えることばかりに徹するのではなく上達したことをその場で評価すること。
少しでも早く上達してもらうため心を込めて指導すること。
超えられることを恐れず更に自分自身努力すること。
それはつまり「教えること=学ぶこと」である。

2014年12月12日金曜日

動いてから考える

先日、Mさんの個人レッスンにおいて本番に向け駅前で演武を行った。
最初から一人では心細いだろうと、まずは一緒に演武した。
現場に到着してから、演武開始までの時間は多分5分ぐらいだったろうか?

ビデオカメラのセッティングに時間が掛かってしまったので少々もたついたが、
それがなければ1分かからず始められたと思う。

いずれも駅前なので練習と言えど、いわばストリートパフォーマンス。

ストリートでの鉄則。
躊躇してはいけないということ。

モジモジしていてはいつまでたっても始められないし、内にこもったしょぼい演武になってしまう。

ストリートでなにが得られるか?
それは間違いなく度胸。
メンタルが鍛えあげられる。
ストリート上がりのアーティストは逆境に強い。

いずれも勢いが大切ということ。
考えないで始める。
考えるのは終わってからでいい。

演武にしても、考えながら動くと丹田がオフになった状態になってしまう。
演武は脳で動くのではなく丹田から動くのだから。
丹田から動いた演武は強く美しい。
しかもそれを見た目で真似ることはできない。

そもそも武術は理論から始まったのではなく、実戦から始まった。
動くことによって知識と知恵がつき、そして理論ができあがった。
武術本ばかり読んでいてもとても上達するとは思えない。

套路も推手も散手も考えながら動こうとすると、どこかぎこちなくなる。
なんでもいいからまずはやってみることだ。

話は戻るが、次はMさん一人で演武するよう伝えた。
一瞬焦った様子だったが、ほとんど躊躇することなく始め、最後まで堂々とした演武を行った。
とても素晴らしかった。

私が評価したいのは演武中はもちろん、躊躇せずに始めたこと。
勇気のいることだ。
いつもとは明らかに目つきが違ったし、凛とした気が出ていた。

考えずに始めればあとは自分を信じるしかない。
きっとMさんは自分を信じて演武していたのだと思う。

2014年12月8日月曜日

形意拳は本当に内家拳?

今日は徹底的に形意拳を練った。
とても気持ち良く、長時間練習することできた。

今日の試みとしては、出来る限り緩んで打ってみた。
いや。実際は打ったというより手を前に差しのべただけ。

打とうとすること自体力みが生じているわけで、
そうすると経絡が詰まり勁が通らなくなってしまう。

とにかく、ゆるゆるで打つ。
そして跟歩(こんぽ)で十分体重を落とす。
勁力は筋力をはるかに超える絶大なパワーがあるという。

もうひとつの私の中でのタブー。
それは息を切らすこと。

五行拳を始めたばかりの頃、足腰に響き、すぐに疲れてしまっていた。
疲れると集中力がなくなってしまうし、気力も落ちてしまう。

が、今では当時ほど疲れることはない。
やはり無駄な力を使っていたのだろう。
太極拳もそうだが、形意拳も力みが抜けるのに何年もかかるということだ。

私が初めて形意拳を見た時は、とても内家拳とは思えなかった。
どう見ても空手のような動き。

しかし、前述したように無駄な力を一切省き、内面に耳を傾けると体内に静かなパワーが潜んでいることに気づかされる。

いやぁ、今日は実に気持ち良かった。
太極拳もやればやるほど楽しくなるが形意拳も同じ。
ガンガン打つのではなく、じっくりと吟味しながら練る。
明日もこの感じで行こう。

2014年12月3日水曜日

タバコとアルコール

タバコとアルコール。
二つとも確実に老化を促進させ、寿命を縮めるもの。
あえて私が語らなくとも誰もが認識してることだと思う。

タバコが恐ろしいのはその添加物。
化学薬品だらけ。
不快な臭いの原因は殺虫剤。
オマケに中毒症状を増強させる薬品まで含まれている。

体内のビタミンCをどんどん破壊し、免疫力を下げ、癌化を促進させる。
肌は荒れ、ハリを失いシワも増える。

アルコールも寿命を縮める。
肝臓にダメージを与え、
肝臓の解毒処理がピークを超えると、毒素(アセトアルデヒド)が体中にまわり、
厄介な頭痛を引き起こしたり、持病をも悪化させる。

食道や胃の粘膜を破壊し、消化機能に打撃を与える。
ビタミンBが欠乏するので体がだるくなったり、ヤル気がでなくなったりするのはそのため。

私はどちらもやらないからこう言ってるのではなく、
どちらもやってひどい目に遭ったからこそ、その恐ろしさを知っている。

そもそも、なんのために太極拳を始めたんだろう?
私は在宅ビジネスを始めてから体がどんどん弱り、危機感を感じたからだ。

体を一から作り直すつもりで始めた。
体の中の毒素を全部出し切りたいとも思った。
それが後にデトックスと言われるように。

気功がおもしろいのは、体を動かさないのにイメージ力で毒素を排出することができること。
太極拳がおもしろいのは、頑張っていないのに体力がつき、健康になること。

別にタバコもアルコールもやめなさいと言っているのではない。
ただ、コップに入った汚い水を出そうとしているのに自ら注ぎ込んでしまっては、イタチゴッコでしかないということ。

いつまでも若々しく生きたかったらこれらを控え気功と太極拳を楽しめばよい。
当会ではそのお手伝いをします。

健康を願う人に健康になるお手伝いをすることこそ私の使命だと思ってます。