2014年11月29日土曜日

呉式太極拳

今日は先輩である武術仲間と8時間に及ぶ練習を行った。

一緒に套路を行ったり、推手、技の用法練習、基礎対打、自由散手などなど。

自由散手ではフルコンタクトで行ったので、手と足は打身だらけ。。
なにしろ相手の突きや蹴りがやたら重い。

ところで今日は思わぬ発見をした。
楊露禅直系と言われる楊家太極拳が呉式太極拳と非常に酷似しているという点。
(専門的な話になってしまい申し訳ない・・)

呉式太極拳の特徴として、前傾姿勢や虚実が他の流派に比べてハッキリしている点だが、
楊家太極拳の虚実の体重バランスは10:0とのこと。
ほとんど片足で立っていることになる。
大木に添え木がしてある感じだろうか。

そういえば私の師匠も始めて太極拳を教えてくれた時、最初は体重バランス7:3でいいが、慣れてきたら9:1又は10:0が望ましいと仰っていたことを思い出した。

これこそが楊無敵と言われた楊家太極拳。
そして最強と言われる呉式太極拳。
そして陳泮嶺の創始した太極拳である双辺太極拳。
これまた前述した2つの流派に非常に似ている。

因みに楊家太極拳は勁力が最大限に発揮できるような独特の歩法や手法を用いる。
圧倒的に強いと感じた。

それに似ている呉式太極拳に対し今までとは別に角度からとても興味が湧いてきたということだ。
極めたい武術は数あれど、呉式太極拳は今では無視できない流派となった。

2014年11月28日金曜日

寒い季節こそ太極拳

11月も下旬に入り寒さも一段と厳しくなってきた。
夜になると気温もぐっと下がり温度も一桁になる。

周りでは早々とコートを羽織り、インナーにはヒートテック等を着こみ寒さをしのいでいるようだが、
私は未だにインナーは夏物の長袖Tシャツだ。
そしてその上は夏物の長袖練習着。

足代わりに250㏄のバイクに乗るが、こんな寒さでもその上に薄いウインドブレーカーを一枚羽織るだけ。
寒いどころか練習後は体がポカポカでそれさえも脱ぎたくなるほど。

かつての私はとても寒がりだった。
だから今のこの状況がちょっと信じられない。

ダウンコートやヒートテックなどなかった時代は、寒い季節になるとブルブルと震え、体を動かすしかなかった。
小学校時代は子供は風の子と言われるように、真冬でも半ズボンで登校してくる同級生がいたことを思い出す。

いずれも今自分の中で決めていることがある。
今年の冬はヒートテックを身につけないということ。
身につけた時は確かに温かいが、時間が経つにつて体がそれに慣れてしまい体自身が発熱しようとしなくなってしまう。
というよりそれを身につけて練習しだすと暑くてたまらなくなる。

そういえば昨夜のサークルの時、空調が暑かったので冷房を入れようとしたら女性会員数名から悲鳴が。
仕方なく冷房を入れるのは諦めたが、おかげで最後まで暑くてたまらなかった。(苦笑)

因みに自宅のエアコンの設定温度は20度。
これでも部屋の中で練習しだすと暑くて汗が出てくるのでエアコンのスイッチを切ってしまう。

ここで思った。
太極拳はエコに貢献すると。

それだけではない。
寒さに負けない丈夫な体がつくられていく。

太極拳は道具がいらない。
どんなにやってもタダ。
それで電気代も衣類代も節約でき、健康になり、肌もきれいになり、足腰が強くなり、いつまでも若々しくいられる。

やっぱり太極拳っていいなぁ。
(笑)

2014年11月25日火曜日

W1の反省会

昨日、第8回目の伝統武術観摩交流大会W1-GPに出てきた。

去年は入賞ならずだったが、今年は銅メダル。
自分の出来からして入賞は期待していなかっただけにとても嬉しかった。
周りからも嬉しいお言葉をたくさん頂いた。

しかし煮え切らない自分がいる。

今思うことは、「まだまだ出来た」ということ。

何故出来なかったのかははっきりしている。
練習方法の詰めが甘かった。
以前は動画チェックを頻繁に行っていたが、最近それをあまりしなくなっていた。
自分ではできているつもりでも動画を観てみるとぜんぜんできていなかったりする。

動きの正確さや、リズム、足運び、手の動き、丹田から動けているか、套路全体の構成などなど。

他の選手を見ていてそれを凄く感じた。

大会は自分の実力をどれほどのものか知ることもできるが、
それ以上に、大会に出ることによって次への目標や課題が明確になる。
無駄な練習をしなくなり、必要な練習をしっかり行うようになる。

次の県大会が終わった時は「まだまだ出来た」ではなく「最高の出来だった」と思える自分でいたい。
再度練習メニューを見直し、すべきことを明確にしようと思った。



2014年11月15日土曜日

行ったり来たり・・

その後体を休めてみたが、
疲れがとれたのかどうかわからないが今度は夜眠れなくなってしまった。

まったくなかなかうまく行かないものだ。。
しかし、1日休んでハッキリわかったことがある。

身が軽くなった。

そういえば重くなろう重くなろうとし過ぎて本当に重くなってしまったようだ。(苦笑)
試しに震脚を打ち込んでみた。
軽い。

体が適度に疲れると無駄な力を使おうとしないから、
体が沈みやすく、しかも震脚も図太く鳴り響く。
が、逆に脚が上がらなくなり、脳の働きも鈍くなり、しかも速い動作でもたついてしまう。

又、適度の疲れていると夜ぐっすり眠れる。
ベッドに入ったとたん熟睡できる。

要するに軽くも重くも自在にコントロールできなければいけないということだと思う。

それは、気によって体内の水分を移動させるような感じだろうか。
ゆっくり息を吸って、ゆっくりと吐く。
すると気が落ちる。
それによって身体と動きが安定する。

呼吸とイメージが大事だと思った。

因みに私に気功を教えてくださった先生は、イメージしなければ気を巡らせることはできないと仰った。
要するに意識しないと気は集まってこないし、巡らせることも練ることもできないということだ。

何を見るか?
人は普段、目に見える物質だけを見ている。
だが、気功ではそうではなく、見えない部分を見る。
すると見えないものが見えだすのではなく、手のひらを中心に体中に気が集まってきてそれを感じることが出来る。

気は見るものではなく感じるものだということ。

2014年11月12日水曜日

休む勇気

ずっと筋肉疲労がとれない。
脚も上がらなくなった。
妙に体に力が入る。

ついでに前はスラスラできた套路も途中で詰まるようになった。
明らかに何かの落とし穴に入ってしまったようだ。

多分、練習疲れが溜まって疲労が慢性化してるんだと思う。

練習状態が良くないから、しんどくとも練習を続ける。
すると、どんどん落ち込む。
これではマズイと更に練習を続ける。
そして状況は更に悪化する。

全くもって悪循環。

以前、先生に「休む勇気も必要だ」と言われたことがある。
確かにそうだ。
休めないのは気持ちに余裕がないから。
ここはやはり思い切って休まなければならない。

試合の日が迫っているというのに休むなんて。。
いや、勇気だ。
今日は休もう。
なにがなんでも。

ゆっくりお風呂に使って、早めにベッドに入りゆっくり体を休めるとしよう。
元気になれば、きっと何もかもがスカッとうまくいく。
そう信じて。

2014年11月9日日曜日

表演は格闘だ

表演というと踊りというイメージがあるかもしれない。
でも、仮に踊りだとしたら?

踊りでもいいじゃないか。(笑)

太極拳は武術だ。
だけど、見ていて美しいし、きもちいいし、どんどん健康になるし、肌がキレイになる。

私は練習の中に散手単打というのも組み込んでいるが、でもそれだけでは物足りない。
太極拳のあのゆっくりとした動きの中には無限の可能性が秘められている感じだ。
速い動きは日常生活でも求められるが、遅い動きを日常生活ですることはない。

昔、私は足が遅かった。
学生の時はかけっこでいつもびりっけつだった。

しかし社会に出るようになってから足がどんどん速くなった。
理由は簡単。
仕事でいつも時間ギリギリだったからだ。
ギリギリにならないとエンジンがかからない。
そして、猛ダッシュで職場に駆け込む。
これを毎日繰り返していれば自動的に足が速くなるという具合だ。

でもどうだろう?
出勤までに時間がたっぷりあるからといって、太極拳のようにゆっくり歩いたりすることはあるだろうか?
太極拳をしている人が老若男女問わず信じられない程元気なのは、そのゆっくりの中に隠されていると思う。

因みに今の私はギリギリ人間ではない。
走ることに疲れたからだ。(汗)
10分前に着くよう余裕をもって行ったほうがラクだし、無駄な労力を使わずにも済む。
そしてパンパンだったふくらはぎも細くなり、体つきも太極拳の体になった。

話を戻すとしよう。(笑)

表演は単なる踊りではない。
人前で演武するには勇気がいる。
勇気がいるのは闘う時だけではない。
いわゆる自分との格闘だ。

私は思うのだが、
自分に勝てないものが相手に勝つことが出来るだろうか?

健康にしてもしかり。
病気になるのはいわゆる、自分の中の自分が環境に負けているから。
体内では常に免疫細胞が外から入り込んだウイルスと闘っている。
その免疫を上げる方法は様々だが体を動かすことで活性化させることができる。
特に太極拳はすごく良い。
太極拳を始めてから私は風邪で寝込むことがなくなった。

太極拳は武術だが、美しい演武をするのも、健康を手に入れるのも武術のひとつだと私は考える。

2014年11月8日土曜日

青空と表演

同じ太極拳を行うにしてもその場所によって内容は大きく変わる。

始めて習った太極拳をまず自宅でやってみた。
というより体が勝手に動き出したと言うのが正しいだろうか。

仕事中デスクに向かいながらも手は雲手(うんしゅ)、
リビングでは玉女穿梭(ぎょくじょせんさ)、
廊下では野馬分宗(のまぶんそう)、玄関にぶち当たるまで繰り返す。
トイレでも便器に座りながら雲手。

そうこうしながら部屋の中でやるだけでは物足りなくなり
近くの小さな児童公園でやってみた。
場所を次々と変え、近所の遊歩道や、少し大きな公園、そして河原・・

いわゆる太極拳はどこでもできるのだ。

2年程前に習っていた先生は、梅田から天満橋まで形意拳を打ちながら帰ったらしい。
新快速の中でも先頭車両から最後尾車両まで跟歩(こんぽ)で歩いたとか。

そんな話を思い出し、
いつか終電でうっかり別の路線に乗ってしまい家に帰れなくなってしまった時のこと。
已む無く下された駅の近くのファミレスで少し時間をつぶし、そこから駅までの1.5㎞ぐらいの距離を形意拳を打ちながら歩いてみた。
真夜中にだ。(笑)

するとなんだか更に体がソレを欲しがるので、
駅近くの大きな駐車場で思う存分形意拳を打つ。
真っ暗闇でだ。(汗)

タイトルと話がそれてしまったので話を戻す。

青空と表演は違う。
青空は演武を人に見せるのではなく、自然との融合がテーマだ。
誰も見ている人はいない。
だから内面の世界に集中することができる。

一方表演は人様に見て頂く。
なので内面探求している暇などない。
といっても美しさとは内面から湧き上がるエネルギーによって作り出されるものだと信じる。
決して形作ろうとして生まれるものではないと。

自分の中の自分を思いっきり放出させる感じと言おうか。

これは裸の自分を見せるよりも恥ずかしい。
何しろ自分の中の自分なのだから。
しかしその羞恥心を超えた時に素晴らしい演武が生まれるのだと思う。

私は教室では自分の中の自分は出さない。
というか出せない。
スイッチが入らないのだ。

このスイッチは大勢の人前に立った時の緊張した空気の中で初めて入る。
この時の心の声は・・
「もう逃げられない。やるしかない。」だ。

2014年11月7日金曜日

ヤル気が出ない時はどうする?

イベントや大会が近付いているというのになぜか意欲が出ない。
練習は毎日3~5時間ぐらいはしているのだが。

これだけ練習していれば意欲が出ないとは言わないだろうか。(笑)

いずれも太極拳の倦怠期のようなものに入っているような気がする。
いや、太極拳は好きなのだが試合向けの練習に対しての意欲がイマイチ芳しくない。

去年はモチベーションがいっぱいあった。
しかし、今年は平和過ぎる。

私の場合、逆境の中でヤル気が起こる。
荒波の中でこそ意欲が燃える。
ここはピンチを作り出すためにもマイナス思考を高めなければいけないのだろうか。(笑)

そういえば、今日ある会員さんと話していてこんな話が出た。
当会員のUさん。
最近意欲が凄い。
何も言わなくとも率先して練習し、しかも休まない。
私よりも意欲が凄いと言う噂だ。

そして、Fさん。
最近急激に伸びてきた。
明らかに練習しているのがわかる。
本人に聞いてみると、わからない部分が出てくると寝る前であっても動画チェックしたりして、徹底的にそれを解明しないと眠れないのだそう。
で、結局、明け方になってしまうとか。

皆凄いなと思うのだが、考えてみれば私もそういう時期があった。

う~ん、
このふわふわした感覚はなんだろう?

ひとまず、ヤル気が出ないなりにヤル気を起こさせるための練習を行う。
それが基本功だ。
ひたすら同じことを繰り返す。
何度も何度も繰り返す。

五行拳もいい。
ずっと崩拳を打ってるとだんだんハイになってくる。
あの単調な繰り返しがどうやら脳内の快楽物質の分泌を促すようだ。

普段最もつまらないと思える練習は、実はやる気を起こさせるためのモチベーターになりそうだ。

いろいろやってみると新たな発見があって面白い。