2014年4月7日月曜日

力みを抜くことは本当に難しい

一昨日、恐らく6年ぶりになろう恩師と東京で再会。
私に初めて太極拳を教えてくださった師だ。

その後どのように変わられたのだろうとドキドキだったが、お会いした瞬間、雰囲気お変わりなく懐かしい気分になるとともに少しホッとした。

太極拳と言えば、健康志向、表演志向など様々だが、師匠は完全に武道家。(ご自分では武術家とは仰らない)
ひたすら自分の中の“強さ”を求め日々修行しておられる。

今回、師匠を見て感じたことは、とても柔らかくなられたということ。
武術そのものだけでなく、人格的にもとても柔らかい空気を感じた。
以前の師匠はとにかく恐かった。
目つきが鋭く、触れるとこちらが痛い思いをするので近づくことすらできなかった。

稽古が始まり、まず最初に指摘されたことは筋力で体を支えようとしていること。
バレないようにと思っていたが、すぐに見抜かれてしまった。(笑)
確かに以前の自分は筋力で支えることを避け、常に力を抜くことを心がけていたのだが、試合向けの練習をするようになってから、筋力で支える癖がついてしまったようだ。

試合と言えど、筋力に頼らない沈む力と天(宇宙)に広がる感覚で動くことができないかが今後の自分の課題になりそうだ。

推手(すいしゅ)や散手(さんしゅ)も行った。
ここでもやはり力みを指摘される。
自分の中では限りなく力を抜いているつもりなのに、まだまだ力みがあったようだ。
どこに力みがあるかは解らないが、確かに無意識ながらも相手の動きに対抗しようとする力が働いてしまっていたんだろう。

「風を起こす」という師匠のアドバイスを元に限りなく力みを排するよう意識し、相手の動きに逆らわず合わせるように集中してみた。
一瞬それが出来たようで私の相手をしてくださったお弟子さんもそれに気づかれたよう。

そして、最後は勁力、いわば貫通する力を体験させていただく。
というより、今回私が師匠にお会いしたかったのはこれを一番体得したかったからだ。
勁力のコントロールを誤ると、内臓を傷つけてしまうばかりでなく死に至ることもあるというので内心怖くて仕方ないのだが、こればかりは経験しないと決して解らないこと。

腹に指先や拳を添えられ勁を通して頂く。
気は流れるものだが勁は貫く力があるという。

そしてこの時に初めて褒めて頂いた。
丹田が出来ていると。
毎日、立禅気功をした成果だろうか。

いずれも、腹に勁を通され、数十分後から腹に鈍痛のような痛みが出てきて、それが2時間ぐらい続いた。
今回、師匠もかなり手加減してくださったのだが、10年ほど前に勁を通された時はその瞬間から翌日まで腹痛が続いた。
それもそのはず、その頃の私はまだまだ全く丹田が鍛えられていなかったからだ。

やはり師匠の勁力は本物だった。
そして自分の丹田が以前に比べ変わったということが解ってとても嬉しい気分になった。

勁力は目に見えない。
発勁も目に見えない。
本物の勁力は体内を通って相手の体を貫通させてしまう力。
意識の世界だから目に見えなくて当然といえば当然なのだが。

いずれも力みがあるうちは、この力を得ることはないだろう。
今日から、筋力に頼ろうとせずに、もっともっと力みを捨てるよう練習しよう。

今回は本当に貴重な経験をさせて頂いた。
師には心から感謝の気持ちを述べたい。