2013年12月18日水曜日

力を使わない力

太極拳ばかりやっていると、どうしてもゆっくりと柔らかく動くことばかりに意識がいってしまう。
それはそれで好きだし、今後も更に腕を磨いていきたいと思う。

それにゆっくりとした動きには神秘的なイメージがある。
魔術師がトリックを使う前に手で気を練るような動作をするが、なにか不思議なことが始まるような雰囲気がある。(笑)

ところで来年、形意拳でも大会出場することを決めてから、形意拳に対し本腰を入れて取り組むようになった。
まあ、本腰と言っても本当に練習している人に比べたらまだまだだと思うが。。
そこで要求されるのがスピード。

太極拳は防御型の拳法だが、形意拳は攻撃型の拳法に見える。(少なくとも私は)
しかし勁力を養うためには出来る限り脱力しなければならないという。
脱力に対しての解釈は様々だが、私は脱力でいいと思っている。(力を脱するという意味だから)
(脱力という代わりに放鬆(ほうしょう)という言葉もあるが、これもピンとこない)

用意不要力(よういふようりき)という太極拳の言葉もあるが、
力で相手を制するのではなく意をもって制するということになると思うが、実際力を抜いたほうが見た目のスピードは速い。

筋力を使った突きは最初から早いが、力を使わない突きは厳密に言うとゆっくりから急加速するような感じだ。
車で言えば、高出力エンジンとターボエンジンの違いだろうか。
高出力エンジンはロケットのように急加速する。
一方、ターボエンジンは立ち上がりが遅いがかかりだすと強烈な加速が得られる。
最初の加速に騙されているといきなりすっ飛ばされる感じだ。
当時のフェアレディZやスカイラインGTRに乗った時にそれを感じた。

ところで、力を使わない力を「勁力」というが、最近、勁力という言葉に対してなぜか拒否反応が起きる。
「勁力を使って」と言われても、その勁力の使い方がわからないから、やりようがない。
だから、私がサークルで教える時は勁力という言葉は使わない。

まずは力を抜く。
そして更に力を抜く。
なおかつ力を抜く。
その時にどんなパワーを発することができるか自問自答してみたり、実際に拳を突き出してみる。
すると、なんとなく「これが勁力かな?」という感覚を得る。

力を使わないで打とうとすると、ふうぅぅぅぅぅぅぅぅわっ!!!という感じで突きが出る。
その時に腕の中の水分が拳側にスコーンと移動するのがわかる。
水と言うより、もっと重たい鉛のようなものだろうか?

だから、私みたいな勁力初心者にとっては、今後も勁力という言葉を使わないという方向で行こうと思う。

力を使わないで打つ。
それこそが意で打ってる状態なんだと思う。