2013年11月29日金曜日

幽体離脱の克服

先日の大会で他の選手といろいろ話していたら、「本番になると気が舞い上がって幽体離脱してしまう」という話で盛り上がってしまった。
何を隠そう私もそうだからだ。(笑)

どうすれば幽体離脱を脱することができるか。(?)

それにしても
先日の大会ではあまりにも凄い選手を目の当たりに、しかもたっぷり見過ぎてしまったためにすっかり自信喪失病にかかってしまっていたが、本日より復活。(笑)

私の性格その一。
落ち込みやすく立ち直りやすい。
まるで子供だ。

今、いくつかの套路を練ってみたが絶好調。
大事なことを忘れていた。
○○から動くこと。

あえて伏せさせていただく。
というより今まで何でもブログに書きすぎた。
今後は自分の中でじっくり温めてそれが立証できてからにしようと思った。

さて、幽体離脱の件だが、前回も書いたように予備勢で、いかにリラックスし集中力を高めることができるか?
これは呼吸しかないと思う。
というより呼吸の効果は絶大だ。

しかし、套路に入ったらどうなる?

私は楊式太極拳の套路を練る時、いつしか呼吸に合わせて動くようになった。
いわゆる気功と同じだ。

引くときに吸い、出す時に吐く。
上げる時に吸い、降ろす時に吐く。
開く時に吸い、閉じる時に吐く。

こんな決まりがあるのかどうかわからないが、いつしかそのように呼吸するようになった。
すると動きそのものが変わってくる。

といいつつ、昨夜ある書籍を開いてみると、全く同じことが書かれていた。
私がやっていたことは合っていたのだ。

太極拳は基本、自然呼吸で動くと言うが、もちろん最初はそれでもいいと思うが、突き詰めようとすればするほど本能的に呼吸と合わせた動きになってくるようだ。
いわゆる深呼吸しながら動くという感じ。

もちろん、吸う、吐くの繰り返し動作では割り切れない技もある。
そういう場合は息継ぎが必要だ。
歌を歌う時や泳ぐときにする息継ぎと同じだ。

さて、呼吸に合わせた動作をするということは常に深呼吸しているわけだから動きながらもリラックス状態を維持できることになる。
いや、リラックスどころか体の全細胞がイキイキとしてくる感覚がある。
この時は幽体離脱どころか、いわゆる内外相合の状態。
意識がしっかり体内に宿った状態で動作とも一致する。

調子がいい時は呼吸に合わせた動きをしているのに、最近不調だと思ったらこの呼吸に合わせた動作をすっかり忘れていた。

次の大会まであと2か月ちょっと。
先日の大会でもそうだが、私が競う相手は自分。
どんな結果であれ、自分で納得の行く演武が出来なければそれは勝利とは言えないと思うから。

2013年11月26日火曜日

大会を終えてみて

先日出場した、伝統武術大会は本当に素晴らしかった。
私はというと完全に観る方に回り、そしてどんどん自信喪失。(苦笑)

出場選手が採点するので、観ないわけにはいかない。
いや、観ずにはいられないほど素晴らしい演武ばかり。
そして私の出順は最後の方。
カラオケでも上手い人に先に歌われると自分が歌えなくなってしまうが、まさにそんな感じだった。

だからといってプレッシャーがあったかといえば、そうでもなかった気がする。
伝統武術といっても様々な流派があるわけで、しかもそこに個性が入る。
だから、自分は自分らしく行こうと。
そう思って挑んだ。

本番の出来は、可もなく不可もなく。
少々ミスしてしまったが、なんとか誤魔化した。
情けない。

序盤30秒程立ち上がりが遅れたが、その後はそこそこ練習通りの演武ができたと思う。
逆にいえば、ミスしたことで気が楽になったのかもしれない。

大事だと思ったのは予備勢。
ここでどれだけリラックスし、精神集中できるか?

一応、それは考えてはいたのだが、十分ではなかった。
暖機運転せずに走り出してしまったような感じだ。
今後は予備勢でどれだけ集中力を高めることができるかが課題になると思った。

あと、本番直前になって変更した技があったが、案の定インスタントな仕上がりになってしまった。
やはり本番直前に変えるのは良くない。

それにしても今回出場された選手には全員に満点を贈りたいと思ったほど素晴らしかった。
そして自分に何が足りないのかを教えてもらった。

その後も溜息続きの毎日だが、いつまでも自分に負けてはいられない。
それに、今回のようにコテンパンに打ちのめされることはとても貴重な経験だと思った。



2013年11月22日金曜日

どうやって覚える?

当サークルでは準備運動から気功の全工程が終わるまで約40行程の動作を行う。
これを一度に覚えるのは無理だろう。

しかし、英単語を40語覚えようと思ったらさほど難しいことではないと思う。

因みに私は今サークルで行っている気功を3日ぐらいで覚えた。
覚えたというよりレッスン後に忘れないようすかさずノートにとっていたからだ。
教室から自宅まで電車で1時間ほどだったから、ノートをとる時間としては十分だった。
覚えている限りイラストや言葉でノートにビッチリ書き込む。

しかし、同じ教室のある先輩は1年かかっても覚えていないという。
要するに時間の問題ではないということだ。

なぜ私がこれほど意欲的に覚えようとしたかは、その日のレッスンで学んだことはいつでも人に教えられるようにと思って取り組んでいたからだ。
だから基本的にその日先生に習ったことは、翌週、先生の前でやることができた。(内容はともかく:汗)

以前習っていた先生は、私の前ではいつも注意ばかりで褒めてくれたことなど一度もなかったが、陰で私のことを、一度教えたことを次にはしっかりやってくると褒めてくださっていたようだ。
仲間からそう聞いたときは嬉しかったけど、私としては直に褒めて欲しかった。。

例えば旅行先でとてもいい景色に出会ったとする。
私ならすかさず記録として残しておきたいと写真を撮る。
私のレッスンの捉え方はまさにそんな感じ。

いい景色もいいレッスンも同じことで、忘れないようきちんと残しておきたいと思う。
よく言えばマメで、悪くいえばケチなんだと思う。(笑)

私はサークルの会員専用ページに、練習の参考になるようにと、動画やイラスト、その他テキストをいつでも利用できるように無料で配布している。
私自身が今まで習ってきて「こんなのあったらいいな」と思ったことをそのままつくりあげた。

が、資料を増やしすぎないようにしている。
理由は簡単。
資料が多すぎると今やっていることに集中できなくなるし、それに、資料があることで安心してしまい余計に練習しなくなってしまうという現象が起きるからだ。
私がそうだからよくわかる。(笑)

それに動画で学習しようと思っても、細かな部分がわからないし、自分が正しくできているかどうかもわからない。
それを指摘してくれる人もいなければ褒めてくれる人もいない。
独習とは寂しいものなのだ。(笑)

サークルに参加する意味ってなんだろう?
私は習いに来るだけの場ではないと思う。
そこには自分を見てくれる人がいるわけだから。

さて、ここにきてようやく本題に戻るとする。(笑)

どうやって覚えるかだが。
車でも運転している者は道を覚えるが助手席に座っている人は覚えない。
理由は簡単。
覚えようという気がないからだ。(笑)

確かに運転席でも助手席でも目的地に到着することはできる。
大事なのはそのプロセスだ。

その気になりさえすれば覚えるのは簡単。
全部を覚えようとせず、今日はまず準備運動を覚えようとか、今日は気功の体操の最初の3つだけ覚えようとか、区切って覚えようとするのが良い。

資料をつくろうかとも何度も考えたが、私としては「サークルに参加して覚えた」という達成感を得て欲しいと。
私自身がそうだったから、喜びは分かち合わないとね。(笑)

2013年11月21日木曜日

なぜ手が震える?

練習の時は手が震えることなんてないのに、本番だとどうして手が震えるんだろう?
「そりゃあ緊張しているからだろう」ということになりそうだが、本当にそうだろうか?

そもそも手が震える時、手に意識が行ってることは間違いないと思う。
足に意識が行けば足が震えるだろう。

因みに私は高所恐怖症だが、高いところから下を見下ろすと足が震え、腰が抜けそうになる。
これは今の話とは関係ないか。(笑)

では、なぜ手を意識するんだろう?
それは見た目を気にしているからだと思う。

本来、武術は中から動くものだ。
中から動けば震えるなんてことはないはず。
実際、一人で練習している時、自分でも最高に気持ちいいと思える時はどんなにゆっくり動いても手が震えることはない。

さっき、いつもの1/5ぐらいの速度で演武してみたら、特に目立っては手も足も震える様子はなかった。
それどころか最高に気持ちよかった。

ゆっくり動けば動くほどバランス感覚が要求されるから、体が軸をしっかり保とうとする。
軸を保つためには気を沈めなければならない。
というより、そんなこと気にしなくとも自動的にそうなる。

だから、気を沈めたり、軸感覚を養おうと思ったら、単にゆっくり動けばいいということになる。
楊式太極拳が強いといわれる理由がなんとなくわかる気がする。
ゆっくりの中では決して勢いでバランスを保とうとすることはできない。

いずれも手が震えるだけならまだしも、剣を持つと必然的に剣先が大きく揺れることになる。
(こういうのを何の法則と言っただろうか?)
私は独自の練習法で剣先が揺れない訓練をするが、その時、意識は剣先にあるが、動力源は手ではなく体の中心部であることがわかる。

話は飛ぶようだが、先日トリモモ肉を包丁で切っていて感じたこと。
力を入れれば入れるほど切れなくなる。
肩の力を抜いてスーッと撫でるように刃をスライドさせると、包丁の重みだけできれいに切ることが出来る。
だから、私はトリモモ肉を切るような感じで剣を振る練習をしている。(笑)

いずれも、まだまだ課題は盛りだくさん。
剣先がぶれないよう剣を操ろうとすると、今度は剣先が下に下がってしまう。
なかなか簡単にはいかないものだ。。

練習していると様々な発見があって、本当に飽きることがない。

2013年11月20日水曜日

技の度に足を寄せる理由

楊式太極拳の套路を通す時、技と技との接続部分で必ず足を寄せなければならない。
一体なぜだろうと。

ここにきてようやく解った。
その答えは套路を套路としてでなく、技として使ってみるとわかる。

そもそも套路とは数ある技を真珠の首輪のように接続させたものだ。
戦術を編み出している間に数多くの技が生まれ、そしてそれを整理しなくてはならなくなった。
数ある技を忘れないようにする良い方法はないだろうかと。
それを套路として整理したのだと私は推測する。

套路を毎日行えば、技を忘れることはない。
それに、覚えるためにはひとつひとつの技をただ並べただけでは覚えずらい。
だから繰り返し動作を入れ、曲のように仕上げたのだと思う。

私は元々作曲をしていたので、套路が曲に思えてならない。
イントロ-Aメロ-Bメロ-サビ-Aメロ-Bメロ-サビ-間奏-Bメロ-サビ-エンディング
という具合に。
リズムが生まれると覚えやすいしグルーヴが生まれる。
そのグルーヴは腹から生まれる。
そう考えると、套路は技を覚えるためだけの暗記帳ではなく、丹田と勁力開発のためのプログラムだと考えられる。

私が制定拳から伝統拳に絞った一番の理由だ。
繰り返さなければ決して気を練ることはできない。
だから伝統套路は決して見世物ではなく、能力開発のための極めて精巧なプログラムだと考える。

すでに話が脱線しているので元に戻すとしよう。

技の度に足を寄せるのは、実際の技はそこから始まるからだ。
実際の戦闘では起勢、攬雀尾、単鞭の順番で技を使うなんてことは100%あり得ない。
私が知る太極拳の基本的な構えは、攬雀尾の始まりの部分だと師に教わった。
確かに、あの構えはどんな状況下でも臨機応変に対応することができる。

足を寄せているというよりは実際は片足立ちなのだ。
王さんの一本足打法と同じだ。
どんな球が飛んでこようが、体をどこにでも持っていくことができる。

套路では足を寄せるだけで実際つま先はつかない。
が、それは演武上での問題であって、実戦とは関係がない。
確かに表演の時、技の度に足をついていたのではあまり恰好いいとは言えない。

いずれも、技から技へ移行する時、足を寄せてから出すのは結構しんどい。
しかも惰性で足を出すわけではなくゆっくりと猫のように足を出す。

しかし、このしんどい作業をすることで普段あまり鍛えられないインナーマッスルを大きく開発することができる。
因みに私は特殊な訓練をしていないのに、座った状態から片足を前に出して片足で立ち上がることが出来る。
これは套路を練っているうちに勝手に身に付いた能力だ。

結論としては、足を寄せることは技を技として使うために絶対必要なことと考える。
だが、足をついて良いかどうかはどちらでもいいと思う。
サークルでも、どちらにするかは個人の判断に任せている。
膝が弱い人はついたほうが良いと言えるし、インナーマッスルを鍛えたい人はつかずに寄せてから足を出すのが良いだろう。

最近、試合のために短い自選套路ばかり通していたが、今日久しぶりに85式を2回通して、改めて伝統套路の凄さを実感した。
大会では時間制限があるので仕方ないが、太極拳を健康法、あるいは武術としてやっていくなら、やはり伝統套路を毎日やるのが良いと思った。

2013年11月19日火曜日

剣をもって誰と戦う?

大会当日まであと4日となった。

緊張しているかといえば、どちらかといえばあまり緊張していないかもしれない。
この時期に入ったら、ジタバタしてもテンションが乱れるだけだし
それよりも体に疲れを残さないようにと。
あとは、弱点克服よりも、得意な部分をもっと見せる方法はないかと考える。

多分、今、弱点克服を必死でやろうとすると、余計にハマってしまうような気がする。
当日、ミスが出ないよう神に願うしかないかなと。

ところで、以前、私は戦っているように演武しないとブログに書いたが、
剣で勝負すると決めてからは、剣で何かを切り裂くように動いている自分がいることを発見した。

斬る、突く、えぐる。
誰かと戦っているようだ。(自分の中ではね)

その誰かが最近わかった。
自分だ。

「もっと集中しろ!」と言わんばかりに自分で自分を斬ってるように感じる。

それと、もうひとつ。
煮え切らない切なさのようなものを剣に込めているような感じもする。
その証拠に突く動作がやたら粗っぽい。(苦笑)

最近仲良くなったブレイクダンサーのCさんとまた話が盛り上がってしまった。
「演武する時は形にこだわるのではなく、腹から湧き出すパッションで動くんだと思う」と言うと、彼は深くうなずいていた。
「動こうとする」というより、「動かされる」という感じだろうか。

これは体の柔軟性とか筋力とかではなく、メンタルの世界だと思う。

先日、サークルのイベントで行った公開練習は第一回目にしてはまずまず成功だったと。
なにしろ始まってまだ1年もたたないサークルだし、最初から最後まで息つく暇もなく自分が出ずっぱり。

演武だけではなく、進行やトーク、トラブル時の対処、雰囲気づくり、ビデオ撮影、お客さんとのコミュニケーションなどなど。
様々なことに気を払わなくてはならなかった。

仲間の助けもあり、結果として良いイベントとして終えることができたが、正直なところ大会出場より気が重かった。
自分は指導する立場だし、多少の間違いはご愛嬌ということでも、枠を超えたヘマは出来ない。
なので、その日の自分の演武は完全に守りに入っていた。
いい演武をしようというより、失敗しないように演武しようと。(苦笑)

今まで出会った何人かの先生が生徒の前で演武したがらない理由がなんとなくわかった気がする。(笑)

とまあ、ここまでの話はあくまでも私の中でのこと。
会員さん達はいろいろ手伝ってくれたりしてとても助かったし、演武に関しても始めた頃に比べてとても上達したなと。
なにより皆と一緒に成し遂げたというのがいい。
終わってから皆とランチをし、私はパスタを食べたがいつもの十倍ぐらいおいしく感じた。(笑)

話は戻るが、サークルのイベントと違って、大会は自分との勝負だ。
リーダーとしての責任も問われないし、失敗しても自分だけが悔めば済む。

だからイベントの時のように内にこもって演武するのはやめよう。
守りの演武は気持ちよくない。
失敗しても思いっきり行きたい。

今は本当にそういう気持ちだ。

2013年11月13日水曜日

太極拳中毒

今のところに越してきた約3年前、
休止していた音楽を再開したくて、フェンダーのギターを買った。
一時は、毎日のように練習し燃えまくっていたわけだが、肩こりがひどくなりあえなく断念。

仕事では半日以上パソコンと向かい合って、ただでさえ肩が凝るのに、ギターを始めたと病院の先生に言ったら、すかさず怒られてしまった。(苦笑)

他にも音楽を楽しもうとタワー型のスピーカーやアンプも買ったが最初の1ヶ月ぐらいだろうか?

DVDを楽しもうと、様々なDVDを買いあさり、サラウンドを楽しもうと重低音が響くウーファーも買ったが、スイッチを入れたのは3回程度。
今や娯楽室は足の爪を切るだけの部屋になっている。(笑)

それよりなにより、体が太極拳をしたがって仕方ない。
仕事の合間、ご飯を食べる前、食べた後、歯を磨いた後、寝る前・・
下手をすれば夢中になって朝を迎えてしまうこともしばしば。
完全に太極拳中毒になっている。

あとは、「一日のご褒美として太極拳」みたいな感覚があって、
最後の最後までとっとくような変な習慣までついてしまう始末。

太極拳をやりたいから、仕事を頑張ろうとか、用事を早く済ませてしまおうとか。

電車や車で移動中の時も太極拳をしたがる体をぐっと抑えつけている。
本当に困ったものだ。(笑)

あの、ゆっくりと呼吸するよう体を伸ばしたり縮めたり、
あるいは空間の粘りを体で感じたり、
それが気持ちよくて仕方ない。

恐らく今度、越す時は、太極拳が出来る広い居間がある部屋を探すと思う。
いや、自宅道場が欲しい。

太極拳のいいところはスペースさえあれば、お金のかかることはなにもない。
カラダひとつあればいつでもどこでも楽しめる。

相変わらず、スーパーで買い物したりしている時に、歩形の練習をしたりする癖があるが、
近所の人に変な人だと思われないうちに、この癖を直さねば。(汗)

2013年11月11日月曜日

立身中正を普及させたい

最近、私のまわりで腰痛や膝の痛みを訴える人が多くなった。
私はどちらも経験しているし、その克服法も太極拳を通じて知ることが出来た。

結論から言えば、腰をまっすぐにすれば腰痛は起きえないと言いたい。

腰椎が引力に逆らうことなく、まっすぐな状態であれば椎間板も安定した状態を維持できる。
しかし、背中を反らせてしまうと背中側の椎間板を圧迫することになる。
若いうちは椎間板もしっかりしているが、高齢になってくると弱ってくるので圧迫することで椎間板がつぶれたり、飛び出したりしてしまう。
これは巷で有名なグルコサミンやコンドロイチンを積極的に摂取することで椎間板を強くすることができる。

ところで、もしスカイツリーが少しでも傾いたらどうだろう?
傾いた側の柱に負担がかかるはずだ。
地球には引力がある。
その引力に従って、傾いている方に倒れようとする。
そして柱が負担に耐え切れなくなったら倒壊することになる。
人間の背骨も同じ。

だから、私はサークルでうるさいほど背筋をまっすぐにしなさいと言う。
それは単に太極拳の演武がきれいに見えるからだけではなく、健康法として大変優れているから。

しかし間違った姿勢で太極拳を続けると健康どころか健康を害してしまう。
そうなると太極拳ではなくなってしまう。

なぜなら、姿勢をまっすぐにすることは単に健康法として優れているだけでなく、
武術的にも勁力を出しやすい状態だからだ。

先日、仲間とミットを使ってある実験をした。
まず、腕力で掌を打ち込んでもらう。
次に、立身中正で打ち込んでもらう。
その衝撃は圧倒的に立身中正のほうが大きかった。
私の体感では5倍以上の衝撃があった。

突っ立ったまま突いているのに、なぜパワーが増すんだろう?
多分、引力を生かしているからだと思う。
引力に逆らわず、沈む力と突く力が合わさると破壊力が増すということらしい。

姿勢を正すことは、健康法として優れ、演舞も美しく見せ、そして武術的にも破壊力を増す。

尻をひっこめるとか、クワを入れるとか、その前にまっすぐになることが大事だと思う。
そのまっすぐの状態で突いたり引いたりしようとすれば自然と尻はひっこむし、クワも入る。
重いものを押したり、重いものを引っ張ったりしようとすれば武術的に正しい姿勢になるのだ。

先日、自宅マンションの前で車が溝にはまってしまっていたので、私ともうひとりの男性でその車を溝から持ち上げた。
その時の姿勢は決して尻が出た状態ではない。
尻が出た状態では力が入らない。
無論、クワが出ている状態でも力は入らない。
「どうすれば重いものが持ち上がるか」と自分の体に問いかければ自ずと答えは出てくるということだ。

姿勢を正すということに関しては、今まで間違って教えてこられた。
背筋を反らすことが良いことだと教え込まれた。
「きをつけ!」と言われると自然と腰を反らした姿勢になる。
これは間違っているのだ。

家事をする時も、椅子に座っている時も、電車に乗ってる時も、車を運転している時も、背筋をまっすぐにして欲しいと思う。
なにを隠そう、私自身が30年近く患った腰痛を克服した方法は、薬でもなく手術でもなく、単に背筋をまっすぐにするだけだったからだ。

苦手分野の克服

大会の日が迫ってくると、苦手分野に対しての焦りが大きくなってくる。
それをToDoリストに起こしひとつひとつ克服していく。

因みに苦手を克服する方法はひたすら練習しかないと思う。

ただ、注意しているのは苦手を克服するために小さな成功例を積み上げていかなくてはいけないと思っている。
例えば、独立歩。
どんなベテラン選手でもいざ本番になるとバランスを崩している選手をみかける。(私も含めて:汗)

確かに本番では練習時の実力は発揮できない。

話が急に飛ぶが、先日、生徒の前で演武し套路の途中で忘却した理由がようやくわかった。
恥ずかしかったからだ。(笑)
なんというか・・入浴シーンを覗かれているような。
イベントや試合では恥ずかしいなんてこと微塵もないのに、どうして生徒の前だと恥ずかしいんだろう?

まあ、それは良いとして、大会等では恥ずかしさはなく、そのかわり緊張感がある。
何しろ審判に四方八方囲まれた状態で演武するわけだから。
演武中は自分の世界に入っているので目が合うことはないが、早くこの苦境から逃れたいという心境になる。

話を戻すとしよう。(笑)

苦手な技がある場合、私はまず、なぜ苦手なのかその原因を探す。
そして答えが見つかったらその対処法を考える。
対処法が見つかったら今度はそれを100回繰り返す。
こうすると苦手が苦手でなくなり、逆に得意になる。

因みに、100回繰り返す時は何が何でも思いついた対処法で正確に動作を行う。
もし、100回のうち何回か失敗してしまったら、意味がなくなる。
なぜなら失敗すると、それがセルフイメージに刻まれ、その技が出てくるたびに「失敗したらどうしよう?」という内なる声が聞こえてくることになってしまうから。

要するに、成功例を積んでセルフイメージに、「得意」と覚えこませることが大事だと思う。

はっきり言って100回繰り返すのはしんどい。
でも、確実に効果があることが自分でやってみてわかった。

因みに潜在意識とかセルフイメージって、どこにあるんだろう?
脳?胸?腹?
私は心臓近辺だと思う。(別名、中丹田という)
不安を感じたりする部分が胸だからだ。

だから、小さな成功例を数多く積んで“肝に銘じる”という感じだろうか?

ところで残された大きな課題。
剣で発勁動作をすると剣穂が手首に絡む。
単に突くのではなく、えぐりならが突くという動作。
伝統剣ではこの技が頻繁に出てくる。
手首に纏絲勁(回転動作)が入るから、どうしても剣穂がそれにつられ手首にくるんと巻き付いてくる。
うっとおしい。。

長めの剣穂の場合は剣の動きばかりに気をとられていると剣穂が好き放題暴れる。
要するに剣の動きに対し剣穂がどのように動くか把握しなくてはいけないわけだ。

これも練習しかないんだろうな。。

2013年11月7日木曜日

伝統楊式剣

今、大会向けに楊式剣を練習中なのだが、中でも好きな技が、霊猫捕鼠と野馬跳澗と左右落花。
読み方はわからない。(汗)

アメリカ人も比喩が得意だが、中国人も比喩が好きとみえ、技を猫や馬など動物に例えることが多い。
因みに私は比喩大好き人間。

最初の技はネコがネズミを追いかけるような動きの技だ。
剣を龍のように縦に振りながら突進するのがいい。

私が楊式剣に憧れたのは、この技があるからといっても過言じゃない。
始めて先生の演武を見て、素直にカッコいいと思った。

楊式ならではの流れるような動きの中に突如として荒々しい技が飛び出す。
肉食動物が獲物を狙う時、ソロリソロリと近づきながら、次の瞬間一気に飛びかかるのあの場面に似ている。

これを覚える時は難儀した。
今まで携わった剣術や総合剣等には出てこない技だからだ。
いや、実際には似たような技があるのだが、ずっと小奇麗にまとめてあり、全く違った技に見える。

因みに野馬跳澗は、馬のように遠くに飛びながら剣で下段を刺す。
魚跳龍門は魚が水面からピョンと飛び跳ねるようにジャンプしてやはり下段を刺す。
正直、これがなかなか決まらない。
引き続き大きな課題になりそうだ。

あとは、左右落花。
これは剣を左右に振りながら後退していく。
相手に隙を与えることなく後退し、左右の相手を切り倒しながら、今度は前方に飛び跳ねて前の相手を刺すという感じだ。

ただ、伝統楊式剣はやりようによってはとても単調に見える。
他の型に見られる、派手な蹴り技とか低い姿勢の仆歩など出てこない。
同じ姿勢を保ったままひたすら斬ったり刺したりという感じだ。

いずれも私は脚が上がらないから踵脚とか分脚は苦手だ。
仆歩にしてもあまり低い姿勢はとれない。(努力はしてるのだが・・)

だから身体能力では勝負できないことは分かっている。
私に出来ることは、姿勢(軸)を崩さずどこまで丁寧に演武できるかしかないと思う。

あとは剣にどこまで意識を運ぶことができるか?
上下相髄(じょうげそうずい)とか、内外相合(ないがいそうごう)という言葉があるが、
武器を持っている場合は、上下や内外だけでなく武器も身体の動きに合わせなくてはいけない。
というより、そうしなければ剣に力が伝わることはないだろうし相手を斬ることもできないだろう。

課題をひとつひとつクリアにしていき、万全の状態で臨みたいところだが、多分間に合わないだろうな。。
が、諦めずギリギリまで自分の可能性に掛けたい。

2013年11月4日月曜日

たくさんコピーすること

試合用の自選套路を組む時、何を入れて、何を省いて、どうやって繋げるか?ということが要求される。
私の場合、これらが頭で浮かぶことはほとんどない。

今の時代、YouTubeなどの動画サイトを見ればいくらでもいろんな中国武術を見ることが出来る。
そして今後は更に爆発的に動画が増えていくだろうと思う。

しかし、私はあまり動画を見ない。
動画を見ている暇があるなら体を動かしていたいというタイプ。

そもそもパソコンから離れたくて始めた太極拳。
太極拳をしているのにパソコンにかじりついていたのでは、またひどい肩こりや頭痛に悩まされることになる。

動画を見るとしたら、飯時にお笑い系見る程度だろうか。
きっと癒しを求めてるんだと思う。(笑)

因みに本もほとんど読まない。
いくらか本は買ってあるのだが、まともに読破した本はないのではないだろうか。
子供の頃から頭に知識を入れることが苦手だ。

知識は多い方がいいと思われがちだが、私はそうは思わない。
必要な知識だけあればいいと思う。
ありすぎる知識は邪魔になるし、頭でっかちになってどんどん自由を奪われてしまう。(と私は思う)

話は戻るが、自選套路を組もうとする時、頭では何も浮かばないから、ひとまず動いてみるということをする。
すると、思ってもいない技がパッと出てくることがある。
その技は何かといえば、今まで携わってきた中国武術のある技だったりする。

今まで習った型でも、やっていないものはどんどん忘れていく。
しかし、套路は忘れても、技としては体に染みついているようだ。
それが、套路を作ろうとした時にフッと出てくる。

私が一番好きな武術は太極拳だし今後も太極拳をメインにやっていきたいと思ってるが、同時にいろんな武術をやってみようと思っている。
それがプラスになるということが自分の中でわかったから。
そもそも、そのものの良さは他のものを知ってこそわかることだと思うから。

いずれも私はやっぱり死ぬまでできる太極拳が一番好きだ。

***

どうやら今回はタイトルから話がそれてしまったようだ。(汗)

2013年11月1日金曜日

自分の中の鏡で見る

先日、仲間がこんなことを言った。
鏡を見ないでも自分の感覚でわからないかと。
いわゆる鏡ばかり気にして動くのではなく、自分で自分を感じながら見るという感じだろうか。

そういえば、かつての私はそうだった。
独習期間が長かったことと、練習場所が近くの公園だったということもあり、当然のごとく鏡がない。
だから、自分で自分を感じながら動いていた。

これが実に気持ちいい。
気が付けば瞑想状態というより陶酔状態に入っていた。(笑)

そもそも太極拳の創始者が敵と戦うために鏡を見ながら技のフォームをチェックしていたとは考えにくい。
というかありえない!(笑)

そんな私が鏡を見るようになったのは、東京から関西に引っ越してきて、教室が変わった時だ。
自分では良いと思っていた型を一から厳しく徹底的に直された。
なぜそのようなフォームになるのか疑問を持ちながらも、先生がとても熱心に指導してくださるから私もそれに応えたいと思うようになっていた。

正直、鏡は好きではなかった。
鏡を見ながら動いている状態というのは、いわゆる形を気にしている状態。
気持ちいいはずがない。
中から動いているのではなく、外から動いているわけだ。

しかし、先生も先輩も鏡を見なさいと仰る。
そして、私は気が向かないなりにも鏡を見るようになり、そして鏡と次第に仲良くなりだした。(笑)

いわゆる、フォームが決まらない時は気持ち悪いのだが、鏡に映った自分のフォームが決まっている時は実に気持ちがいい。
が、気持ちのいいが違う。

鏡が気持ちがいいのは、どちらかというとナルシスト状態。
鏡を見ない気持ちよさは、どちらかというと自己陶酔状態。
体を動かすことの気持ちよさに酔ってるという感じだろうか。
結果、同じか。(笑)

因みに私の部屋には大きな鏡が据えてある。
そして、昨夜、仲間の言葉を思い出し、鏡を見ないで動いてみた。
そして定式の時にチラッと見てみる。
特に問題ないようだ。
いや、むしろ鏡を見ない方が自然なフォームになっているような気がした。

いずれも、練習場所に鏡がある環境とは限らないので、鏡がある時はそれをうまく利用し、なければないなりの練習をすればいいと思った。

が、気を付けたいのは、鏡を一切見ない、ビデオも撮らないでやっていると、何かおかしなところが出てくる。
陶酔状態に入ると、首が揺れるようになり、目はうつろになる。(笑)

少なくとも、私が知っている伝統太極拳の先生は、気功や太極拳の套路に入るとそんな感じだった。
私はこれをヒーリング太極拳と呼んでいる。

しかし、これは試合では通用しない。
首が揺れたり、目がうつろになるのは多分減点されると思う。(笑)

自分の癒し向けの太極拳と試合用太極拳は使い分けないとダメだということだ。
少なくとも試合や表演では“見せる”ことをしなくてはいけないのだから。

まあ、一番いいのは美しく、自分でも気持ちいいことなんだろうが。