2013年10月30日水曜日

なんとなく始める

昨日は仲間と約8時間に及んで練習した。
無論、休憩を入れてだが。
お蔭でかるい筋肉痛。(笑)

昨日は、目瞑り推手をやってみた。
これが結構おもしろかった。
感じたことは、目を開いていても目を閉じていても、あまり変わらないということだろうか。
といいつつ何度か飛ばされてしまったが。(笑)

あと、目瞑り組手というのもやってみた。
これは病み付きになりそうなほどおもしろかった。
もちろん手は触れてないとダメだが、目を瞑りながら相手の攻撃をかわし、そして隙あらばこちらからも攻撃を加える。

いずれも少しでも手を触れていれば相手の動きをある程度読むことが出来るが、蹴りが飛んでくるとさすがにわからない。
いや、空手の蹴りのような大きなスイングがあればわかるだろうが、立身中正のまま蹴りが飛んで来るとまるでわからない。
目を瞑りながらも静かな蹴りを読むことが出来るかどうかは今後の課題になりそうだ。

あと、ミット打ちで思ったことは、考えてから打つとまるでパワーが半減する。
何も考えないで打つとスバーン!!という音とともに相手が吹っ飛ぶ。
やはり打つ時は「無心で打て」ということなんだろう。

ところで、何か始める時にあまり意気込むといい結果にならない。
昔は何でも「気合い気合い」といったもんだが、私の場合は気合いを入れるとその後ボロボロになる。

何も考えないで、なんとなく始める。
朝ベッドから起き歯を磨くような感じで。
そうすると型もうまくいくし、推手や組手もいいコンディションで臨める。

今使っているシェアルームで最近ブレイクダンスのお兄さんと一緒になることが多いのだが、先日この話題で話が弾んでしまった。
ダンスバトルでも、あまり意気込むとうまく行かないらしい。

それに、見てくればかり気にすると柔らかい動きにならず結果いい動きにならないという。
それは太極拳にしても同じ。
見てくれを気にして演武するとロクなことにならない。

中から動く。
自分を信じ、自分の中から沸き起こる力で体が動かされる感覚と言おうか。

といいつつも、練習中も本番中も邪念がよぎることがよくある。
まだまだ修行が足りんようだ。(笑)

2013年10月28日月曜日

内功を経て長拳へ

またソファーで寝てしまった。

昨夜、剣の套路を剣を持たず、気を沈めながらスローモーションのように套路を練ったら、体がポカポカと。
それに心地よい疲労感。
丁度お風呂上がりのような感じになり、そのままソファーにという感じで。

そして、今朝起きて、なんとなく気功の体操をしていたら、妙に体がかろやかに動き、ついでに操手も行い、その流れで快練へと。
こんな風にたまに太極拳の技を早い動作で行ってみるというのを本能的にすることがある。

そこで気づくことは、体を緩めれば緩めるほど手の動きが速くなるということ。
もし、手に筋肉が一切なく、単なる紐だったとしたら、どうやってその手を前に振り出すことができるだろう?
そんな風に考えると自然と腹から動くということに気づかされる。

腹というのは、丹田であり、腰であり、股関節であり、
ようするに腹のあたりという感じ。

思うのだが、こういうことって、頭で理解しようとしてもなかなか体がそれに反応してくれない。
というより、頭で考える時点で?マークが出たら、もうその時点で終わりだ。
「丹田から丹田から」と言っても、例え丹田の位置がどこかわかっていても、その使い方がわからなければ、キーを回さなければエンジンがかからないのと同じだ。

しかも丹田から動くということは、キーを回す以前にキーの穴すらどこにあるかわからない。
暗闇でキーの穴を探そうとする時、手探りで何度かそのあたりつ突くことになると思うが、要するに、突いてみないと解らないって感じなんだと思う。

元々私は頭が良くないから、考える前に行動する癖があるが、お蔭で20代30代の頃は数々の失敗をした。(実際には今もだが)
お蔭で成功する方法より失敗しない方法をたくさん知ることが出来た。(苦笑)

いずれも、「考えてから動く」ではなく、「動くことによって悟る」っていうほうが私はしっくりくる。

話がすでにタイトルから脱線しまくっている。(笑)

そんなこんなで、速い動きの練習をしていたら、以前習った長拳をしてみたくなり、やってみた。
今までで一番良かったんではないだろうか?

子供たちは最初から長拳をしたがるが、太極拳から始めればいいのにと思う。
中を作ってから長拳に入ったほうが、本当の意味でのパワーの出し方がわかるような気がする。
※因みに、内面の鍛錬を内功(ないこう)と言う。

カッコよさだけの長拳ではなく、パンチひとつとっても腕力で突き出すのとは異なりキレのあるパンチが出るし、しかも突き終わる瞬間、腕から拳にかけてズドーンと重いものが走るのがわかる。
鉄球が飛び出す大砲のような感じだろうか。

パンチをパンチとして出そうとすると、明らかに形だけの動作になるということが見ていてもわかる。

今、少林太祖長拳(しょうりんかいそちょうけん)というものを習っているが、今やってみたら、なんだかいい感じだった。
2週に渡って覚えた技は、わずか2秒ぐらいの技。
しかし、中を感じながらひとつひとつの動作を丁寧にやると、やたら味が出てくるし、やっていて気持ちがいい。

老師は套路だけではなく技の使い方も教えて下さるから、余計に興味が湧くし、実際に興味を持ち始めている。(笑)

長くなりそうなので無理やり結論に持っていくが、

10年前に通っていた太極拳教室の先輩が仰った。
「ゆっくりが出来なければ速い動きも出来ない」と。

10年経った今、わかったという感じだ。

まあ、それにしても、子供たちに太極拳を10年やってから長拳をやりなさいと言っても無理かな。(笑)

2013年10月27日日曜日

始めての呉式太極拳

なりゆきで今日から呉式太極拳を始めることになった。
興味をもったきっかけは、双辺太極拳にとても似ているから。

様々な流派を取り入れた太極拳と言えば総合太極拳が有名だが、
更に幅広く取り入れたのが双辺太極拳。
第二次大戦中、生きるか死ぬかの戦いで最強の太極拳を作り出そうとして編成された太極拳らしい。

太極拳だけでなく形意拳、八卦掌の要素も加えられ、実戦性が最重要視されている。
手だけでなく脚も積極的に使うので、確かに実戦的だというのは套路を通しているだけでもわかる。

実はこの双辺太極拳で大会に出たかったのだが、残念ながらどの種目にも属さない。
そこでもっとも似ている呉式太極拳に着目した。

今日、30分で第一段(恐らく14式ぐらい)を老師に教わったが、
無論全部は覚えきれていないが、実際に老師について動いてみたら、妙にしっくりくるし、かなり私好みだということがわかった。

体重移動がハッキリしているし、動きも大きく、しかも楊式太極拳に似ていて動きも滑らか。
屈んだり、立ち上がったり、ひねったり、傾斜したりと変化に富んだ動きも楽しい。

大会まであと3か月しかないが間に合うだろうか?
ちょっとした賭けになるが、少なくとも陳式太極拳よりはずっと仕上がりが早いのではと思った。

ついでに老師に技のかけ方も教わったが、胸を使った関節技はとてもおもしろかった。
あれなら女性でも簡単に敵の肘をへし折ることができると思った。

今日は、前回に引き続き少林太祖長拳も習ったが、こちらもモノになればカッコいいと思ったが
私はやっぱり太極拳が一番肌にあってるようだ。

2013年10月26日土曜日

失敗から学んだこと

先日、サークルで演武し、大きな失敗をした。
人前で演武して失敗したのは生まれて始めてだったので、私の中ではかなりのショック。
その日一日は立ち直れなかった。

今まで先生の前で全套路を演武したことも何度かあるし、
イベントにも多数参加してきた。
大会でもノーミスだったし、
先日初めてピンでイベントに参加したが出来はともかく大きなミスはなかった。

いわゆる、今回の失敗は忘却なのだが、何故そうなったのかがわからない。
去年から、おそらく500回ぐらいは通したと思う、割と自信のある套路だったのに。

やり終わって感じたことは、失敗したことによる恥ずかしさというより、サークルの皆さんへの申し訳なさ。
私は割と責任感の強いタイプだから、自分のことより、期待して見ていてくれた会員さんをがっかりさせたことが、なにより残念でたまらない。

サークルを開始した今年の4月からは、会員さん達により良い指導をと思い、確実に自主練の時間も増えているし、練習内容も濃厚になっている。
自分が恥ずかしい思いをしたくないからではなく、正しい指導をしたいという責任感からだ。

逆に言えば、私はサークルを始めることによってスキルアップできると見込んでいたが、実際そうなっている気もする。
イベント出ない。大会出ない。指導しない。
この状態は私にとってだらけるだけのことにしかならないから。
いわゆる自分で自分の尻を叩いているという具合。

なぜ、自分で自分にやる気を起こさせなくてはならないかと言うと、多分、私に始めて太極拳を教えてくださった師に対し感謝の気持ちがあるからだと思う。

きれいごとにように聞こえるかもしれないけど、私はいつだって、何かをする時にその恩師のことを思い出す。
「お蔭様で私は立派に頑張ってますよ」と心の中で呟いている。
いわゆる心の父なんだと思う。

大会でいい成績をとりたい。
良い指導者になりたい。
それは恩師がどこかで私のことを見ていてくれると思うからこそ。

確かに周りからチヤホヤされたいという気持ちがないといえば嘘になるが、
そういうのは20代の時に散々やってきたから、そのころから比べたら今はあまり興味がない。
ただただ、自分を磨いて、そして恩師に認めてもらいたい。

というより、私はチヤホヤされるとその後ダメになるってこと痛いほど経験してきているから、
私の場合それが目標では絶対ダメなのだ。

先日、恩師から手紙と本が届いた。
今年の7月に会う約束をしていたのに、急用ができて会えなくなったことをずっと気にしてくださっていた。
直筆で書かれた宛名とメッセージには心がこめられており、思わず涙しそうになった。
だから、私は師のことが好きなんだと思う。

ただ、教室に来た時だけ教えてくれるというのではなく、師の元を離れて7年近く経った今でも私のことを気にかけてくださる。
本当に素晴らしい方だ。

話が大幅にそれてしまったが、私はいったい何故忘却してしまったのか?
実は未だに謎。
ブログを書き出せば答えが見つかると思ったが、この答えがみつかるのはまだ先になりそう。

ただ、ひとつ言えることは、その忘却が大会やイベントで起こらないで良かったということ。
大会は自分だけの責任で済むが、イベントで忘却してしまったら観客の皆さんに申し訳がたたない。

あと、先生であっても失敗はあるんだということで、会員の皆さんに安心感を与えることはできたかな。
そうとでも思わないと、やってられない。(笑)

2013年10月23日水曜日

立禅套路

立禅套路(りつぜんとうろ)
そんな名称はありません。(笑)

昨夜は体育館のコート1面を借りたので、普段できない器械の練習をしておこうと、4時間ぶっ通しで剣の練習をしたが、どうやら逆効果だったようだ。
ビデオで撮って、あとで見てみたら、ただただ雑な演武にしか見えなかった。

試合では時間が決められているから、何が何でも時間内に収めないといけない。
時間オーバーは確か大量減点のはず。(よく知らないが・・)

ということで、時間を気にしながら、套路を通す。
要するに本番と同じスピードで套路を通すわけだ。
これが実によくない。

やればやるほどハマるし、演武は雑になり、無駄に体力も消耗する。

ということで、今日はその真逆で、時間を全く気にしないで、器械を持たず出来る限りスローでやってみた。
いわゆる立禅のまま限りなくゆっくり動くという感じで。

これがすごく良かった。
普段車で走ってる道を自分の足でゆっくり歩いてみると、今まで見過ごしていたものをいろいろと目の当たりにすることになるが、まさにそんな感じ。

それにゆっくりやれば、動きながら重要なことを意識しながら動くこともできる。
例えば首筋をまっすぐにするということをテーマとするなら、それを唱えながらという感じで。

又、ゆっくり動くとその分片足立ちの時間が長くなる。
脚力はもちろん、軸感覚も養うことができると感じた。

それに、超スローでやると、案外まだまだ肩に力が入っていることにも気づかされる。
まだまだ抜けるなと思った。

結局、だから太極拳はゆっくり練習するんだなということを実感できるし、
立つこと、軸を保つこと、気を沈めることなどが重要であることがわかる。

今日、シェアルームでブレイクダンスの男性と一緒に練習したが、ブレイクダンスは半年一年でそこそこモノになるという。
一見どうみてもブレイクダンスの方が圧倒的に難しくみえるが、太極拳は10年やっても全くしっくりこないし、風格も出てこない。
わずか手を上げて下すだけの動作でも、初めての人と30年やってる人とではぜんぜん違う。

いわゆるシンプルなものほど難しいのだろう。

とにかく、今は限りなく立禅(站椿功:たんとうこう)に近い套路を練ることが重要だと思った。

2013年10月19日土曜日

笑顔は無敵?

私は暗い雰囲気とか男臭い雰囲気がどうも苦手。

例え組手の練習をするときでも笑いながらやりたい。
でも、相手としてはこちらがへらへら笑っていたらきっと腹立つだろうなと。(笑)

怒ったら負けとは言わないけど、
怒る時の脳波はガンマ波になっているといわれる。
一方、笑っている時の脳波はアルファ波といわれる。
要するに笑っている時のほうがリラックス状態といえる。

ある有名なホームランバッターの話だが、
バッターボックスに入るときの脳波はアルファ波で、ホームランを打つ瞬間はシータ波になっているという。
剛速球を外野席まで打ち返すあのパワーは、驚くべきことに居眠り状態の脳波でつくりだされるということになる。

ウトウトしながら戦ったら、相手はもっと腹立つだろうな。(笑)

私はサークルで一番重要視するのは雰囲気だ。
最近では「空気」と呼ばれるようになったが、私はそう呼ばれる10年以上前からそう言っていた。
空気を読むとか読まないとか。

逆に一番嫌いなことは空気が乱れること。

空気が乱れると、脳波も乱れる。
脳波が乱れると、態度も乱れる。
態度が乱れると、行動が乱れ、周りに悪影響を及ぼし、
後はエンドロピーの法則どおり、どんどんそれが拡散していく。
更に拡散すると世界中が不幸になる。

大げさといわれるかもしれないけど、私は空気が乱れることがそれぐらい好まない。

だから、サークルでは怒鳴ったり怒ったり、そういうオーラは絶対に出さない。
もし、私がそうなる時があるとするならよほどだと思う。

もし気に入らないことがあっても、その場でさっと流してしまうか、自分の中で楽しい空気を作り出すボルテージを上げて、その空気を元に戻そうとする。
かなりパワーを使うが。(笑)

いずれも怒りの空気は脳波に影響し、チャクラに影響し、体内に邪気を溜め込んでしまう。
気功を行うサークルであるがゆえに、邪気を払うのが目的であって、邪気を溜め込んでしまっては本末転倒だ。(笑)

楽しい雰囲気。
ゆるい空気。
こういう環境の中でこそ、気功や太極拳は良いものに仕上がっていくと信じている。

戦う場面になっても、決して怒りのオーラではなく、眠るようなリラックス状態でこそ、自分の持っている能力が最大限に引き出せると思っている。

話は変わるが、笑顔が売りのマ○ド○ルドの店員に最近笑顔がなくなったと感じるのは私だけ?
メニューからもスマイル0円の表示が消えた。
一方、スター○ックスはどの店に行っても店員さんの笑顔が素敵だ。
というより、あの笑顔を見たくてコーヒーを飲みに行ってる気がする。(笑)
客観的に見ても、マ○ド○ルドよりスター○ックスのほうがいつもお客で賑わっている。(と思うのだが)

笑顔は人をひきつけ、リラクゼーション効果を生み出し、そして勝利へと導く。
笑顔こそ無敵。
(と私は思う:笑)

2013年10月18日金曜日

気についての意識と無意識

いつもサークルで言うことなのですが、気は意識しないと集まってきません。
内なる気も外にある気も感じることはないです。
そもそも誰でも感じることができないからこそ価値があるのです。

気を操れるようになるためにはそれなりのトレーニングが必要です。
トレーニングなくしていきなり気を操れる人はいません。
ただ、元々持ってる気が強い人と弱い人はいるようです。

私は、30代ビジネスで寝る間も惜しんで頑張っている時は気が出まくっていると人から良く言われました。
気功をしなくても気は出るのです。
その気を私は「やる気」と呼んでます。

でも、やる気ってなんでしょう?
どこからやってくるのでしょう?
やる気は目に見えるでしょうか?
やる気は頭で感じるのではなく腹で感じます。
腹に気が集まっているのです。

やる気によってパワーが出ます。
いわゆる、「気」とはパワーという風にも例えられます。

なら、パワーとは?
パワーは筋力だけによって発せられるものでしょうか?

もし筋力だけでパワーが出せるのであればバーベルは常に持ち上げられることになります。
しかしコンディションが悪いと持ち上がりません。
持ち上げようという「気力」がなければその筋力を使えないということになります。

因みに中国武術は、気を使わなくたって、物理の法則と筋力だけでも十分戦えます。

一方、気を使える人は技は必要ないと言われています。
触れただけで相手を飛ばしたり、深刻なダメージを与えることができるからです。(内臓破裂で死に至ることもあると言われます)
触れ合うのは皮膚と皮膚ではなく、気は体を貫通するから怖いのです。(勁力と言われています)

私は筋力も勁力もどっちも好きですし、どちらも好んでそれらが使えるよう練習しています。

会員さんの中には、気を感じることができた人、
気を感じようと努力している人、
努力しない人、
はなっから信じない人、
本当に様々でいろんな人間模様が見れて楽しいです。

たとえば、誰でもがスプーン曲げができるでしょうか?
私はできません。
なぜならその能力がないし、トレーニングもしていないからです。
でも、トレーニングすれば曲がるだろうなとは思っています。
やらないのは他にやりたいことが山ほどあるからです。
いずれも、スプーン曲げは誰でもが出来ないからこそできる人を凄いと思えるのです。

私が気を信じるのは、体感してしまったからです。
最初に就いた師に、“プレゼント”と称する気を腹にもらいました。
殴られたのではありません。腹に拳を触れられただけです。
翌日まで腹痛が続きました。

それに私には気の波動が見えます。
そんなのウソに決まってる!と思われる方もおられるでしょう。

冒頭の話に戻りますが、人は意識したことだけに注意を向けることができる生き物です。
花が好きな人は、道端に咲いている花が見えます。
しかし花に興味のない人にはみえません。
同じ道を歩いているのにです。

音楽の好きな人なら、例え小さな音でもきれいな音楽が流れてくるとすぐにわかります。
しかし音楽に興味のない人は、他の雑音しか聴こえないでしょう。

デパートに行って、女性ならファッションばかりに目が行くでしょう。
男は小物関係に目が行きます。

目や耳から入ってくる情報はすべて自分が意識しているからこそです。

だから、「気」も意識しなくては感じることはないです。
「感じません」という方は意識してないからです。
というより気の存在そのものを否定しているのでしょうね。

「気」は別に神秘的なものでも霊的なものでもありません。

というより人間そのものもが気なのです。
肉体は固体ではありますが、そもそもそのタンパク質にしてもスカスカなのです。
ミミズのようなものがひょろひょろと並んだような形をしています。
更に、タンパク質そのものも原子と電子から成り立っており、更にスカスカです。
体中、いや宇宙の万物そのものがスカスカの空間だらけなのです。

量子論で考えてみてもそうだし、そうなると気というものは宇宙そのものだということにたどり着きます。

話が怪しくなってきたのでこの辺で失礼します。(笑)

2013年10月16日水曜日

狭い空間と広い空間

今日は6時間ぐらい練習した。
でも、まだまだ物足りない。
やりたいことが山ほどあって、時間がいくらあっても足りない。

まずは体育館の一部を借り、その広い空間を使ってできることを存分に練習した。

一番困るのは、刀や剣の練習だ。
いつもは近くの公園でやるのだが、先日、公園の管理の人から苦情が入っているということを伝えられた。
公園というより、公園内の通路だったので、刀を振り回していては通行人に恐怖感を与えてしまうとのこと。
確かにそうだ。。

なぜ通路で練習したかは理由がある。
いわゆる野外で演武をするので、同じ環境で練習したかったのだ。
青空の下で、地面がアスファルトやコンクリートなどの固い地面。
しかし、周りに迷惑もかけたくないし、警察沙汰になっても困るので、道路での練習は今後控え、公園内で練習することにした。

因みに野外練習でいいのは気功だ。
気功は野外でやったほうが断然いい。
目の前に樹木があると尚いい。
ビルの2階や3階で「地面から気を吸い上げる・・」といっても、下はコンクリートなわけで。。(苦笑)

あと、部屋の中では、站椿功がいい。
それと、形意拳も良かったりする。
部屋が狭いから、転身のいい練習になる。(笑)

それに狭い方が集中できる。
広い空間ではのびのびと套路の練習ができるが、落ち着かないし、集中もできない。

そんなこんなで、自分の部屋、無料スペース、公民館、公園、体育館と、その空間を生かした練習をするのがいいと思った。

2013年10月15日火曜日

風のよう

自己嫌悪気味のそよかぜです。(笑)

最近、自分の行動や態度、発言・・なにもかもが気に入らなくなってきた。
来月で50を迎えることだし、心機一転リニューアルオープンといったところか。

といいつつ、また自慢話のような感じになってしまうが・・

先日、老師の奥様が私の演武を「風のよう」と例えてくださった。
いろんな方からいろんな言葉を贈って頂いたが、奥様の言葉が一番嬉しかった。

何を隠そう私は風のようになりたいと思っているから。

逆を言えば、迫力がないとも。(笑)

そういえば、過去に「戦っているようにみえない」と言われたことがあるが、確かにそうかもしれない。
私は戦うことを好まないし、相手がいると思って演武していない。
どちらかというと空気と戯れているという感じだろうか。
いわゆる太極拳ではなく気功を太極拳風に行っているような気がする。

演武する時は相手がいると思って行えという教えがあるが、
やはり、そうしないといけないのだろうか。

風といっても、今の私はそよ風レベルだが、
いずれ空気を自在に操ることができるようになれば、もう少しは迫力を出すことができるかな。

因みに、楊式刀の使い方としては、日本刀を振り回すような剣道のような動きは少ない。(あるにはある)
どちらかというと、スライスする感じだ。

いわゆる包丁で鶏肉を切るときの要領。
鶏肉は力を入れれば入れるほど切れない。
逆に力を抜いてスーッとスライドさせると難なく奥深くまで切れる。

圧倒的な厚みと重さのある日本刀とは違う。
日本刀は斧のようにも使えるのだろうが、楊式刀は無理だと思う。
どちらかといえばカッターナイフだと思った方がいいと思う。

そうなると・・
動きはやはり戦っているというより、ふわふわ舞っているようにみえると思う。
だから、今の動きでいいと思うのだが、都合が良過ぎるだろうか?(笑)

2013年10月14日月曜日

三国志祭りを終えてみて・・

出る前は、出ようか出まいか迷ったが、
昨日、終えてみて出て本当に良かったと感じた。

やり終えた後の解放感もいいが、たくさんの人から声をかけてもらえたことがなにより嬉しかった。

自己採点するなら、せいぜい55点ほどの出来栄えだと思ったが、
演武直後、老師、同士、他の選手、観客の方、会う人会う人に良かったと言ってもらえ、確実に励みになり自信にもつながった。
帰りの駅のホームでも、出場された選手の方から声を掛けて頂き、さすがに照れ臭かった。

本番中は手震えてたのだが。。(苦笑)

それにしても、全日本の直後は、解放感だけで、しばらく休みたいと思ったが、
今回は違う。
逆にもっと練習したいという気になっている。

今、新たに目標を追加し、課題も増えた。

周りから言っていただいた言葉をひとつひとつ整理していくと、もっともっと磨きをかけていきたいと。

音楽でライブ活動をしている時もそうだったが、最初の頃はガチガチで指が動かず大変だった。
それが3年、5年、10年ともなってくると、実力はもちろん、ライブ前の精神状態がぜんぜん違う。
ジャンルは違えど、当時のように自信満々で演奏・・ではなく演武ができるようなりたい。
それこそ瞬きもせず見ていてくださいと言えるほど。

今は、「しっかり見させていただきますよ」と言われると、
「あ、あ、絶対見ないでください、、」と必死だ。(笑)

明日からのメニューは、立禅と楊式の套路をじっくり練りながらやることになると思う。
やる気が出れば出るほど、套路がゆっくりになる。

といいつつ、昨日の本番では、つい恰好つけようとして速い動作を入れてしまったが、アレは良くなかった。(苦笑)
緩急のつけ方がデジタルなんだよな。。
糸を切らないよう、アナログな動きになるようにしなくては。


2013年10月13日日曜日

踵脚は手が主、足は副

踵脚(とうきゃく)の時どうしても足ばかりに意識が行く。
意識が行くとそこに重力が集まる。
 
意識したところに血液が集中するというから実際そうなのだろう。
結果、上げた足が重く感じバランスを失いやすくなる。
今度は足をあえて無視し、手に意識を送ってみる。
手は両側に広げるだけだからかえってバランスをとりやすくなる。
綱渡りのバランス棒みたいなもんだ。
そして足は自動的についてくる。

そもそも踵脚や分脚(ぶんきゃく)の攻撃は足がメインでないように感じる。
少なくとも私が教わった分脚は手で攻撃し、ついでに足も使うという程度。
なんなら手だけでも十分じゃないかと思うほど。

しかも蹴る位置も膝や股間、高くても下腹程度。
それ以上上げる必要は全くない。
というより腹より上は手で打ったほうが早い。
足が上がらない負け惜しみといわれればそれまでだが。(笑)

とにかく踵脚の攻撃は手がメインで足はサブと考えてみる。
これを演武でも意識してみる。
するとずっと踵脚がラクになる。
 
足ではなく手で打つ。
分脚ではなく分手と名称を変えたほうがいいのでは?(冗談です)

実は私は今、剣で嵌ってしまっている箇所がある。
踵脚などのように手を両側に広げるのではなく、剣を持った右手は高く上にあげ、左手を前に突き出す。
前後の技からの流れもあるのだが、どうしてもバランスがとりにくい。

どうやら右手がネックのようだ。
重い伝統剣を上に持ち上げるわけだから、その持ち上げることに意識するとどうしてもバランスを失いやすくなる。

そこでこう考えてみることにした。
右手を高くあげるのは(見えない)吊革につかまるためだと。(笑)
それなら手を上げることは安定を得るということになる。

同じところで同じミスを繰り返すのは、ミスのイメージが積み重なっていくからだ。
そうではなく小さな成功例を積み重ねていかねばならない。

なんとかこの作戦でクリアできればいいのだが。。

2013年10月12日土曜日

いいこと尽くめの立身中正

タイトル通り、立身中正(りっしんちゅうせい)は素晴らしいと思う。
立身中正とは文字通り背筋をまっすぐにすること。

ひとまず私が素晴らしいと思う理由を箇条書きにしてみると・・

  • 約30年来の腰痛が病院に行かずして完治した
  • 周りから姿勢がいいといわれる
  • 大会や試合でのポイントになる
  • 気の巡りがよくなるので頭が冴え身体に活力が生まれる
  • 沈むことができるのでバランスがよくなり、勁力も強くなる
  • 気が沈みやすくなるのでリラックス効果も高い

まだまだメリットはあると思うが、今思いつくのは以上だ。

正直、私の太極拳はまだまだ未熟だと思うし人様に見せるレベルではないと思っている。
が、姿勢に関してはよく褒められる。

自主練の時にちょくちょくビデオを撮るが、確かに以前に比べれば上体がぶれなくなった。
(自分の中ではまだまだだが・・)
とにかく以前は尻が出たり顎が出たりで、尻をひっこめると顎が出、顎をひっこめると尻が出るという始末。
当時の先生も呆れていた。(笑)

その、どうしようもない状態が、いきなりシャキッと姿勢が良くなった。
気功を始めてからだ。
それまでは躍起になって姿勢を正そう正そうとしていた。

が、気功をすると自然と背筋が伸びるのだ。
というよりそうしなくては気がスムーズに流れてくれない。
サークルでも姿勢のいい人は割と早い段階で気を感じ、姿勢がなかなか改善されない人は気を感じないと言う。
だから姿勢は大事であることがわかる。

いずれも、私にとって一番大きかったのはひどかった腰痛がピタリと治ってしまったことだ。
私の腰痛は寝ていても起きていても立っていても座っていても常に痛かった。
いわゆるどんな体制でいても常に痛みが続くのだ。
お蔭で仕事も集中できなし、痛みのお蔭でイライラするし、挙句は些細なことでもカッとなりやすく・・
全くもって腰痛なんてロクなもんじゃない。

快適であるはずの車も電車も辛いし、映画だってぜんぜん楽しめない。
座って5分もすれば腰が痛くなり、映画どころではなくなるからだ。
今は最後まで映画を楽しめるようになった。

それにしても気功がなぜ?という感じだ。
はたからみるとただ、突っ立っているだけにしか見えない。
それが腰痛を治すだけではなく、頭が冴えたり、体にエネルギーを感じやすくなったり、
なによりやる気が出てくるし、気分も上向きに。
とにかく様々なメリットを生み出す。

まだまだあるが書き出すと止まらなくなるので、これだけ話して終わりにしたいと思う。

私は今年の県大会の時、基準より低い点だったのが、半年後の全日本で基準より高い点を出すことができた。
半年間で0.28ポイントアップだ。
別に試合用套路をがむしゃらにやったのではない。
とにかく立禅気功に徹した。

30年来の腰痛を完治させた立禅気功はまだまだ奇跡を起こすのではないかという予感めいたものを感じていた。
だから、誰に言われることなく自主的に立禅気功の時間を増やした。
いや、増やしたと言いうより自然と増えていたという感じだ。

套路の動きがぎくしゃくするのは、歩くこと以前に立つことが出来ていないからだ。
子供の成長過程でも、まず立つことから始まる。
立つ前にいきなり歩き出す赤ちゃんはいない。
まず、立つ、そしてヨチヨチ歩く、そして上手に歩くようになる。

進化論を信じるなら、人間は立つことによって知能が発達したと言われるが、
確かに二本足歩行する動物は知能が優れいている。

だから二本足で立つことのメリットは非常に大きいと言えるし、
いや、二本足で立つことによって人間は様々なミラクルを起こすのではないかとも思える。

武術として勁力を使えるようにするためにもまずは気沈丹田(きちんたんでん)
これにしても立身中正は鉄則だ。

まとめます。
立身中正は病気を治し、体調を整え、心身ともに快活にし、太極拳で要求される気沈丹田がスムーズになるので、演舞も良く、武術的にも優れいているということになる。

ちなみに、武術的にも優れいているとは私のことではなく、私が強いと認めた師の姿勢が立身中正であったことによる。
私はまだまだ腰痛が治ったレベルだから、武術を始める準備ができたばかり。
勁力開発で更なる自分の可能性にチャレンジしたい。

2013年10月11日金曜日

軽くなった?重くなった?

昨夜のサークルで会員さんに攬雀尾(らんじゃくび)の擠(せい)の使い方を体得してもらおうと、「ここを押してみてください」と肩を差し出した。
しかし、なんとも全く力が伝わってこない。

私は「腰から力を出そうとすると基本的な攬雀尾の形になりますよ」と説明したかったので、いつでも倒れる準備で肩を差し出した。

しかし、残念ながら倒れるつもりで構えている私自身がビクともしないので説明ができなかった。
確かに、Nさんは細身でかなり華奢なタイプ。

そこで、今度は割と普通体系のKさんに押してもらった。
Nさんより多少は力が伝わってきたが、しかし私の体は全く動かない。

いわゆる、私のやりたかったのは女性の場合は男性に比べ腕力が劣るから、物を押そうとすると自然と腰を使うということを説明したかったのだ。
その形こそが攬雀尾なのだと。
手で押すのではなく、腰から押す。
言い換えれば丹田から押す。

いずれも作戦失敗に終わったのだが、
それにしてもなぜ私の体は動かなかったのだろう?
演武をする時は風のように軽くなることを意識し、そうすることによって体の重さをあまり感じなくなり、手も足も軽やかに動かすことができる。

しかし、いざ対戦となると、軽いのでは困る。
それこそ指先でひょいと押されただけでぶっ倒れてしまう。
いわゆる、体の重さをその状況によってコントロールしないといけないわけだ。

そんなことができるのだろうか?

そういえば、私はあれからもずっと陳式太極拳の基本功を続けている。
教室は事情により退会することになったが、型はともかく基本功は毎日のメニューとして必ず行っている。

そして、一昨日鏡を観て思った。
以前より体が前傾しなくなっていた。
前傾しなければ無理だと思っていたけど、何かが変わってきたのだろうか?

もしかしたら私は結論を急いでしまったのかもしれない。
あと、もう少し努力すれば極端に前傾しなくとも立てたのかもしれない。
いずれも未来のことは解らないから、これからも毎日続けて行こうと思う。

結果的に、私の体は軽くなったのだろうか?
それとも重くなったのだろうか?

2013年10月10日木曜日

ストレッチについて

かつて私は煙草をやめるために、ヨガを毎日行っていたことがあるが、
久しぶりに昨夜、ヨガマットを敷いて4つのアーサナをやってみた。
久しぶりにやると気持ちいいですね。

日常生活では絶対とらないようなポーズでゆっくり呼吸をする。
痛がっている筋肉をなだめるよう自分の肉体と会話する。
眠っていた肉体が覚醒するような感覚。

そして、やり終えた後、滞っていた血がうわーっと流れるよう妙に体がスッキリする。
短時間でこれだけのリフレッシュ感が得られるからこそ、ヨガはこれほど世に広まったんだろうと思った。

一方、太極拳でも教室によってはストレッチを行うが、こちらは正直言うとあまり気持ちよくない。(苦笑)
同じように筋を伸ばしているのだけど、呼吸や対話がない。
取り組み方によってこんなにも違うものかと思う。

因みに私は自主練の時、圧腿(あったい)という股関節の筋を伸ばすストレッチを毎日行っている。
しかし、前ほど効果を感じられなくなった。

そして今理由がわかった。(笑)
呼吸を無視し、ただただ、1、2、3・・と数を数えているだけ。
しかも肉体と対話をしていない。

私がもっとも柔軟性効果を感じた時は、圧腿の時に数を数えてなかった。
というより、痛いと思うと筋肉は伸びることに反発しようとするから筋は余計に硬くなってしまう。
全く意味がないのだ。
どんなに長時間やっても筋が反発しているのでは効果がないと思われる。

私が効果を感じたのは、数を数えず、圧腿しながらゆっくりと呼吸する。
そして痛みを感じながらもじわじわと上体を倒していく。
痛みに反発するのではなく「受け入れる」という感じだろうか。
そして最後は自分の身体を「信じる」ということになると思う。

「自分は硬い」「無理だ」「出来ない」って思うと筋が余計に硬くなってしまう。
何を隠そう、私はいつもそのようにぼやいてしまう癖があるから。(笑)

ということで、今日から圧腿の時に数を数えるのを止め、
痛みが気持ちよさに変わるまで、ゆっくり呼吸しながらという形に戻そうと思う。

たまに自問自答することって大事だなと思った。

2013年10月9日水曜日

刀や剣にも気は集まるか?

体に気が集まることはわかった。

気を意識すると気が集まってくる。
目に見えないものを感じようとするだけのことなんだが。

今朝のサークルで、ひとりの会員さんが2度目でありながら手にすごく気を感じたと。
で、手をかざしてみると確かに熱を帯びていて磁力のような独特の感覚を感じた。
手のひらを見るとほんのり赤くなっていた。

私は師に教わった通り気功を行っているが、こうして実感してもらえることはなにより嬉しい。

いずれも、私の気功の修行はまだまだこれからだ。
いつまで続けるかといえば、体が空気と同じぐらい軽くなるまでと考えている。

今でも気と友達になれると優しく包まれているようで至福感を感じる。
これを勁として武術的に使えるようになればいいのだが、あえて私は今のリラクゼーション効果だけでも十分満足している。

で、ここからが本題。(笑)
そう、ふと今日思ったのだが、武器にも気は集まるのだろうか?

私は集まると思う。
もちろん証明することはできない。

ただ、私が最も愛する楊式刀(日本刀に似ている)を振っていると、それが刀ではなく手から伸びた鞭になったように感じる。
(あくまでも私の感覚です)

そして、前にも何度かブログに書いたと思うが、刀の重さを感じなくなってくる。
この感覚が気持ちよくて仕方ない。
伝統刀だから長拳用剣に比べるとずっと分厚く重いのだが。

が、こと剣に関してはまだそうならない。
刀に比べ剣を持ってる時間が圧倒的に少ないからだ。
先日、老師に「剣をもっと意識して」と何度も言われたが、剣はまだまだ体の一部になってないようだ。
剣を抱いて寝るぐらいしないとダメなんだろうか。(笑)

いずれ剣も同じような感覚を得られるようにしたい。

本題である、刀や剣に気が集まるかどうかは検証しようがないが、私は集まると信じたい。
というより、そう思ったほうが楽しいし、逸早く体の一部になるような気がする。

2013年10月7日月曜日

2023年までの目標

2023年までの目標を立ててみた。

あえて公表しないが、大まかに言えば、試合だけで実績を積むということと、
サークルの環境をより良いものにするために資金を貯めて道場を出すということ。

そして私は私らしく、サークルの人達にも、個々の「らしさ」を引き出してあげたいと思っている。
人の数だけ太極拳の流派があればいいじゃないかと。
前にも話したが、人それぞれ体格も違えば得意分野も違うからだ。
無論、集団演武をする時は揃えないといけないが。

2023年までと言っても、その時私は60歳。
10年後の私は還暦を迎えているなんてとても信じられないが、
いずれも選手として出場するのは55歳ぐらいまでと見込んでいる。
その後は次の世代にバトンタッチだ。(希望者がいればの話だが・・)

大会本番前、選手の背中をポンと押して
「思う存分暴れてこい!」と言ってみたい。(笑)

要するに華のある内に引退したいし、次にその経験を生かしたことをどんどんやっていきたいと思っている。

前にも話したが、大会に出るからと言って、表演系に走ろうというのではない。
大会出場という目標を持つと、普段やらない練習をすすんでやるようになるので自分のためになる。
いわゆる、美しい演武ができる練習をするついでに武術家として強くなる練習もしてしまおうということだ。

理由はハッキリしている。
この平和な世の中で強くなりたいというモチベーションがあまりにもなさ過ぎるからだ。
子供の頃なら散々苛められていたから、いくらでもモチベーションはあったが、今はあいにく苛められていないもので。。(笑)

だから、自分から波を起こさなくては、待っていても波は起きないということだろうか。

いつも一緒に練習している仲間が言った。
最初の頃と全然違うと。
私自身も自覚している。
なぜなら私が本気で太極拳に取り組みだしたのはここ一年ぐらいだから。
大会出場を決めてからだ。

10年の武術歴なんて単なるキャリアに過ぎない。
要はどれだけ内容のある練習を毎日コツコツやるかだと。

5年後、10年後の自分がどうなっているのかが楽しみだ。

***

追記:
ここ最近、あまりにもいろいろなことがあり過ぎて、テンションがぐちゃぐちゃになっていたが、お蔭で自分が何をすべきか明確になった。
そんなわけで少々乱暴な文章になってしまったが、ブログということでどうかお許しください。

間違って覚えたほうが覚える?

会のQ&Aコーナーにも書いてるが、
間違えないで覚えようとするより、間違えて覚えたほうがさらによく覚えるということを私は今までに何度も経験してきた。

間違えて覚えると悪い癖がつくから直すのが大変だとよく言われるが、
本当だろうか?
その気になれば1秒で直すこともできる。

因みに楊式太極拳と陳式太極拳では手の方向が逆になることが多い。
だから、いつもの癖でやるとついつい逆になってしまう。
しかし、何度か反復練習するとすぐに慣れるし間違えなくなる。

楊式太極拳は10年やってきているわけだから、体に染みついている。
いわゆるこれを悪い癖だと見立てたとしても、陳式で手が逆になってもすぐに覚えることができるということだ。
いや、むしろ逆だから緊張感が生じ、間違えないでやることができるともいえる。

車にしてもぶつけないように運転している人ほどビクビクしながら運転し、なかなか上達しない。
しかし、縁石にこすったり、電柱にぶつけてしまったり、そんな経験のある人のほうが同じミスをしなくなるし、体で覚えていく。

実際10年来の癖を1秒で直した経験はいくらでもある。
だから、「心配するな」ということだ。

間違ってもいいからどんどん練習する。
そしてサークルに来てもらえば、間違っているところを指摘する。
そして、「あ!そうだったのか!」となる。
この「あ!」となることが脳に強くインプットされるんだろうと思う。

因みに私は本当に覚えが悪い。
今通ってる大阪の教室でも、一番覚えが悪い。
老師に「すいません・・もう一度ゆっくりお願いできますか。。」と申し訳なさそうにお願いすると
老師は優しく丁寧に教えてくださる。

そして、他の生徒さんは先にすすむことができず待たされることになる。
とんだ迷惑野郎だ。(笑)

しかも、それなのに私は人に教えている。

これだけはハッキリ言えることだが、
私は覚えが悪い人の気持ちが人一倍わかる!(笑)

2013年10月6日日曜日

嬉しいこととそうでないこと

先日2度目の参加のYさんが、姿勢が改善され腰痛がなくなったとのメールをくれた。
私にとって一番嬉しいお知らせだ。

前にも書いたが、私は自分が得た太極拳が人生を変えるほど素晴らしいものだと感じたので
ほかの人とも共有したくてサークルを始めた。
楽しいことは一人でやるより大勢で共有したほうが絶対楽しい。

かといって、押し売りするつもりは毛頭ない。
自然と興味をもってもらった方に、1度の体験でも「楽しかった」と思ってもらいたい。

最初に私に太極拳を教えてくださった先生は私に太極拳の魅力を伝えてくださった。
だから今度は私がそれをしたいと。

だから喜んでもらえることは何より嬉しい。

冒頭でもお話したように、もっと嬉しいのは、健康状態が改善されたというお知らせ。
或いは肌のハリや艶が良くなったなど美容的効果。
そして、日ごろのストレスが発散されたのであればいうことはない。
というより、現時点で私はそれ以上のものはいらないと思っている。

ある会員さんは、サークルに来るのが楽しみで仕事を頑張れると言ってくださる。
これもまた私が目標としていることなので、このようなお知らせは実に嬉しい。
わずか週に1回、サークルに参加することで生活に弾みでたり、活力を感じるようになってもらえるのなら最高だ。

逆に残念なことは、練習中に体に痛みを感じてしまうこと。

そうならたいためにも私は今まで様々な教室で教わった柔軟方法をふんだんに取り入れているし、それを十分に行った上で太極拳を行っている。
準備体操から気功にかけても、13種類の準備運動、8種類の鬆身法、10種類の立禅気功、3種類の太極気功、6種類の操手・・
合計40種類の準備運動を行っていることになる。
準備運動だけでも24式太極拳より数が多い。

とにかく太極拳を始める前に徹底的にコリをほぐし体をゆるめるのだ。
コリや力みは気の通り道である経絡を塞いでしまうし、そのままの状態で套路(型)を行っても形だけのものになってしまう。
体外の気と体内の気を融合させるがごとく、動いていくと自分の体がふわっと軽くなる感覚が得られるはず。

文章の途中になりますが気を信じない方はこの文章を読まないでください。
気を説明してみろと言われても、気は感じるものであり目で見ることもできなければ説明することもできない。

神の存在を信じるかどうかという話にもなり、堂々巡りだ。
これだけ化学が進んでいても未だに神の存在を証明することはできていない。
気も同じだ。

自分自身が気の粘りや浮揚感を感じればそれを自分の中でしまっておけばいい。
私はどんな高価な宝石よりも価値のあるものだと思っている。

*****

話は変わるが、ある人が貴方のような会の長がネガティブなことを言うべきでないと仰った。
ネガティブ=悪いこと と捉える方がおられるようだが、ネガティブがあるからポジティブが起きるわけであり、そもそもネガティブなことがなければポジティブを感じることだってできない。
影は光があるからこそできるのと同じだ。

炎天下の中で練習をする時にしても、日照りの中で練習するより涼しい木陰で練習したほうが捗る。
常に光がいいとは限らないのだ。

私は基本的に自分の心に嘘をつくことをしない。
常に自分に素直でありたいと思う。
それが会社の社長であろうが、サークルの会長であろうが、同じだ。
いや、社長や会長のほうがむしろ人間的だと思う。

強いところばかり見せようとしてもどうせ後でボロが出るし、歪も生じる。
だから、私はつまらんことに見栄を張ったり、会長だからと背伸びしたりしない。
ありのままだ。

人は誰だって強いところもあれば弱いところもある。
そして、そのうちそれを補おうとしてくれる人が周りに現れる。
その結果、私はその方々に感謝することができる。

弱音を吐かず頑張るのは一見かっこいいようにみえるかもしれないけど、言い換えればエゴであるとも言いたい。
人の厄介になりたくない、すべて自分でやる。
昔の私がそうだった。
が、そうしようとすればするほど、人の憐れみを買うことになる。
挙句、当時、私は性格が悪いと言われた。(笑)

自分が人に認めて欲しいというのは誰でも思うこと。
その上に、人を認めるということが大事だと思う。
何もかも自分でやってしまう人は人を認めることができない人だ。
そういう人に限って常に孤独を感じており、その挙句、酒に走ったりする。

というより、そういう人を今までに散々見てきた。

当サークルでは半年もすればリーダー育成を始める。
先生によっては、「おまえなんかまだまだだ」と言うかもしれない。
確かに何十年もの経験のある人からみれば半年そこらじゃまだまだと思うのは当然だだろうが、
「認める」ということをしなければ、その人の持ってる本当の能力は開花されないまま終わってしまうかもしれない。
いや、先生によっては自分を超えられたくないから押さえつけようとするかもしれない。

だが、私はそれはしない。
私は会員さんたちが今何を思って、どこに行きたがっているのかをよく見極め、その方向に導くお手伝いができればと思っている。

要するにいつでもチャンスを与えたいと。

話が支離滅裂になってしまったが・・

とにかく、ありのままが一番だと。
水のように風のように、なんににも逆らうことなく水のように流れ、そして風が吹き抜けるように。
どこそこの長だろうがなんだろうが、私は生身の人間なんだ。

脇に卵を挟むように

前に就いていた先生が口癖のように仰った。
脇に生卵を挟んでいると思って脇にゆとりをつくりなさいと。
脇を閉めると卵は割れてしまい、緩め過ぎると今度は卵は下に落ちてしまい、やはり割れてしまう。

そして、今習っている老師にも同じことを言われた。
やはり脇にゆとりをつくりなさいと。

ひとまず、脇にゆとりをつくることは分かった。
しかし、なぜなんだろう?

それで、鏡の前で、脇をギュッと閉めた状態と、
卵一個分開けるよう脇にゆとりをもって構えてみた。

答えはすぐにわかった。
脇を締め付けると胸が前に突き出て、逆に脇を緩めると胸が引っ込む。

要するに後者は太極拳で重要な含胸抜背(がんきょうばっぱい)の状態になる。

あと、形意拳での崩拳の引手に関しても同じだ。
脇を閉めてはいけない。
その時先生は理由を教えてくださったのだが、意味が分からなかった。
肝臓がどうとか言っていた気がしたが。。

因みに長拳や空手なら引手は比較的脇を閉めた状態で構える。(と思った)
その方が拳を突き出した時にまっすぐ突くことができる。

しかし、崩拳の場合、脇を緩めなくてはいけないのは何故だろう?
仲間に尋ねたら、肩甲骨を圧迫して勁力を出しにくくなるからでは?と言っていた。

言われてみれば脇を閉めると肩が緊張した状態になり、勁力が伝わりにくくなるような気がする。

まあ、頭の中でアレコレ考えても仕方ない。
ひとまず崩拳を突く時の構えは脇を開ける。
これでひたすら練習する。
そして、今度は脇を閉めて突いてみる。
恐らくそれによって答えがみつかるような気がする。

太極拳において脇をゆるめることは気の通りをよくするためと、とっさに柔軟な動きに対応するために脇をゆるめておくのだというような気がする。

楊澄甫の言葉を借りるなら、胸を突き出すとそこで気が詰まってしまい、重心が上がり、下が軽くなるとのこと。

結局、太極拳の姿勢はどこも緊張していないリラックスした状態であることがわかる。

あまりにも意識するところが多くて、何かを意識すると何かを忘れてしまうが、
ひとまずこの一週間は脇を緩め含胸抜背を意識した練習をしてみよう。

2013年10月3日木曜日

お詫びとお願い

ある事情があり、しばらくブログを自粛するつもりでした。
それは私の記事が私にとって尊敬する方の気に触れてしまったからです。

この場を借りてもう一度お詫びをさせてください。
私にその気がなくとも気を害されたことは事実。
深くお詫びします。

そのような訳で1~2週間は一般の方が見れない限定公開とする予定でしたが、思いの外、多くの方からブログが見れなくなったとのご連絡を頂き、本日より再開させて頂くことにしました。

私のブログを評価してくださった、J老師、K先生、
ありがとうございます。とても光栄です。

そして、私のブログを楽しみにしていると言ってくださったNさん、Fさん、Jさんとその周りの方々、
頂いたお言葉とても嬉しかったです。

そして、この件に関して温かい言葉を送って下さった、Tさん、Mさん、Oさん、I先生、Iさん、その他多数の方々、
とても励みになりました。

いずれも、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。

まだまだ未熟な私ですが、これからも武術修行の中で感じたことや気づいたことを書き綴っていきたいと思います。

***

以前にもお伝えしましたが、
改めてこのブログに関してお願いがあります。

このブログは私自身が日々の練習の中で気づいた覚書です。
あくまでも発展途上であり、後で間違いだったということに気づくかもしれません。

ただ、今、自分がそう感じていることは事実だし、それを忘れないように書きとめておきたいと。
後で読み返したときに過去の自分がこんなことを考えたり思ったりしていたんだと振り返ることができます。

そもそも日記とは普段人に言えない本音を書くものだと思います。
日記に嘘を書くメリットなんて何もありません。

私は頻繁に感覚的なものの言い方をしますが、音楽活動をしていた頃からの癖ですし、
それゆえに目に見えるものも好きだけど、目に見えないものも大好きです。

いずれも目に見えないものを証明することは難しいし、そのようなことに労力を注ぐことにも興味ありません。
感覚として得たものは自分にとっての宝物だと思っています。

もし私のブログを読んで気分を悪くされる方がおられたら、それは申し訳ないとは思いますが、
これはあくまでも私の日記です。
読んでくださいとお願いしているものではありませんので
失礼ながら即座に退出をお願いします。

このブログは自分のために書いてますが、
私のブログを楽しみにしてくださる方のためにも、今後も自分の感じていることを本音で書いて行きたいです。
周りに気を使いながら書いていたのでは本当のことは書けないし、きっとブログそのものがつまらないものになってしまうでしょう。
というより、そもそもブログではなくなってしまいます。

ということでご理解頂けると嬉しいです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。