2013年8月2日金曜日

師弟関係

話は前回の続きになるが、
そんなこんなで、私は自宅近くの公園で来る日も来る日も五行拳の3本を繰り返し練習した。
真夏だろうが真冬だろうが関係ない。
お蔭で靴も2足ほどダメにしてしまった。

とにかく、まずはその3本をものにしたかったし、なにより先生に認めてもらいたかった。
日頃練習をしているかどうかをきちんと見てくださる先生だったからだ。
ある日、動画を撮って先生に見せたら、とても褒めてくださり、「これならネットに配信してもいいよ」とまで言ってくださった。
とても嬉しかった。

そんなある日、いつものように公園で3本の練習をしていたら、ある人が私に声をかけてくださった。
「それは形意拳ですか?」と。
これが私と陳式太極拳の先生との出会いだ。

このことは「陳式太極拳との出会い」で書いた通りだが、
この後、私にとって幸運と不幸が同時に起こる。

幸運は、今話した通り、ずっと憧れていた陳式太極拳を教えてくださる師と出会えたこと。
それに地元奈良に越してきて間もない私には地元に武術仲間が一人もいなかった。
だから私にとって地元で師に出会えたことはとても大きかった。

それにもうひとつ。
ずっと太極拳の大会に出ることに憧れていたが、勢いで申し込んだはいいが、
見たことも出たこともない大会・・ まったく要領がわからない。

どんな会場で行われるんだろう?
どんな風に審査されるんだろう?
何が良くて何が良くないのか・・
右も左もさっぱり解らず、とにかく不安で不安でいてもたってもいられなかった。

しかし、その陳式太極拳の先生は大会の審判でもあられた。
しかも、まだ入会もしていない私の演武を見てくださるという。
私はこの時、この先生に深い深い恩を感じた。

お蔭で県大会も無事終え、陳式太極拳の先生に正式に入会を申し込むことになるのだが、
このことが、これまで就いてきた伝統の先生に知られることになり、今までの関係が一気に崩れることになる。

同じ会の中でも私と先生の仲の良さは有名だったし、先生はサプライズで私の誕生日まで祝ってくださる人だった。
正直言えば練習内容や会の方針について自分の中で煮え切らない点はあったが、それでもここまでしてくださる先生の期待に応えたいと本気で思った。

だが、私が陳式太極拳の教室に通い始めてからというもの、関係は気まずくなるばかり。
今までは認め合う仲だったのが、いつの間にか非難し合う仲になっていた。

私は伝統の先生に頼み込むように申し伝えた。
陳式の先生には恩があるから、どうか今教えてもらっている型を覚えるまでは出稽古を認めてくださいと。
しかしその返事はなかった。

先生は私を正式な弟子にと考えてくださっていたようだが、いつしか私のことは友達という位置づけに。
しかし、先生の立場で考えれば確かにそうかもしれない。
自分の信じていた生徒がよその教室に通い始めたとなればおもしろくないのは当然だ。

私は無念ながらも伝統の教室を休会することにした。

その後、私は地元で新しい仲間との出会いを求めるようになっていた。
陳式太極拳の先生との繋がりで、いい関係を築き上げていきたいと。

しかし現実はそう甘くはなかった。

陳式の先生は仰られた。
よそから来たものが地元で友好関係を築き上げて行くには、それなりに時間がかかると。
確かに逆の立場で考えればそうかもしれない。
私にしても、よそから来たものに出しゃばられたらいい思いをしないだろうし、退けようとするだろう。

いずれも、楽しい仲間を求めて今まで一人で頑張ってきたが、また一からやり直しということだ。

仕事の関係で引っ越しが続いたから、常に常に一からやり直し。
10年の太極拳歴の中で師について習ったのは5年ほど。
その間はずっと自宅前の道路や近くの公園で練習を積んできた。

とにかく仲間が欲しい・・

そういう強い想いから、この春からサークルを立ち上げることに。
まだ初めてわずか4か月足らずだが、最高に楽しい仲間が私の周りに集まってきた。
太極拳の「た」の字も知らない人達が、一人、また一人と集まってきて、そしてどんどん練習に意欲を燃やしていく。
それは、かつての自分を見ているようで、とても幸せを感じる瞬間だ。

新しい出会いがあると、必ず別れがある。

これは避けては通れないことだし、結局自分が本当にしたいことを信じ貫くしかないのだと・・
そう思った。