2017年7月18日火曜日

苦悩、努力、涙、そして新たな道 1

2017年7月16日
私は静かに選手人生にピリオドを打った。

私の形意拳の演武が終わった時、観覧席が湧いた。
この4年間でこれほどの拍手を頂いたのは始めて。
何故私に?


その前日、私は最後の調整のため練習に励んだ。
今までなら前日に練習をすることはなかった。
本番三日ぐらい前になるとかるく体をほぐす程度で、それよりも体を休めることに専念した。

しかし、今回は最後の試合。
全日本では思いっきり自分の演武をしてきたが、評価は過去最低。
私の全日本デビューは8.68から始り去年は8.75
しかし今年はまさかの0.3以上のランクダウン。

無論覚悟はしていた。
上を狙いに行くのではなく、私は東京の舞台で自分の形意拳をやりたかったから。
ただ、私のことを心から応援してくれていた仲間達に申し訳が立たない。

そもそも私が大会に出場しようとした理由は目立ちたかったからではない。
会の代表になった以上、生徒が誇れる先生になりたかったから。
だからこの4年間死に物狂いで頑張ってきた。
その結果が4年で8回受賞。

最後の舞台となる熊取では、悔いが残らないよう点数を取りに行くのではなく
自分らしい演武をするつもりでいた。
だから、二番弟子が見に行きたいと言ってくれたが、断った。
メダルを取りにいくのではなく、嘘偽りなく自分の演武がしたかったからだ。

とは言うものの、その言葉は心に残った。
だから本番直前まで、取りに行く演武をするか、自分らしい演武をするかの葛藤があった。
無論套路を変える時間などなかった。
力いっぱい大きく演武するか、それとも自分らしく静かに演武するかだ。

前日はそんな想いがピークになり、
気がつけば今まで以上に練習している自分がいた。
全く疲れなかった。
多分、気力で練習していたのだろう。

その後に自分の体に異変が起きた。
突然襲われた酷い眩暈。
目の前がぐるぐる回り出し、立つこともままならい状態に。
焦ったが、この時点では放っておけば治るだろうとそれほど心配はしなかった。

しかし時間が経てば経つほど症状が酷くなり、
足がもつれ倒れそうになったり
横になっても天井がぐるぐる回り、軽い吐き気も催し
一向によくなる兆しがない。

その状態を弟子に伝えた。
彼女は今夜の稽古は私が代理でやるので先生は病院に行ってくださいとのことだった。
救われる思いだった。

弟子は今まで人前に立つのは苦手だから自分には出来ない、
一時は指導員になることを辞めたいとまで言っていたのに、
自信がないながらも、私を気遣うあまり、そのように申出てくれた。
嬉しかった。

その足で救急病院に行き、30分にわたり点滴を打ってもらった。
そしてその後の症状はかなり軽くなり、後は体をゆっくり休めて明日に備えようと思った。













翌朝の状態は悪くはなかった。
午前10時半頃に熊取に到着。
私は弟子に頼んでタイムを計ってもらうことにした。
形意棍でタイムを計ることをずっとしていなかったからだ。

練習用コートに立ち演武を始める。
そこで気付いた。
おかしい・・
いつものような力が出ないし、
少し動いただけなのに、動悸が激しく、手も足も全く力が入らない。
独立歩では全てと言っていいほど、右へ左へとよろめき、棍の定式も定まらない。
体の熱がどんどん上昇し、気がつけば汗びっしょり。
そして天井が回り出した。

この時、私の体はまだ治っていないことに気付いた。

悔しくてならなかった。
この日のために毎朝毎晩練習を積んできたのになんてザマなんだと。
最後に相応しい演武どころか、
二本足で立つことすらままならない状態でなにが出来ようか?

しかし落ち込んでもいられない。

最後の神頼みではないが、本気で神の力をお借りしたいと思った。
私はしばらく体を休めその後、抜筋骨で体を十分ゆるめ、
天と地を十分意識しながら立禅を行った。
やはり立禅の効果は絶大だ。
心がどんどん落ち着いてきた。

そして、いよいよ本番。
コート袖に立ち自分の出番を待っている間の
その時、まだ万全でないことに気付く。

上を見るとドームの天井がメリーゴーランドのようにぐるぐる回っている。
相変わらず力が出ず、まるで空気の抜けた風船のようだった。
手は震え、拳をしっかり握ることすら出来なかった。

もはやここまでかと思った。

もう、演武中にぶっ倒れてもいい。
やるだけのことをやろうと。

出番が回ってきた。
名前を呼ばれ、包拳礼をし、
コート上で足がもつれないようまっすぐ歩き、立ち位置まで進んだ。

そして、その後驚くような奇跡が起きた。

(続く)

2017年7月15日土曜日

なるほど

私が丁寧に指導していると、
会員さんが「あー、なるほど!」と言う。

この「なるほど」という言葉は苦労や努力の上に出る言葉である。

なるほどと言える自分になろう。

*****

先日、入会された会員さんが体験に来られたその日に
周りの初心者の方々に私の許可なく指導を始められた。
私はその場で注意した。

「教えると覚えないから教えないように」と。

あとでわかったのだが、
その方は太極拳歴12年の現役指導員とのこと。

その後、私は厳しいことを言って申し訳なかったとその方に伝えると
その方ははっきりとした口調で「当然のことです!」とおっしゃった。

誰でも最初はわからない。
さっき先生に教わったばかりなのに自分ひとりで動こうとするとどうしても思い出せない。
これが大事。

ずっとつきっきりで教えていたら、学ぶ者は覚える機会を逃すことになる。
思い出そうと努力することこそが、脳を活性化させ、若返りにつながる。

教えることも大事だが、教えないことも大事。

必死に思い出そうとし、もし仮に思い出せなくとも、
次に教えた時に「なるほど!」と思える。

この「なるほど」と思う時が人間最も吸収できる時。

教えないことも指導の一つなのである。

2017年7月14日金曜日

動かない套路

これまで約4年半、270人近く指導してきたが、
套路の順番を覚え、細かな動きを覚え、
ようやくそれらしい動きができるようになったかと思えるレベルに来た時に
どうしてもすぐに直すことのできない壁にぶつかる。

それは姿勢とゆるんで柔らかく動くこと。

套路を始めるとまず大まかな動きと順番を覚えようと思うだろう。
無論それで間違いないし、私もそのように指導している。

そして次に細かな動作を覚える。
その動きが正しく太極八法の動きに沿ったものになっているかどうか。
(太極八法とは太極拳の最も基本となる技のこと)

そして最後に残る課題が先程述べた通り。

正しい動きをしていても、姿勢が間違っていれば太極拳でいういわゆる柔よく剛を制すことにはならない。

また、ゆるんで柔らかく動けなければこれもまた同じ。

どうすれば良いか?

結局基本に戻ることになる。

ある程度太極拳の動きを習得すると出来た気分になる。
これは大間違い。
私は始めて15年になるが、まだ10ある内の3にも達していないと自分で感じている。

どうすれば良いか?

それは站椿功を行うこと。

昨日も幾人かに站椿功をすすめた。
動く套路から動かない套路へ。

正しい姿勢をつくり、そのまま木のように立つ。
気を沈め、極限まで脱力する。

私は太極拳を辞めていく人をみていつも思う。
本当に楽しくなるのはこれからなのに・・と。

映画のクライマックスを観ずに席を立つようなもの。
富士山頂に達する直前で下山するようなもの。

太極拳は套路を覚えただけでは習得したことにはならない。

それで何ができるだろう?
生活に役立つだろうか?
健康管理に役立つだろうか?
美容に役立つだろうか?
護身に役立つだろうか?

太極拳は太極拳でしか得られない膨大な利益が得られるのに、
途中で辞めてしまうのはあまりにももったいない。

太極拳を単に套路を覚える習い事だとは思って欲しくない。

太極拳の始まりは套路を覚えてからなんだ。

2017年7月9日日曜日

最後の東京体育館

先程東京から戻った。

全日本引退試合、過去最高の演武が出来た。
とてもリラックスして挑めたし、
最後の最後まで気持ち良く演武できた。

途中で息が切れることもなく、
スタミナが切れることもなく、
大舞台である東京で、
私が学んできた伝統形意拳を思う存分やれたし
最後に相応しい演武が出来た。

そして、とても爽快な気分で東京体育館を後にすることができた。

5年間どうもありがとう。

2017年7月7日金曜日

心を開くこと

これから東京へ向かい、最後の試合に挑もうとしているのに
ずっとやるせない気持ちが続いている。

私は常に皆のことを理解しようと努力しているのだが・・

理解を求めているのではない。
しかし出来れば理解し合いたいとは思っている。

私が今していることは師から受け継がれたこと。
師を尊び、師から受け継いだことを伝えることが私の使命だと思っている。

私のことを否定することは私の師を否定するも同じ。
私に自分の考えを押し付けようとするのもまた私の師を侮辱するも同じ。

私の師もまた師を尊び、毎日修行に励んでおられる。

誰もが思うことだろう。
自分のことは何を言われても構わないが、
自分が愛する人のことや自分の家族、
また自分が尊敬する師をのことを否定されたら強い悲しみと憤りを感じるだろう。

私が今やるせない気持ちになっているのは、
心を開いてくれないこと。

心を閉ざしてしまったら、
すべてのことが良くないことへと向かってしまうことは誰もが経験していることだと思う。
それに気づいて欲しい。

辛い思いをするのは自分自身。
そして、私はその辛い思いをしている人と向き合わなければならない。
これもまた辛い。

打開策はただひとつ。
心を開くこと。

2017年7月6日木曜日

引退

何度も考えた末、
今年で大会を引退することにした。

ということで今年が最初で最後の拳術での引退試合。

私がこれまで師から学んできたこと、
そして自分が今まで積み上げてきたこと、
それを出し切りたい思う。

最後の東京体育館が自分の中で最高だったと言えるよう。

張り合うべからず

太極拳は人と張り合うための武術ではない。

自分の修行。

自分の可能性をどこまで引き出せるか?
それが太極拳に求められる修行の意味だと思う。

仲間同士と太極拳を行っていると、力の差を感じることもあるだろう。
私としてはありのままにそれを受け入れて欲しいと思う。

遅れをとってしまったからとか、
どうしてもあの人に敵わないとか、
誰それには負けたくないとか、
劣等感を感じてしまっているとか、

そのようなつまらぬプライドや煩悩は捨て去ろう。
そのこと自体が禅の道から外れるものであり、
いわば太極拳の修行から外れることになる。

自分がなんのために太極拳を始めたのかもう一度よく思い起こして欲しい。

人と張り合うため?
そうではないはず。

私は誰とも競わないし争いもしない。
だから優越感も劣等感もない。
ペースが乱れることもない。

ただ、自分の可能性を知るためにすべきことを全うするのみ。